見出し画像

『パチンコ』という小説の読書体験について

『パチンコ』(ミン・ジン・リー著、文藝春秋社)という小説を読みまして、大変良い読書体験をしたため、短い感想を記しておこうと思います。

この本は、米国在住の韓国系アメリカ人作家ミン・ジン・リーが30年以上構想を練り、書き上げた小説で、1910年の日韓併合から1980年代を生きた四世代に渡る在日コリアンの物語です。しかし、在日コリアンに関する記録や論考、議論に多数触れてきた私としては、正直内容そのものに惹かれて手に取ったわけではありませんでした。むしろ、オバマ前大統領がこの本を推薦していること、そして権威ある全米図書賞の最終候補になったことが、私の好奇心をかき立てました。
「なぜオバマ氏や米国の読書家らは、もう数十万人しか存在しない在日コリアンの物語に惹かれたのだろう」
そんなわけでこの本は、私のようなアイデンティティを持つ人間には必ず読んでおかなければならない本になりました。

多くの日本人にとって、「在日」という単語や概念は既知のものである一方、英語圏でその存在や複雑なアイデンテティに焦点を当てた小説や記録はあまり見たことがありません。著者自身も語るとおり、この小説は英語話者の情報空間において、「在日コリアン」なる複雑怪奇なアイデンティティを持つ存在を可視化したことに大きな意義があると感じました。

ですが、私はこの小説をもって、周りに「これが在日の歴史だから読んで」とお薦めすることはないでしょう。在日コリアンというのは複雑すぎる存在であるが故に、アイデンティティを一般化することはできません。

冒頭私が「良い読書体験をした」と言ったのは、この本が、ハッピーエンドやバッドエンドのストーリーで物語を楽しむものではなく、ある家族がこの世界に向き合おうとした姿と時間をまるでその家族の当事者になったように没入させ共有させてくれたからです。
これはある在日コリアン家族の人生と葛藤を描いたフィクションです。しかし、私が祖父母や両親に聞いた話、彼らの歩んだ人生と重なるところが無数にある。著者が多数の在日コリアンにヒアリングを敢行したからでしょう。そういう意味で、私個人にとっては祖父母や両親の人生を再確認することのできる時間でした。それはまるで、祖父母や両親が生きてきた人生をレンズを通して見ているかのように。

そしてふと思い出したのは、ガーナにあるリベリア難民キャンプで生まれ育った難民二世の方々の物語が在日コリアンに非常に似ていたこと(『アフリカの難民キャンプで暮らしてみた』(小俣直彦著。こぶな書店))。同時に、アメリカにやってきた移民の方々のお話にも通じるところがあったこと。オバマ前大統領がこの本を薦めたのは、自分のアイデンティティをも踏まえ、1人でも多くの人に、複雑なアイデンティティを持つ個の物語を共有したかったのではないだろうか。たとえ自分のアイデンティティが彼らと一切関係がなくとも、そういう読書体験をこの本は可能にしているのではないかと。

小説というスタイルを取った著者の慧眼には脱帽です。イデオロギーに関わらず、娯楽として享受する姿勢で一つの物語に向き合えるからです。

社会の分断は、公共への巨大な敵です。分断された隣人への想像力、共感が乏しくなると、公共空間はどんどん脆弱になっていきます。いつも思いやりを持つことなど不可能ですが、必要な時に隣人の物語に耳を傾けることができるようにあってほしい。まだ見ぬ子どもにそんなことを伝えたいと思い、kindleじゃなくて紙の本で家に置いておくことにしました。


図書館が無料であるように、自分の記事は無料で全ての方に開放したいと考えています(一部クラウドファンディングのリターン等を除きます)。しかし、価値のある記事だと感じてくださった方が任意でサポートをしてくださることがあり、そのような言論空間があることに頭が上がりません。