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僧侶から見たマイケル・ジャクソン①「Black or White」

※有料とありますが最後までお読みいただけます。読んで良いと思っていただけた方はご支援ください。

ここでは、過去に書いた記事を今の自分の視点から手を加えて再アップしてみます。
今回現在は閉鎖されてしまったS-Laboというメディアに投稿したマイケル・ジャクソンの曲に関する記事です。


僧侶から見たマイケル・ジャクソン①〜「Black or White/Michael Jackson」

2009年6月25日、KING OF POPと称えられたスーパースター、マイケル・ジャクソンは50歳という若さでこの世を去りました。今回はマイケルが平和への思いを託した名曲を振り返り、仏教徒として平和について考えてみました。

音楽と人種差別

マイケルは、音楽で世界を変え、人々が手と手を取り合う世界を実現させようとしたアーティストです。
その中で彼が向き合った問題の一つに人種差別があります。
アフリカ系アメリカ人として生を受けたマイケルにとって、黒人差別をはじめとするあらゆる人種差別は大きな問題ででした。
そして1991年にリリースされたBlack or Whiteという楽曲の、特にMVの中で彼の想いは爆発しています。

それ以前にも黒人差別と戦ったアーティストはたくさんいます。
例えば、カウンターカルチャーであるヒップホップでは多くのメッセージが発信されました。その中でも「Pubric EnemyのFight The Power(1989年)」などは、公民権運動の様子をストレートに表現し、権力と戦う姿勢を歌詞と映像に乗せたMVは有名です。

白か黒なんて関係ない

その中でもマイケルがBlack or Whiteの中で訴えるメッセージは特殊でした。MVであらゆる民族と踊り、歌うマイケル。
そこで発せられる
「It don't matter if you're black or white.(黒人か白人かなんて関係ないのさ)」という言葉。
人は自分を正当化したり、自分を誇るために他人との間に優劣をつけようとします。人種、性別、職業、経歴、文化。本来比べる必要などないものを比べ、もう一方を貶すことで自身の立場を保とうとする愚かさがあります。マイケルはその比べ合いやレッテルの貼り合いが馬鹿らしいと叫んだのです。

マイケル、無言のメッセージ

実はこの曲のMVには地上波ではカットされ続けた後半部分があります。
曲の終盤、モーフィングによってあらゆる人種の人々が一人の人間として描かれたあと、一匹の黒豹が撮影スタジオを後にします。
その黒豹はマイケルへと姿を変え、一心不乱に踊り始めます。音楽もなく、鮮やかな照明もない街で踊り叫ぶマイケル。そして彼はKKKと書かれたガラスやナチスの党章が書かれた車の窓を次々と破壊し、暴れ、叫びます。
そして最後に、画面には「PREJUDICE IS IGNORANCE(偏見は無知である)」というメッセージが現れます。

無知から生まれる毒

仏教では、人間は無知によって三つの毒に侵されると説かれます。それは「貪り、怒り、愚かさ」の三つです。この中の愚かさこそがまさに偏見や人種差別を生んでいる根源です。
過去の禅僧たちはその愚かさを離れ、レッテルを貼らない物の見方、本質の見抜き方について、様々な言葉で説いてきました。自分の知識や経験、価値観によって物事を決めつける愚かさを離れることは仏教にとっても大きな課題だったのです。

マイケルが目指した社会

Black or Whiteの中でマイケルが投げかけたのは、差別する人や社会に対する憎しみではなく、人の愚かさを超えてお互いに分かち合うためのメッセージだったように思います。
マイケルは白人が悪いとかでも黒人が良いとかではなく、白も黒も黄色も、宗教も何も文化も関係なく、人間そのものを見つめていたのではないでしょうか。
それは禅宗で「本来の面目」と表すような人間の本質であったような気がします。膨大な情報量と裏腹に、日本で今もなお増え続けるヘイトスピーチや人種差別。私たちは今一度、マイケルのメッセージに耳を傾け、自身の心を省みる必要があるのかもしれません。

記事を振り返って

この記事を書いたのが2017年。
その3年後の2020年、アメリカではジョージ・フロイト氏が警察官によって押さえつけられた末に命を奪われた事件をきっかけに、2013年から起こっていたBlack Lives Matter運動の炎が最も勢いを増します。

肌の色や民族としてのルーツによって、今生きている人を蔑むことがあってはならないと誰もがわかっているはずなのに、差別が止むことはありません。

その根本には自分の不満足さを、誰かを蔑むことで埋めようとしてしまう人間の心の働きがあるような気がします。

マイケルが亡くなって15年、この記事を書いて7年が経った今も大きくは状況が変わっていません。

しかし、マイケルの意志を継ぐ多くのアーティストが少しでも差別が解消されることを願って作品を出すように、私もただただ願って僧侶としてなせることなすのみだと思っています。

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