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雨のち夕焼けの黙詩録

雨が降っていた。砂漠のとばぐちの街に。じゃばじゃばと水の音がした。安宿のくたびれたマットは湿気ていて寝心地が悪い。

自分がなぜこんなところにいるのか、説明できないわけではなかった。とはいえ意味は不明だった。

ええ、インドにちょっと用事がありましてね。といっても用事があるのはうちの奥さんのほうで。ぼくはそのお供といったところで。

そもそもこの世の存在自体が意味不明なのだ。意味なんか分からなくたって、ほとんどの人はさして悩みもせずに生きていけるんだから、幸せというものじゃないか。人生というものに何となく楽しみを見い出して、それとなく毎日を生きられるのなら、そのことをありがたく思ったほうがいい。地獄のような人生を送る者も少なくはないのだ。その地獄を乗り越えた者こそ、最高の輝きを見るのかもしれないが。

幼子の頃に結ぼれてしまった神経回路を解きほぐすのはなかなか難しくてね。何しろ得体の知れない生体計算機だ。入力と出力の間にある暗箱の中で、回路はほぐされているのか、更にもつれを増やしているのか。分かったもんじゃねえ、ただの堂々巡りかもしれねえ。

このとき信じる力が必要となります。賭ける力といってもいいでしょう。うまくいくかどうかは分かりません。だめで元々、元々だめなんですから。十中八九四苦八苦の結果が予想されても、一か八かの精神で、とにかくぽーんと跳び込んでみることです。

案外うまくいくかもしれませんし、だめならだめで、はい、それまーでーよ。

そんなこんなで、何とか生き延びてきたのです。

そんなこんなで、これからも生きてゆくのです。

今までに垣間見た、おぼろな風景の特異点をつなぎ合わせて、おんぼろでも自分なりの、渾沌の秩序を織り成そうと、呼吸と筋緊張の調整だけが神頼みの、埒もない言葉の羅列を虚空に描き続けて、時空を切り取り煙幕を張り巡らし迷彩の中に溶け込んでしまえば、おや不思議、三十数個の椎骨が、綺麗に並んで脊髄を大事に通して、頭蓋の脳髄まで巧みにつながって、髄液の中ぷかりぷかりとくつろいで、おお、思い出すではないですか、まだ母の腹にいた頃の陶酔を、深海を漂っていたときの爽快を、大気圏外の真空で無重力を体験したあの日の深遠を……。

いつの間にか雨はやんで、天井扇がてこんてこんと回る音に、遠くの通りのクラクションが重なって、ぼくは夢見心地の小さな幸せに身を任せるのでした。

[2022-08-13 西インド・プシュカル]

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