見出し画像

[詩随想] 一人よがりの悟りを決めて、男は世界の完全性を騙った。

One can show one's contempt for the cruelty and stupidity of the world by making of one's life a poem of incoherence and absurdity.

 Alfred Jarry "selected works"

アルフレッド・ジャリがこんなことを言っててね、

「自分の人生を一貫性のない不条理な一篇の詩とすることで、この残酷で愚かな世界を人は否定することができる」ってさ。

つまりだ、人間はあまりにも不完全な自分の認識能力に欺かれてるもんで、人の世は残酷で愚かなものに仕立てられる以外の道がない。

もちろん人の世には優しさもあれば賢さだってある。

だけど優しさと賢さだけを信じて、残酷さと愚かさを退治するなんてのは、おいらみたいな不逞のやからには無理だってことなんだよ。

19世紀の終わりにフランスで生まれて20世紀の頭には短い人生を終えちゃったジャリにとっても、事情は大して違わなかったってことじゃない?

まあ本当は、残酷さも愚かさも、退治する必要もなければ否定する必要もないんだけどね。

現にそこにあるものを否定しても始まらないし、自然に湧いてくるものを退治しようったって無理なもんは無理。できもしないのに人間にとって不愉快なものを絶滅させようとして、返って問題を複雑にしちゃったのが石油化学文明ってもんでしょう。

だからさ、どうしようもなく合理主義的で、見るもおぞましいほど効率重視で、そんなにやってホントに大丈夫なのかよって思うくらい人間性を無視してる社会の中で気も振れずに生きてくためには、デタラメ戦法の無手勝流が案外イケてるってことなんだな。

……とまあ、ここまで書いて息が切れました。出鱈目なものが書きたいと思っているはずなのに、ついこじんまりとまとめてしまうのです。

頭の中にはまとまりのつかない想念の切れ端が渦巻いているだけなのですから、小綺麗にまとめようったって、そうそううまくはいかないわけです。

しかし、うまくいかなくていい、デタラメでも構わない。そう開き直ることで、少なくとも自己否定の甘い罠から抜け出すことはできます。

浅はかにも行き当たりばったりの行動を繰り返して、陸に打ち上げられた魚のようにじたばたじたばたし続ける、それに嫌気がさしてばかりいてもお話になりませんから、軽く流してしまいましょう。いいじゃん、ジタバタしてたって。かっこ悪くたってそれがおれの現実。そういうことなんです。

この世界は誰に対しても平等です。物理法則から始まって、化け学的に言っても生物学的に見ても、そして心理学の立場からいっても僕たちは例外なくこの世界の法則に従わざるを得ないのです。

ですからまず、この世界原理の完璧さを認めることから始めましょう。

そしてこの完璧な世界の中で僕らの心はいくらでも矛盾にした、どのようにでも歪みまくったおかしな世界を創り上げることができます。

というのも僕たちの世界認識は、極めてもっともらしいにもかかわらず、あまりにも非力だからです。

天体の運行は完璧ですから次の皆既月食がいつなのかは間違いなく予測できます。

けれども僕たちの世界認識はあまりにも不完全ですから、自らの頭と体で次の皆既月食がいつなのかをはっきり知ることは事実上不可能です。

次の皆既月食がいつなのかを知るためには、信頼に値する情報を信じる以外に方法はありません。

月食のような比較的単純な問題ならば何かを信じてもそれほど問題は起きません。

けれども、ある国で戦争が起こり、大量の殺人がなされた時に、それが誰によってなされたのかには、はっきりした事実があるはずですが、その事実を間違いなく知ることはなんと難しいことでしょうか。

そして僕たちは人の言うことを鵜呑みにし、間違った情報から間違った世界を作り上げて、その虚構の世界の中で特段の疑問も抱かずに生きるのです。

ところが、このように自分が住む世界の不確実さを意識すればするほど、僕たちの自己肯定感は蝕まれていきます。

訳の分からない世界の中で、訳の分からない何ものかのために、訳も分からぬ何ごとかを時々刻々し続けることの、砂を噛むような日々の連続。
    毎日毎日僕らは鉄板の、
    上で焼かれて嫌んなっちゃうよ、
というわけです。

ここで、この残酷で愚かで不条理な世界像に打ちのめされないためには〈でたらめの盾〉が有効だというわけです。

何しろ言葉というものが毒なのです。

歪んだ世界像は言葉によって構築されるのです。

ですから、
「お前のデタラメはどういうわけだ?」
と詰問されても、決してまともに答えてはなりません。

「レレレのレー、おれかけれすかー?」とでも答えておけばよいのです。

そして、
「青年よ、言葉を捨てて旅にでよう」
とでも嘘ぶいて、今日もいい一日だったなと執筆活動を終え、街に出て一杯のチャイをすすれば、北インド・ハリドワルの宵の口はぼちぼちと深まっていくのです。


[2022-10-04 ハリドワル・マヤデヴィ寺の巡礼宿にて]


☆サポート歓迎いたします。


#自由落下の言葉ども

いつもサポートありがとうございます。みなさんの100円のサポートによって、こちらインドでは約2kgのバナナを買うことができます。これは絶滅危惧種としべえザウルス1匹を2-3日養うことができる量になります。缶コーヒーひと缶を飲んだつもりになって、ぜひともサポートをご検討ください♬