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spilt milkさんを巡る迷宮的思索、あるいは鮭でおっぱいの美味 [投げ銭歓迎]

ムラサキさんという方が「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」という企画をやっておられて、詳細については興味を持たれた方には、いずれ多方面からじわじわと明らかになっていくことであろうことを期待して、ここでは簡単に次のように述べ、アドレスも記載することでご紹介とします。

「第一印象が、仲のよい人たちの濃密なやり取りを見せつけられた感じだったもんで、なかなか初めの一歩が踏み出せなかったんだけど、思い切って一線を超えちゃったら、あーこういうのも楽しめるからありだなって風になりまして、文章に限らず何らかの表現を楽しんでて、他の人との共同創作も含めて、交流やら何やらが好きな人とか、逆に交流は苦手だけど、それでもあえて交流に挑戦して見るのもいいかなと思ってる人とか、そんなあなただったら、ちょっと覗いてみても損はしないと思うよ」
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【ラジオRADIO】NEMURENU35th 解題と投票|ムラサキ
https://note.com/murasaki_kairo/n/n46d0aeafcea6

……とそんな塩梅で一歩を踏み出したわけでございますが、何しろその道というのが、どうにも細く、捻じくれているものでありまして。

東の果ての小さな島国とは言え、曲がりなりにも一国の都でございますから、その街外れにこんなにも深く木々の、鬱蒼と茂った一画があるとは思いもよりませなんだ。

けれども一旦足を踏み入れたからには、とにかく行くだけは行ってみようと、一抹の心細さを感じながらも、そろそろと足を進めてまいったのでございます……。

* * *

で、その「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」という企画は次回で36回め、月一なんで丸三年を迎えるという息の長さにも驚くんだけど、今回の35回めがなかなか振るってましてね。

ラジオというテーマに対しての参加作品は、gif動画あり、音声あり、ビデオありで盛り沢山、見応え・聴き応え・読み応えたっぷりなんだけど、それに対する怒涛のコメントがまたおもしろくって。

参加20作品に対して12人のコメント師が愉快なラジオネームでもって、それぞれの視点から技巧をこらした感想を述べていますんで、同人的な活動に興味がある方なら、たっぷり時間を費やしてお腹いっぱいになるまで楽しめること請け合いです。
で、そのコメントのまとめがこちらになります。
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投票コメント集【RADIOラジオ】NEMURENU35th|ムラサキ
https://note.com/murasaki_kairo/n/n08de95a2dffd

……ところがその道が、うねうねと曲がりくねりながら、いつまでもどこまでも続いていくのでございます。

こちらも息を長く持って、落ち着いて歩を進めないといかんなと考えてはみるのですが、思わず頭の中には、
「ろん・あん・わいんでぃんろー、
ざあっ・りー、
とぅー・よー・どー」
と、南蛮毛唐の楽曲が堤琴の荘厳な響きとともに流れ出してまいりまして、すると今度はまなこに涙も浮いてくるという塩梅ですから、本当にこの道を行ってどこかに辿りつけるのだろうかと、不安な心持ちもしてくる始末で、どうにも足が止まりがちになるのでございました。

それでもとにかく進まねばと、ただただ足を前へ前へと交互に差し出していくのですが、その足がひどく重くて思うようにはまいりません。特別あせりもないのは不思議でございましたが、何しろ重い。その足の重さには、どうにも途方に暮れてしまうほどでございまして。

そのときです。

数間(すうけん)ほど先で、何かがびちっと音を立てて動いたのでございます……。

* * *

「眠れぬ夜」のアンソロジーでは、元々互選の無記名投票で優秀作を決めていたのですが、とある事情で今回からはコメントによる感想付きの投票が行なわれ、そのコメントに対してさらに投票するという2段階方式が試行されるはずでした。(ただし、主催者ムラサキ氏の英断により、2段階めの投票は実施されず)

で、12名の皆さんの投票コメントをじっくり読んでみると、その中におひと方、「これはやるな!」と思わず唸りがもれる選評をなさった方がおりました。

それは spilt milk 氏です。

2,700字を超える選評の前半1,700字強で、現代の位相を読み解きつつ自己の世界観を開示した上で、今回の選考基準としての「電波に潜む悪魔と天使」と「出会い・刺激・カラフル・遊び・執着・愛・波動」に至るまでを明快に書き切っておられます。

ラジオネーム方式での投票だったため、今回初参加のぼくにはこの spilt milk 氏がどなたなのかまだ確信がないもので、これからぼちぼちと、眠れぬ夜にでとこのアンソロジー企画の歴史を紐解かせていただきながら、こぼれた牛乳をひと滴ずつ拾い集めては、滔々と流れるガンジスの水路に捧げることにして、ムラサキの旗印の元に集まる皆々さまのご活動に諸神の加護のあらんことを祈る次第であります。

* * *

……あ、あれは、と思ってよくよく目をこらして見てみますと、都の外れのどこまでも続く薮の中に、魚が一匹落ちているのですから、不可思議なことではございませんか。

何かの見間違いかとも思いながら、ゆっくりと近づいていきますと、確かに魚です。それもかなり大きい。そばによってよく見ると、大きさから言っても、あごの形から言っても鮭に間違いありません。

先ほどは確かに尾を打って跳ねたのですが、もう死にかけておるのでしょう。鱗は濡れててらてらと光ってはおりますが、最早ぴくりとも動かず、土の上に横たわっておるのです。

海も川も近くにはないはずなのに、どうしてこんな薮の中にと思いながら、しゃがみ込んでその姿を間近に見たときに、おかしなことに気がつきました。

その鮭には乳房がついていたのでございます……。

* * *

ところで、どうしてこんな奇態な文章を書き出したかというと、多くのコメント師の中にお一人だけ、新参者のぼくの参加作を投票で選ぶ三篇のうちに入れてくださった方がいたんですよね。

この方はラジオネームを小牧秋さんとおっしゃって、この名前の由来こそ見当がつかないものの、特徴ある文体から、ははあ、あの方だな、と思い、あー、あの方が拙作をわざわざ選んでくださったとは、思い切って(勢いだけで)参加してみてよかったなぁ、これこそは作家冥利に尽きるわいと、自称ぷちウェブ作家のぼくは感じたのであります。

それで投票コメントの記事にてお礼を申し述べたところ、何とその小牧秋さんからぼくのコメントにスキがついているではありませんか。

てっきりあの方のラジオネームだと思ったのに、今回は作品応募者以外にコメント師専門の参加者もいらっしゃるという話ですから、ぼくが知らない読者がいらっしゃったのかと「小牧秋」さんのページを拝見に伺ったわけです。

そしたら、そこに見つけたトップページの画面がこういうものだったものですから、
(https://note.com/komakiakiをご参照ください)
「苦労して難しい迷路を通り抜けていった先で手に入れた宝の地図には、ピースマークが描かれていた」
とでもいうような愉快なオチに出会った気分で、とっても暖かい気持ちにさせていただいたという話なのでありました。

* * *

……川で生まれ、大海に泳ぎ出て生涯を送り、故郷の川に子孫を残すために帰郷する。

鮭という魚は、そんな親の子を思う気持ちとも重なる魚ではございますが、そうは言ってもイルカやクジラのような獣ではありません。

それなのに、どう見ても魚に間違いない鮭の腹に、犬の乳房ほどのおっぱいがいくつも並んでついておるのでございます。

気味が悪いようにも思いながらも目を離せずに、呆然とその鮭を見ておると、目の錯覚でございましょうか、大きさが縮み始め、ぬらぬら黒光りしていた鱗は徐々に乾いて黄土色に色褪せていくのでございます。

その妖しの現象を固唾を飲んで見守っておりますと、やがてそれは乳房を持った鮭の形をした、たい焼きになってしまったのですから、魂が懐から転げ落ちるほど驚いたわけでございまして。

けれども果たしてそれをたい焼きと呼んでいいものなのか、自分はふと考え込んでしまいました。

たいの形をしているからたい焼き。丸かったら大判焼き。乳房を持った鮭の形をしているのだからオッパイさけ焼き……?

かようにアンポンタンなことを考えておりますと、ほんなのり香ばしい香りが漂ってきて、そのオッパイさけ焼きがまだ焼き立てであることに気がつきました。手をかざしてみると、はっきりと温もりが感じられます。

手に取ると熱々とまではいきませんが十分温かい。これはまさしく焼き立てだ。幸い地面には枯れ葉が一面に落ちており、オッパイさけ焼きは裏を返してみても、大して汚れてはおりません。

あらがいがたい力に突き動かされて、突き出た顎の部分からがぶりと噛みつきました。

しっかり噛みごたえのある生地をもぐもぐと噛みしめて、これは上等なオッパイさけ焼きだわいと感心していると、中身の餡が妙なのでございます。

甘くておいしいのですが、普通の餡とは餡が違う。はっと手元のオッパイさけ焼きを見ると、あんこの色が黄色っぽいのです。

けれどもその味はクリーム餡というわけでもない。いかにも風変わりな味がするのです。

どこかで食べ憶えのある味だが思い出せない。この変わった風味。なんだったか、どこで食べたのか……。

ふと頭の中に、南国マレーシアはペナン島の港街、ジョージ・タウンの情景が甦りました。

仲秋の名月の日、華僑の人々は英語ではムーン・ケーキと呼ばれる月餅を食べてお祝いをします。

月餅といえばもちろん、ごま油の効いた黒いあんこが日本では定番ですが、華僑の人たちが作る月餅には、緑豆餡や胡桃餡、そして熱帯の国らしくマンゴーや蓮の実の餡までがあるんです。
(他のページを見たらレンコンの餡って書いてあったんだけど、蓮根じゃなくて蓮の実ですから、お間違いなく!)

ちょっと筆が滑ってバックパッカー・グルメブログみたいになってますけど、気にせず先に行きましょう。

……この餡の味は、そうだ、ドリアンの餡じゃないか。ペナンの中華街で食べた月餅の濃厚な味が脳裏にはっきりと映し出されると、同時に「それだけじゃないぞ」と囁く声も聞こえます。

分かった、あれだ、インドでよく食べる贅沢に牛乳を煮詰めて作ったあまーい半生菓子バルフィ、あの味が合わさってるんだ!

ドリアン餡だけでも濃厚なのに、そこにミルキーにも似たバルフィの、牛乳系のまったりとした甘さが加わって、これぞ甘味の交響楽、これこそ至福のデザートだ……。

「杜子米、お前は相変わらずだねぇ」

忘我で甘味三昧の境地にいたわたしは、その声で我に返りました。

右手に持った、先ほど頭を齧ったオッパイさけ焼きに、どうしたことでしょう、頭がもう一つ生えてきて、その鮭の頭がわたしの母の声で喋ったのです。

ここでうっかり口を開くわけにはいかないことが、わたしには分かっていましたので、心を静めながらじっと右手の中のオッパイさけ焼きを見つめていると、母の声を持つ鮭の頭がまた喋りました。

「いいんだよ。どうせ人生なんて、大したもんじゃないんだからね。ひと角の人物になろうだなんて、余計なことは考えないのがいいさ。目の前に美味しいお菓子があるんなら、虫歯のことなんか忘れて、さっさと食べちまえばいい。さあ、早くおし」

そう言われるとぼくは、歯医者で虫歯を削られる拷問のような光景を思い浮かべながらも、もう何だか訳の分からない気持ちになって、とにかく母の声を持つ鮭の頭にかぶりつき、むしゃむしゃと、がつがつと、オッパイさけ焼きを食べ続け、おっ、こいつは最後の口直しに尻尾には餡が詰まってないタイプだなと、その趣向に満足しながら、ここらで一杯熱いお茶が怖い。……と考えたそのときに、胸から広がり始めた切ない気持ちがじわじわと体中を伝わって、手足の先まで行き渡り、二つの目には涙が溢れ、「お母さん……」と呟いてしまったのです。

* * *

「杜子米よ、口を開くなと言ったのを忘れたわけではあるまいな」

その声でぼくは再び我に返りました。

辺りを見回すと、そこは東の果ての小さな島国の、都の外れの薮の前で、夜も更けて東の空に赤い半月が光っております。

「少し見どころがあるかと思って水戸黄門も迷ったというこの薮をお前に歩いてもらったが、すっかり言いつけを忘れて夢の道行きをまどうておったか」

仙人にそう言われて、はっとぼくは思い出しました。

何だか生きるのに飽き飽きとして、金も名声も能力もいらない、あなたの弟子にしてくれと頼んだところ、仙人はぼくの願いを聞き入れると、初めの試練として藪知らずの森に入るよう命じたのです。

そして、何があっも決して口を開くな、声を出したら命はないものと思えと。

それなのにぼくは、そんなことをすべて忘れて、オッパイさけ焼きにかぶりついて、挙げ句の果てに言葉を発してしまったのです。

「鉄冠子さま……。それとも提婆達多さまとお呼びすべきでしょうか」

「シヴァとでもダッタトレーヤとでも、何とでも好きに呼べばよい」

「では鉄冠子さま、ぼくの命はもうおしまいなのですか」

「どうした、命が惜しくなったか」

「いえ、そうではありません。今ここで命を落とすとしても、それは怖くはないのです。ただ……」

「それはよい心がけだ」

仙人にはわざわざ言うまでもなく、死ぬ前に母に会って挨拶をしたいというぼくの気持ちが伝わっているのでした。

「だが、お前は命拾いをした。仙人になることこそできなかったが、慈悲の気持ちを知ったのだからな」

「ぼくが、慈悲の……?」

「お前は自分には共感能力がない、コミュ障で発達障害でアスペルガーのアンポンタンだと思い込み、マインドフルネスだのヴィパッサナーだのいくらやったって、他人になんか思いやりの気持ちを持てるもんかとやけになって、そうして仙人になりたいなどと言い出した」

思っていた通りをずばり見抜かれて、ぼくは言葉もありませんでした。

「だが、夢まぼろしの中、何もかも忘れながらも、お前は確かに前に進もうとした。そして『口を開くな』という肝心の言いつけを思い出すこともできずにいたにも関わらず、がむしゃらにオッパイさけ焼きを食べて腹が満ち、心が解き放たれてほっとひと息ついたその瞬間に、もう長い間抑え込んで忘れ果てていた母への想いが、お前の中に蘇り心を揺さぶったのだ。どうだ、違うか」

ぼくの耳に、
「ミルキィーはママのあじー」
という歌が響きました。

そうか、母への思慕の情、それくらいのものなら、ぼくも持っていたのか。そしてそれこそが共感力の種であり、そこから芽が出て、茎を伸ばし、蕾をつけ、やがて花開くのが慈悲の心……。

「もう分かったな。では行くがよい。これで二度と会うことはあるまい」

仙人はそう言ううちにも歩き出していましたが、ぼくはふと思いついて言いました。

「鉄冠子さま、ぼく、ご存知の通り一文無しで、行くあてもないんですけど、どこかいい場所をご存知じゃありませんか?」

仙人は振り返りもせずに答えました。

「生憎わしは一介の仙人にすぎんので、桃源郷に家や田畑(でんぱた)は持っておらんでのう。何でもいいからバイトでも見つけて金を貯めて、ネットやクチコミで落ち着き先を探すことだな」

仙人は愉快そうにそう言うと、街の暗闇に消えていきました。

そんなわけでぼくは今日も、北インドはハリドワルの安宿の寝床に寝そべりながら、スマートフォンのガラスの上、二本の親指を滑らせ続けているのです。

[追記] 天然ぼけなわたし
作中ヘッダ画像

☆この記事で言及したような気がする作品

・筒井康隆「あるいは酒でいっぱいの海」
https://amzn.to/3dPUV9w

・芥川龍之介「杜子春」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html

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