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日本の大学を中退し海外トップ大で理転した話

 20歳まで海外経験ゼロ。高校は自称進学校。両親共に高卒で教育には無関心。特筆した経歴が一つもないこんな僕が20歳で日本の大学(文系)を中退し世界トップ50の海外大学(理系)に入学しました。そして現在、その大学に進学してから約1年半が経ちました。僕が海外大で理転するまでの過程を振り返ってみました。よければ読んであげてください。僕がこの話で伝えたいことは1つだけ。こんな平凡な僕でさえ出来たんだから、これは誰でも実現可能な話だということ。

●はじめに


 僕は現在ベルギーにあるKU Leuvenという大学で電子情報工学を専攻しています。

この大学は日本で知名度がほぼゼロに等しいですが、ヨーロッパではそれなりに有名でレベルの高い大学として知られています。

1つの指標としてTimes Higher Educationの大学ランキングでは2024年で45位にランクインしています。

この大学に入学する前は日本の大学で国際関係学を専攻していました。もちろん高校時代は文系選択です。そんな僕が海外大で理系に転向した経緯について時系列で話していきます。

●勉強とは無縁な中学、高校時代。


 今から約20年ちょい前に超元気な母と超寡黙な父の間に生を預かりました。幼いころから内気だった僕は...



 あの、すみません、こんな説明誰も興味ないですよね。ということで高校時代まで飛ばします。

 それなりに高校受験を終えた僕は中学を卒業し僕は地元の自称進学校(偏差値63ほど)へと進学しました。

高校時代はほぼ勉強せずに定期テスト前だけ勉強していました。なんやかんやで高校時代の成績は大体4.0/5.0ぐらいをキープしてたと思います。

 高校3年生の7月に部活を引退し、地元の集団塾に通い始めました。お金にあまり余裕がなかった僕は自習室目当てで塾に入りました。そして授業を一つだけ受講して残りの科目は参考書で勉強する、というほぼセルフ武田塾ムーブを行っていました(せこい)。

また、情弱だった僕はネットで集めた情報と周りの友達の話を聞きながら、これから半年勉強すればおそらくいけるであろうレベルに志望校を設定しました。

半年だけでしたが毎日最低でも12時間ほどは勉強していたと思います。怠惰な僕にしてはよくやった方だと思います。そして結果的にそれなりに評判の良い大学で国際関係学を勉強することになりました。

 なぜ、国際関係学を専攻したのか。理由は2つあります。
一つは元自衛官である父の影響で将来は人の役に立つ仕事をしたいと幼いころから思っていたこと。
もう一つは高校生の頃に読んだ「ムハマドユヌス自伝」という本です。この本を読んだ直後に将来の夢が「国際連合で開発事業に従事する」になりました。
それならまずは大学で国際関係学を学べばいいだろう、という短絡的な思考でこの専攻になりました。

●大学入学と同時にコロナ渦突入。


 僕が大学に入学したのは2020年。そうです、新型コロナウイルスが日本に上陸した年です。大学に入学したら、アルバイトに部活にインターンに旅、そして留学。やりたいことやりまくるぞーーーって思っていた矢先にコロナ渦突入。僕の夢のキャンパスライフは桜が咲く前に散りました。

 急激に暇になった僕は高校三年生の時に通っていた地元の大学受験専門集団塾で英語塾講師としてアルバイトを始めました。科目は英語。というのも高校時代にセルフ武田塾をしていた時に唯一受講していた科目が英語だったからという理由と、せっかく塾でアルバイトするなら自分のためになる科目がいいだろうという事で英語を選びました。

 ちなみに当時大学で受けさせられたTOEICの点数は600点ほどだったと思います。曲がりなりにも大学受験で英語を勉強していたのでReadingはそれなりに耐えましたが、Listeningはゴミでした。それからの2年間、僕はこの塾バイトにのめり込むことになります。

 人生にはターニングポイントというものは存在すると思います。僕にとってのターニングポイントはこの超ブラックな塾バイトです。良くも悪くもこれが僕の人生を大きく変えました。

●塾講師バイトにのめり込み、そして血迷った2年間。


 塾講師バイトって本当に良くないですよね。。。時間のある大学生をやりがい搾取しサービス残業させまくる。こんな理不尽がまかり通っていいのか!と思うほどに僕は塾講師バイトを恨んでいるのですが、一方で感謝もしています。
というのも塾講師バイトを通して得たことが複数あるからです。

1つ目はコミュニケーションスキル。生徒や生徒の親との面談を通して対話力が身につきました。また授業を通して言語化能力が格段に上がりました。

2つ目は英語力。僕はたまたま英語を教えることになったため、英語の勉強を2年間続けることが出来ました。怠惰な僕が英語学習を続けれたのは間違いなくこの塾講師バイトが要因でしょう。

3つ目は自分のやりたい事を気づかせてくれた点です。僕はこの2年間死に物狂いで働きました。もし全国アルバイトサービス残業大会というものがあれば、恐らく僕は入賞していたでしょう。

最低でも週6、ほぼ毎日校舎に出勤し生徒の学習管理や授業の予習、更に生徒一人ひとりとの面談を勝手に行っていました。その結果、始発で家に帰ることが日常と化していました。が、結果的に担当した生徒(計70人以上)のほぼほぼ全員が第一志望校に合格してくれました。本当に嬉しかったです。

 この2年間、僕は夢中でした。生徒の第一志望合格というのが当時の僕の中での最優先事項、そのために常に行動していました。睡眠時間が2,3時間の日もざらにありました(大学の勉強とジムでのバイトも同時並行していたから)。けれど何故か「辛い」よりも「楽しい」が勝っていました。

その時に僕は努力は夢中に勝てないという事を実体験から学びました。将来は本気で夢中になれる仕事をしたい、そんなことを気づかせてくれた塾バイトには本当に感謝しています。(もう二度と働かないですが)

●迷いと希望。


 話を戻しましょう。僕が塾講師のバイトにのめり込んでる間に同時並行で動いていたことがあります。それは交換留学の準備です。

当時在籍していた日本の大学から英語圏の大学への交換留学を考えておりました。が、コロナの影響もあり延期に延期を重ねており、結果的に2年の秋学期を迎えてしまいました。このままでは留学をせずに就活が始まってしまう。

その時、僕の心の中に迷いが出てきました。というのも子供のころから持っていた将来の夢が少しずつ変わりつつあったのです。

将来は国際機関で開発事業に従事するために大学で国際関係学を学んでいた僕でしたが、大学で学んでいる内容が将来の業務に直結するとは思えず不満が少しずつ溜まっていきました。

また開発事業に従事するためには、希少性がありより専門性の高い分野の方がむしろ強いという事。

そしてコロナ渦で様々な本を読み、色々な情報をインプットする中で、一口に国際協力といってもそれには様々な関わり方があるという事を知りました。

更に日本の政治経済事情も大きな要因として当時の僕の考えに影響を与えました。


 留学もできない。今学んでいることに楽しみを見いだせない。将来がものすごく不安。日本にこのまま居続けるのは大丈夫なのか。

様々な事が頭の中に駆け巡りました。そこでまず僕が考えたのは日本の大学に編入するというアイデア。しかし、編入するといっても行先は法学部か経済学部。当時僕が特に興味を持っていた情報工学の分野での転部はかなり難しかったです。

かといって一から大学受験をし直すには遅すぎるし、お金もかかる。それに一番の目標である留学が出来ない。何かいい方法がないか、、、と迷走していた僕に一筋の光が差し込みました。


 それは海外大学に正規留学しそこで理転する、という選択肢でした。

●新たな選択肢


 突然ですが「海外大学へ正規留学する」と聞くとどのようなイメージがありますか?当時の僕のイメージはこうでした。裕福な家庭しかできないでしょ。昔から英語が話せる必要があるでしょ。成績の良いインター生じゃないと無理でしょ。。。

 はい、半分正解半分不正解です。英語圏での留学は高くつきますよね。はい、英語圏では。

そうなんです。実は非英語圏でも海外留学はできるんです。知られていないだけで学士レベルで英語プログラムを提供しているアジアやヨーロッパの大学は沢山あります。

僕は20歳になってからその選択肢を知りました。なので是非今の学生には日本の大学受験だけでなく、海外大学正規留学(非英語圏)という選択肢を持ってほしいなと思います。僕みたいに情弱な人が救われるためにはインターネットというツールは公平で素晴らしいと思います。そんな有益な情報に巡り合うためにも常にセンサーを尖らせていることが重要でしょうね。

 先ほど非英語圏での海外留学と言いましたが、日本の大学と同等かそれ以下の費用で留学できる国はヨーロッパだとベルギー、イタリア、ドイツ、チェコ、ハンガリーなどに絞られると思います。その中でも情報工学を学ぶとなるとさらに数が絞られます。

僕が見つけたKU Leuvenという大学は世界的にもレベルが高く、英語で電子情報工学を学ぶことができる。授業料は年間€6600(約100万円)。更に学士(Bachelor)が3年間。修士(Master)が1年間で取ることが可能。僕がコロナ渦で失った2年間をチャラにしてくれるこの制度が気に入り、この大学への正規留学を考えるようになりました。

 そしてこの大学の存在を知ったのが2021年12月頃。そして願書の〆切が2022年3月。うん、頑張ればまだ間に合うかもしれない。。。


●全力で親を説得

 唐突に日本の大学を辞めて海外大学に進学する、などという現実味のない奇行は簡単に受け入れられるものではありません。
今まで僕を育ててくれた両親にそのことを相談したところ大反対されました。

そりゃそうですよね。せっかく受験して入った大学を辞めて、初海外で4年以上も日本を離れるなんて。将来僕の子供が急にそんなことを言い出したらと思うと寒気がします。

しかし、僕も簡単には引き下がれません。容易な事ではないことは百も承知でしたが、海外で情報工学を勉強することは将来的に海外で働き、テクノロジーの観点から夢である国際協力の世界に関わることを可能にしてくれる、そう確信していたからです。親にはとりあえず合格したらもう一度考え直してくれと告げ、自分は英語の勉強に専念することにしました。

 ちなみにですが僕の家庭は一般的な給与水準の家庭です。両親は共働きで世帯収入は合わせて700~800万円程度だとおもいます。僕はJASSOの貸与型奨学金を借りて日本の大学に通っていました。またアルバイトでは扶養内である年間103万円を2年間でしっかり稼ぎました。。実家暮らしだったので少しは貯金に回すこともできました。留学時も海外留学用の貸与奨学金を借りる予定でした。


●合格に向けて
  
 KU Leuven合格のためには大きく分けて4つの書類が必要でした。1.高校の成績。2.モチベーションレター。3.SATのスコア。4. IELTS OA6.5(各セクション6.0以上)。詳しいことはここでは省きます(もし需要があれば別で書きます。)

 この中でも特に厄介だったのはIELTSです。2021年10月に模擬テストを受けたのですがその時のOAは5.5でした。調べたところ5.5から6.5までスコアを上げるには早くても半年~1年は見ておいた方がいいらしい。



やっぱり無理か、、、

 

「ところで平凡な俺よ。下を向いている暇はあるのか。。」



と僕の心の中の田中龍之介が急に語り掛けてきました。


(ハイキューって最高に熱くて良い漫画ですよね)



 僕は今まで高校受験、大学受験と周りに合わせて、自分で自分の人生の選択をすることを避けてきました。

そんな僕が初めて自分で情報を集め、自分の道を自分で切り開こうとしました。

せっかくだから少し頑張ってみよう。ダメ元でも挑戦してみよう、と思うことが出来ました。そんなこんなでそれから毎日空き時間はカフェにこもりIELTS対策に全ての時間を捧げました。




 そして〆切の3月を迎えました。






 しかし、最終的にはIELTS OA6.0しか取れませんでした。
くそ、やっぱりダメだったか。

  けれど後悔はなかったです。自分なりに全力を出して勉強したからか、清々しい気持ちで終えることが出来ました。



●一筋の希望

 しかし、それから数日後にあるメールがやってきました。

  それはConditional Offer(条件付き合格)のメールでした。「6月末までにIELTSでOA6.5取ったら入学していいよ!」という旨の通知書。

よし、きた!と。〆切まで後三カ月ある。という事でまた英語漬けの日々が始まりました。大学とバイト以外の時間は全て英語に捧げました。

3ヶ月後


  最後に受けたIELTSの結果が〆切の2日前に届きました。



結果は以下です。






 なんと、奇跡的に〆切2日前にIELTS OA7.0を獲得し合格することが出来ました。

すぐに結果をメールで大学に送信し、それから数日後に正式にAccepted(合格)を頂くことが出来ました。結果的に半年間でIELTSをOA5.5から7.0に上げることが出来たことは1つの大きな成功体験として僕の中に刻まれました。諦めないでよかった、、、本当に。

 そして一番間近で見てくれていた両親に合格を報告すると心の底から喜んでくれました。そして最終的に僕が海外大学へと進学することを許してくれました。僕も将来は子供の意志を尊重することが出来る親になりたいな、と思わせてくれるそんな自慢の両親です。絶対に最高の親孝行をします。

 合格通知を頂いてからは爆速でビザ関係の手続きを済ませました。そして人生初の海外、ヨーロッパの中心地ベルギ―へと渡航しました。渡航後自分の英語力のなさに失望したり、ストレスで鬱になりかけたのはまた別の話。。。

●さいごに


 ここまでは大学に合格するまでの流れを話していきました。

しかし、実はベルギーの大学では合格よりも卒業する方が圧倒的に難易度が高いです。

僕の学科では3年間でのストレート卒業率は約5%~10%です。今でも自分の出来なさに打ちひしがれる日々が続いていますが、夢を叶えるために僕は今もヨーロッパの地で自分と闘い続けています。

 2024年4月29日現在、1ユーロが170円を超えました。僕が日本を出た時1ユーロは135円でした。急激な円安が進む中で日本経済に明るいニュースなどほとんど入ってきません。

  これからは円ではなく外貨で稼ぐことがスタンダードになっていくはずです。

その前段階として、英語を使って海外で学ぶ。そんな選択肢を1つ増やしてみてください。

こんな平凡な僕で出来たんだから誰だってできるはずです。

違いは一つだけ。

知っているか知らないか。


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