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watcher #6



引きつづき、幻覚の原因を調べている。

気が向いたときに。



おれは“あれ”を見ることに、なれてしまっていた。

だから、幻覚に悩まされているわけでもない。

なので、緊張感もない。


緊張感がないといえば、幻覚の原因には、こんなのもあった。

たとえば、深夜の高速道路を車でながく走行しているとき。

眠くなるやつだ。

刺激が少なく、言ってみたら感覚遮断に近い状態。

そんな状態が途切れることなくつづいた場合、幻覚を体験することがあるそうだ。


おれの日常は、ルーチンだ。

だけどここで言ってる「刺激の少ない状態」とは、その程度のことではないだろう。


見るのになれてしまったと言ったけれど、おれの日常に刺激をもたらしているのは、“あれ”くらいだ。

刺激がないせいで幻覚を見て、その幻覚で刺激を得ているのだったら、かわいそうなやつでしかないな。



そんななか、おれは強い刺激の“あれ”を見た。

夜に。

気がついたら、そいつは道のさきにいた。

馬に乗っている。

その“あれ”は、馬の頭と、騎手の頭が棺桶で繋がっているのだ。


まあ、その棺桶も、棺桶そのものではないのだけど。


おれが、棺桶と例えたものは、ガラスでできていた。

棺桶みたいに、角張ってはいない。

丸みをおびたフォルム。

金魚鉢のように、うわ側はあいていて、なかには水が入っていた。

水か、何かわからないけど、液体だ。

金魚鉢と棺桶の「あいのこ」とでもいったところか。

そのあいのこを、棺桶たらしめているのは、なかに遺体めいたものが入っているところだ。

安置された遺体のように、胸の前で腕が交差されていて、液のなかに浮いている。

まるで、ホルマリン漬けの人体標本。

その人体標本は、液面から出ている部分が青白い炎をあげて燃えていた。
 
 



馬に乗った「死」が、聖書に出てくることを思い出した。

たしか疫病をつれて。

だけどなんで、おれはそんなことを知っているのだろうか。

聖書と黙示録の違いが、なにか知らないレベルだぞ。おれは。

映画のセリフに出てきたか、漫画ででも読んだのだろう。

パカ···パカ···と、アスファルトのうえをゆっくり馬をすすめる。

馬はすすむ度に、頭をわずかに前後させる。

馬の頭とガラスの接触面は、潤滑油の働きをする粘液でもついているのだろうか。

なめらかなスベりを見せていた。

しかしガラスの棺桶が、馬の頭から外れて落ちてしまうような、危なっかしさは感じず、安定していた。


馬が歩をとめた。

その“あれ”はおれの数メートル前にたちどまっている。



あれっ?こいつ、ヤバいやつかも知れんっ!

おれは、急にそんな感覚にとらわれてしまった。

おれは息をとめて、ツバをのみ込むのもひかえた。

物音をたてないように、慎重に後ずさりをする。

“あれ”から、目を離さないようにして、背中のほうに手をやって、道ぞいの建物の壁を探りあてた。

壁へ背をつけて、夜の闇のなかで、壁と同化するように努めた。

壁にそった横歩きで、“あれ”から距離をとる。

曲がり角に、やっとたどりつく。

ものすごく永く感じた。

ここであせって、速い動きで曲がり角の影へかくれたら、気づかれそうな気がした。

ゆっくり身を隠す。

そのあとは、足音がたたない最速の移動で、とにかくそこから離れた。


初めて“あれ”を避けて迂回した。



それにしてもあいつら馬が好きだな。

でも、幻覚を見てるのはおれなんだから、自覚がないだけで、馬が好きなのはおれなのか?

そんなこと、今はどうでもいい。

道すがら、そんなこと考えるくらいには、余裕がもてる距離をとって、回り道をしていた。



あの馬に乗った“あれ”も、他の“あれ”と変わらず、無害だったのかもしれない。

おれが勝手に「ヤバい」と思い込んだけかもしれない。

と言うより、“あれ”は幻覚だろ。

しかし、少なくとも、本当にヤバいのか、そうではないのか、度胸だめしする気にはなれなかった。



姿を思いだして背中がゾワゾワっとした。

「あーこわっ」

なにかを振り払うように、わざと大きめの声で口にだした。
 
 
 
 
 
 

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