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コンビニカフェラテ逮捕事件      カルロス・ゴーン事件         50円と50億円の違いはあれど     セーフティ・ネットなき日本の恐怖は同じ

冠省 朝日新聞社 岡純太郎記者殿。

貴方の仕事は、こんな被害金額50円の微罪で逮捕し身柄を拘束する警察の判断の当否を問うことであって、警察の発表をこんな風に型通りに記事にすることではないはずです。

100円で150円のカフェラテ注ぐ 窃盗容疑で男逮捕

 福岡県那珂川市内のコンビニで、100円を支払って150円のカフェラテを注いだとして、県警は21日、同市内に住む自称会社員の男(62)を窃盗容疑で現行犯逮捕し、発表した。容疑を認めているという。

 春日署によると、男は21日午前7時半ごろ、同市内のセブンイレブンで、レギュラーコーヒー用の100円のカップを購入したのに、セルフ式コーヒーマシンで150円のカフェラテを注いだ疑いがある。

 店のオーナー(42)が、男がカフェラテを注いでいるのを目撃。声をかけたところ、当初は「ボタンを押し間違えた」と否定したが、逮捕後に容疑を認めたという。オーナーは数日前にも男が同様にカフェラテを注ぐ様子を見ていたといい、この日、来店した男を警戒していた。(岡純太郎)



(2019年1月21日朝日新聞デジタル版)

そんな話をツイッターで書いたら、800近いリツイートがあってびっくりしました。事件そのものだけではなく、報道、警察のあり方に「なんだかヘンだぞ」と思う人は多いようです。

この記事の末尾にある「オーナーは数日前にも男が同様にカフェラテを注ぐ様子を見ていたといい、この日、来店した男を警戒していた」という記述は、逮捕された容疑の事実ではありません。つまり、警察が逮捕した事実ですらない。しかも記者が直接目撃したわけでもない。信頼精度の劣化した間接情報です。それを勝手に付け加えて、逮捕容疑以上に逮捕された人に犯罪があると読ませています。

つまり新聞記者が警察以上に、被逮捕者に過剰な犯罪を付け加えている。日本社会の合意は「市民を犯罪に問うことができるのは検察官だけ」「犯罪の有無を決めることができるのは裁判官だけ」と厳しく限定しています。新聞記者にそんな権力を与えた覚えはありません。そんな法律(=社会の合意事項の明文化したもの)は日本に存在しません。

この報道で問うべきことは「被害金額50円は、私たち市民を留置所に閉じ込めるに値するのか?」のはずです。

●セブンイレブンもリピュテーション・ダメージを負った

ついでにいえば、100円払って150円のカフェラテを飲んだの男を見つけて警察を呼んだセブンイレブンも、大変な社会認識上のダメージを負いました。「セブンイレブンは、客が100円払って150円のカフェラテを飲んだら警察を呼んで逮捕させる危険地帯だ」という認識を広めてしまったからです。コンビニの社会認識は「24時間いつでも、快適に日用品を買い物できる場所」であるはずです。その商品価値は「快適さ」や「便利さ」のはずです。

しかし、そのコンビニが、50円の被害金額でも警察を呼んで逮捕させるという、かくもお客に敵対的な環境であるという認識が広まってしまうと、コンビニ企業にとって大きなリピュテーション・ダメージになりかねません。警察を呼んだコンビニの対応が店主の判断なのか、あるいは全社的なマニュアル化された判断なのかはわかりません。しかし、社会的な認識の結果でいえば、この事件は、逮捕された人も、コンビニ企業も深刻なダメージを負う「オール・ルーザーズ・ゲーム」(全員が敗者)なのです。

(上)さっそく東京の自宅そばのセブンイレブンに行ってみた。ボタンがたくさんあって、どれを押せばいいのかわからない。ややこしい。冒頭記事のコンビニではありません。

私は心配性なので、不安になります。

100円しか払ってないのに、間違ってカフェラテ150円のボタンを押してしまい、カフェラテを注いでしまうかもしれない。そんな時は、レジで泣き叫びつつ「すみません!間違えました!50円払いますので逮捕しないでください!」と身悶えしながら訴えなければならない。本当に心配です。

また、ファミレスで、ドリンクバーのカネを払ってないのにドリンクバーを飲んだら、これからはどしどし逮捕されるのでしょうか。

「お代わり禁止」のサラダバーで、うっかりキュウリやレタスを付け足したら、逮捕されるのでしょうか。ドレッシングだけなら付け足してもよいのでしょうか。スープバーはどうなのでしょう。なにしろ被害金額50円で逮捕されるのです。あながち杞憂でもありますまい。

私はうっかり者なので、よくコンビニのコーヒーサーバーのボタンを押し間違えます。ラージ150円を払ったのにスモールのボタンを押してしまい、でかいカップにチョロチョロとしかコーヒーが出てこない。しかし「50円返せ」とレジで言うのも体裁が悪い。一人密やかに悔し涙を流したものです。

いや、しかしこれからは、正々堂々と「ボタンを押し間違えましたので、50円返してください」とレジのおばちゃんに要求することにしましょう。臆することはありません。なにしろ、その同じ50円でコンビニは客を警察に逮捕させるのですから。

いやいや。念のために付言しますが、私は、代金を払わなくても50円くらいなら商品をちょろまかしていい、盗んでもいい、などとは言いません。そんな不徳なことは考えたこともありません。

繰り返しますが、被害金額50円は市民の自由を拘束する「逮捕」に値するのでしょうか。それを問いかけることもせず、無自覚に発表どおりに記事にする報道は、報道の原則から逸脱してないでしょうか。それを問うています。

下部取り出し口の左がカフェラテ、右が普通のコーヒー。冒頭の記事のコンビニではありません。

●カフェラテ事件とゴーン事件の共通点

この150円カフェラテ事件で私が思い浮かべたのは、カルロス・ゴーン事件なのです。

昨年11月に東京地検に逮捕されたゴーン氏の最初の逮捕容疑は「報酬が計約99億9800万円だったのに、計約49億8700万円と過少に記載した」でした。つまり50億円をごまかした、というのが逮捕された容疑事実です。


カフェラテ事件では、150円の商品を100円しか払わずに逮捕されたのですから、逮捕容疑の事実は差額50円です。50円と50億円は似ていますが、ケタがかなりちがいます。

ゴーン氏が昨年11月からずっと東京拘置所に閉じ込められていることから、日本の特異な「人質司法」(罪を認めないと釈放してもらえず、延々と自由を拘束される。釈放されたさに罪を認める供述をすると冤罪になる)がCNNなど国際メディアによって世界に報道され、批判されはじめました。

人質司法そのものは、私が新人記者だったころの30年くらい前から国内で批判され尽くされ、もはや誰も(捜査員を除いて)擁護しないのに、政府当局(主に検察庁とそれを管轄する法務省)はいっこうに改善しようとしません。放置したままです。布川事件、足利事件など冤罪事件が次々に明らかになり、無実の人を20年も刑務所に放り込んだことがわかっても、改めようとしません。ものすごく怠惰なのか、問題が理解できないくらい間抜けで無能なのか、よくわかりません。しかし、ここまで来ると、何らかの意図を持って制度を維持しているのではないかと疑いたくなります。

しかし私は、検察官や警察官など捜査当局者が権力を濫用しがちになることは、日本だけに限らない権力機関には固有の現象だと考えています。アメリカだろうと欧州だろうと、他の国々でも、警察や検察はそうした傾向を多少の差はあれ持っています。そして社会も「警察や検察とはそういうものだ」という前提で見ています。

何が日本社会に欠けているのかというと、警察や検察の権力濫用を監視・抑止する「フェイル・セーフ」がないのです。

西欧型民主主義社会で、こうした権力濫用を監視・抑止する役割を与えられているのは「裁判所」と「報道」です。

●裁判所は権力濫用に対抗するフェイルセーフとして機能していない

例えば、カフェラテ事件では、福岡県警が裁判所に逮捕状を請求しているはずです。裁判官には逮捕状の請求を却下する権限があります。裁判官の自由なのです。

却下したからといって、何か制度上の不利や報復があるわけではありません。裁判官が「たった50円の被害金額で自由を奪うなんて、だめだ」と、逮捕状の請求に来た警察官に言って、逮捕状を出さなければいいだけの話なのです。

「被害金額50円で警察が逮捕できた」ということは「被害金額50円で裁判官が逮捕を許した」ということなのです。

権力乱濫用が起きたということは、権力濫用を許した裁判官がいる、ということなのです。

カルロス・ゴーン事件にしても、2ヶ月以上ゴーン氏が拘置所に閉じ込めらたままになっているのは、検察が出した勾留請求を裁判官が許可しているからです。裁判官はそれを却下する自由があるのです。

検察官は、検察や警察の言う通りに唯々諾々と逮捕状や勾留許可を出す裁判官を「自動販売機」と呼んで侮蔑していた。大阪地検の公安部検事だった三井環氏はそう書いています。

つまり日本社会では、裁判所は警察・検察の権力濫用から市民を守るフェイル・セーフとして機能していない。それどころか、その機能を放棄してしまっている。

●効率優先に毒される裁判官の心理

日本の裁判所が侵されている根本的な病理は、裁判官が「処理件数を上げる」という数字で能力を査定される世界に生きていることだと私は思います。

人間の一生を左右する裁判所の判断を「処理件数」なる「効率」で計測することは根本的な誤謬です。あるべき指標は「数」ではなく「質」でなければならない。時間がかかっても、処理件数が下がってもいいから、その判断は「質」を優先させるべきだ。断じて「処理件数」という「数」を競ってはならない。

●報道も権力濫用へのフェイルセーフとして機能していない

そして、もうひとつ、日本では「報道」もこうした権力濫用への監視・抑止としては機能していません。稀に例外的に機能することがありますが(村木厚子・厚労省局長冤罪事件における検察の証拠偽造など)その時は「特ダネ」としてデカデカと出るほど、稀です。

ここで、冒頭のカフェラテ事件の新聞記事を見返してください。この文面をどう好意的に読んでも、私は「被害金額50円で逮捕する警察の判断は正当なのか。それを許可した裁判所の判断は正当なのか」という発問を見つけることができません。つまり権力の執行を問いかけることをしていない。権力を監視し、権力濫用を抑止しようという文面ではない。

かつて警察担当の新聞記者だった私の経験でいえば、これは発表文をそのまま形式的に記事の体裁に書き直しただけです。

よく見てください。逮捕された当事者の言い分がどこにも書いてありません。取材しようとぐらいはしたのでしょうか。

「当事者が二人いる場合は、双方の言い分を聞く。片方の主張をそのまま真実であるかのように報道しない」。これは報道の鉄則中の鉄則である「フェアネス原則」です(詳しくは拙著『フェイクニュースの見分け方』参照)

しかし、日本の記者クラブ系マスメディアは、この重大な原則違反を日常的に繰り返しています。

警察署に留置されているのですから、接見を申し込むくらいできます。警察が接見を許さないのでしょうか。そうではないでしょう。もし、この逮捕の正当性を問いかけるなら、そうした手続きを取り、その一部始終を記事にするくらいは書かなくてはならないからです。

新聞社に「この記事はおかしいじゃないか」と直接言ったとしても、こう答えるでしょう。「いえいえ、この記事は警察の発表を正確に書いたにすぎません」と。

これは当てずっぽうではありません。私は朝日新聞記者時代に、警察発表を記事にするときの文体を「そういう逃げ道を作っておくものだ」として教わったからです。冒頭の記事は、まさに、私が33年前の新入社員のときに教わった「警察発表そのまま記事」にぴったり合致します。

こうした警察記事の取材作法とその文体は、33年前から何も改善されていない。逮捕された人を呼び捨てにするのをやめ(そんなひどい時代があったのです)「容疑者」という呼称(その有効性は私にはよくわかりません)を付けるようになった、という字句の修正が行われただけです。

●西欧民主主義社会なら「チアリーダー報道」が日常化

アメリカ英語では、こうした司法当局(あるいは政権、企業)への問いかけをしない報道を"Cheer Leader Journalism"(チアリーダー報道)といいます。日本語なら「提灯持ち報道」「タイコ持ち報道」とでも訳せるでしょうか。

朝日新聞社を含め、日本の記者クラブ系マスメディアが日常的に掲載している記事は、西欧型民主主義国のスタンダードからすれば99%は政権や検察・警察のチアリーダーにすぎません(これはニューヨーク・タイムズなど英語圏の新聞記事を読めばすぐにわかることですが、悲しいかな日本人の大半はそこまでの英語力がないので知らないままになっています)。

こうして、西欧型民主主義社会なら、権力濫用から市民を守るフェイル・セーフとして機能している「裁判所」「報道」が、日本社会では機能してないことが分かります。

●落ちるところまで落ちるフェイルセーフなき社会の恐怖

では、他に私たちを権力濫用から守るフェイル・セーフはあるのでしょうか。

ありません。

ないのです。ゼロです。

ゆえに、日本社会では、いったん検察・警察のターゲットになると、安全装置がなにもない。地面に全身を叩きつけられるまで、止まることなく落ち続けます。

それは命綱やセーフティネットのない状態で綱渡りをしているのに似ています。運良くロープを渡りきれば幸いですが、何人かは転落します。すると下にはネットもないので、地面に叩きつけられて(社会的に抹殺されて)死にます。

そんな、死体が積み重なり、血で染まったロープ下の凄惨な光景が現代日本である。私はそう見ています。


(2019年1月25日記)

(追記)

2019年2月5日になって、検察がこの男性を起訴せずに保釈したというニュースが流れてきたので、補足のため以下にNHKニュースを引用します。

100円のカップに150円のカフェラテ注いで逮捕の男性釈放
2019年2月5日 14時59分

福岡県那珂川市のコンビニエンスストアで、コーヒー用の100円のカップを購入したのに、150円のカフェラテを注いだとして窃盗の疑いで逮捕された男性について、検察は、処分保留のまま釈放しました。男性は被害を弁償する意向を示しているということです。

那珂川市に住む、62歳の会社員の男性は先月、市内のコンビニエンスストアで、コーヒー用の100円のカップを購入したのに150円のカフェラテを注いだとして窃盗の疑いで逮捕されました。

この男性について、福岡区検察庁は4日までに処分保留のまま釈放しました。

警察によりますと、男性は被害を弁償する意向を示しているということで、検察は今後も任意で捜査を進めることにしています。

(以上2019年2月7日補足)


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