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射殺されたリトアニア人監督が遺した  ウクライナ激戦下の市民の生活の記録  「7日間の取材記録に命を吹き込む」   フクシマやツナミと同じ人間の気高さ  この映画には人間への愛がある     ウクライナ戦争に関する論考     2023年3月1日現在

本稿は話題を少し変えて、第二次ウクライナ戦争(2022年〜)下の市民の暮らしを記録したドキュメンタリー映画「マリウポリ 7日間の記録」の話をする。

映画「マリウポリ」チラシ

この映画は2023年4月15日の東京を皮切りに、全国の主要都市で公開される。世界でも初めての劇場公開である。

私がこの映画を知ったのは偶然だ。映画の配給宣伝会社から試写の案内が来たのだ。オンラインで試写を見た。

冒頭写真:殺害されたマンタス・クヴェダラヴィチウス(Mantas Kvedaravičius)監督。特記のない限り、写真は配給会社「アーク・フィルムズ」提供。


●知りたいのはウクライナ市民生活の「日常」

ウクライナ戦争について本欄で分析を書き続けている私は、ウクライナの現地の様子、特に戦闘の中で市民がどう生活しているのか、詳しく知りたかった。

こうした場合、日本の新聞やテレビは取材が浅すぎて役に立たない。欧米の報道動画をYou Tubeで見るほかない。

しかし、欧米メディア発であっても、いわゆる「ニュース」は「戦闘の動向」や「破壊された街や工場」「死傷者」「避難者」「占領」などに力点がある。

つまり「非日常」をニュースにする。欧米のニュースも「戦争とは関係のない日常」を生きている人々が読者・視聴者の大半だからだ。報道機関は視聴者が珍奇に感じるものを「ニュース」と呼ぶ。

しかし、私が知りたいのは「そこにいる市民が、戦争前はどんな暮らしをしていたのか」という「日常」なのである。その日常の営みを知らなければ、戦争によって彼らが何を失ったのかが、わからない。

ウクライナの市民も、戦争が始まる前は「ご飯を食べ、学校へ行き、働き、買い物をして、眠る」という我々と変わらない平和な(そして平凡な)毎日を過ごしていたはずだ。

その「失われた日常」を知って、初めて読者や視聴者は「自分と同じ人間に起きた厄災」として、ウクライナの悲劇に共感できる。これは、私が福島第一原発事故の取材で得た重要な教訓のひとつでもある。

その意味で、私はウクライ市民を取材したドキュメンタリー映画が出ないか期待していた。そこにこの「マリウポリ」が出てきた。

(戦争前2019年と開戦後2022年のマリウポリの違いは下の動画参照)

ウクライナの視点から見たマリウポリ包囲戦の映像記録として"Mariupoli: Chronicles of Hell"(マリウポリ・地獄の日記)がある。

●マリウポリはアゾフ海北回廊の拠点

マリウポリは、ロシア国境から40キロという至近距離にあるアゾフ海北岸の工業都市だ。新ロシア派がウクライナからの分離独立を宣言したドネツク州にある。

ロシア軍はクリミア半島(ロシアの海軍基地セヴァストポリがある戦略拠点)とロシア本土を接続する「アゾフ海北回廊」の拠点として、同市を包囲攻略した。守るウクライナ軍との間で激戦になった(下記拙稿参照)。人口44万6000人(2017年)のうち市民約2万人が死んだ。

最後はウクライナ軍は製鉄工場「アゾフスタリ」に籠城して抵抗を続けたあと、5月に投降。86日間の包囲戦のすえ、マリウポリはロシア軍に制圧された。この顛末は日本でも詳しく報道された。

下はAP通信の報道。

●現地取材7日で占領軍に拘束され殺害

詳しく知るにつれ、愕然とした。取材したリトアニア人監督のマンタス・クヴェダラヴィチウス(Mantas Kvedaravičius 1976年生まれ)は、開戦1ヶ月後の2022年3月、包囲戦中のマリウポリに入った。そのわずか数日後、占領軍に拘束され、射殺体で見つかった。副題が「7日間の記録」になっているのは、現地に到着後わずか7日で、クヴェダラヴィチウス監督が殺害されてしまったことによる。

●基調低音のようにうなり続ける砲声


映画は重苦しい。音楽もナレーションもない。その代わり、どの場面も、ずっと砲撃の音が背景で鳴り続け、画面が振動する。それは平和な国で暮らす日本人の私には経験したことのない音だ。

映画を見ているだけなのに「ズン」という音に体がこわばり、顔がゆがむ。巨大な獣の唸り声のようにも聞こえる。「地獄の音楽」「破壊神の声」。そんな神話的な言葉が頭に浮かぶ。

カメラはそんな中、名もない普通の人たちの姿を写す(下は予告編)。

砲弾の直撃を受け、息絶えた隣人がそのまま横たわる家(だった瓦礫の山)。使えるものがないか探す。ガソリン発電機を見つけて持ち帰る。よく見ると、粉々になった建材に血が付いている。

2022年3月のマリウポリ。

下の写真は、3・11の津波で破壊された自宅跡で、使えるものがないか探す夫婦の姿だ。マリウポリの映像を見て、私は津波の被災地を思い出した。

2011年4月6日、岩手県野田村で。烏賀陽撮影。

●砲撃が激しすぎてカメラは屋外に出ることができない


とはいえ、カメラはほとんど屋外に出ることができない。砲撃が激しすぎるのだ。

そんな中でも、人々は屋外に出る。たばこを吸うためだ。そこに飛び込んできた砲弾のかけらを拾って「アチチ!まだ熱いぞ!」と笑う。そして「笑い事じゃないよ」とまた笑う。

2022年3月のマリウポリ。
2011年4月6日、岩手県野田村で。烏賀陽撮影。

砲声が止むと、がれきの建材を集めて焚き火をする。大鍋でスープを作って分け合う。薬味なのだろうか。枯れ草みたいな植物を放り込む。その時は笑いがこぼれる。

2022年3月のマリウポリ。

下の写真は、3.11の被災地。川で女性が食器を洗っていた。水道・電気などインフラすべてが破壊されたからだ。

それでも人は食事を作り、食器を洗い、洗濯をする。

そうやって生活を続ける。天災だろうと戦争だろうと、人間は生き続けなければならない。

2011年4月6日、岩手県野田村で。烏賀陽撮影。

●3・11の避難所を思い出させる教会地下室

避難所になった教会の地下室で祈りを捧げる。会議室のような狭い場所にテーブルや椅子が密集し、お年寄りがひしめき合う。布団や毛布が敷かれ、誰かが寝ているのは、けが人や病人がいるからだろう。

2022年3月のマリウポリ。

私は既視感を覚えた。3・11の時に岩手県や福島県で見た、原発事故や津波で家を追われた人たちが暮らしていた体育館や公民館の光景を思い出した。

2022年3月のマリウポリ。

●過酷な現実を前にすると人は無口で無表情になる

マリウポリは街全体が消し炭のようになっている。ずっと煙が流れていて、画面がいつも灰色を帯びている。

2022年3月のマリウポリ。

破壊され、建材、コンクリートやレンガのかけらの丘になった場所に何があったのか、想像することすら難しい。どうやら人家があったのだとわかるのは、そこに立ち尽くす年配の男性がいるからだ。

「ぜんぶ失った」。男性はそれしか言わない。黙って廃墟に立っている。

2022年3月のマリウポリ。

それも見覚えがあった。津波で家も仕事場も破壊された人。5年以上におよぶ原発事故避難で、わが家が廃屋になった人。

下の写真は3・11直後に岩手県の沿岸部で撮影したものだ。ウクライナ・マリウポリと日本・岩手県、二人の男性の表情や仕草はよく似ている。

3・11の津波で自宅と仕事場が破壊された男性。
2011年4月6日、岩手県野田村で。
烏賀陽撮影。

彼らは泣いたり叫んだりしない。無表情で無口になる。目の前の現実があまりに過酷だと、人はむしろ感情を喪失してしまう。

映像を撮影した監督自身がすでに射殺され、この世にいないという事実を除いても、映し出される現実は重く、救いがない。

●2015年にもマリウポリを取材した監督

実は、クヴェダラヴィチウス監督が戦火のマリウポリを撮影した映画はこれが2本目だ。第一次ウクライナ戦争中(2014年〜)の同市を取材した「マリウポリ」(2016年発表)がそれだ。日本では公開されていない。

「マリウポリ2」は、監督の死後、かつての「1」の同僚たちが編集を加えて作品に仕上げた。

ある意味「監督の死によって未完に終わった作品」である。

「2」は取材がわずか7日間なので、素材動画が少なかったのだろう。ワンシーンの描写が長く続き、場面の切り替えが少ない。派手な戦争アクション映画やニュース画像を見慣れた身にはやや「退屈」かもしれない。

私はそれを見て「ここまでの取材で監督が殺されてしまった」という悲劇と無念を思わずにいられなかった。というのは「1」を見て、クヴェダラヴィチウス監督がもっと豊富に撮影して、カットの連続で素材動画を惜しげもなくつぎ込んでいることがわかったからだ。

●パート1・2両方見て初めてわかる監督の意図

マリウポリの1作目があることを知って、私は配給会社に頼んで「1」を見せてもらった。それを見ないと監督の作風がわからない。そう思った。

やはり、そこには名もない市井の人々の「普通の暮らし」が記録されていた。

早朝、海で釣りをする父娘。夜、路面電車を整備して運転する人たち。薄暗い店の作業場で、とんとんとひたすら木槌を叩き続ける靴職人。公民館で民族音楽とダンスを練習する人たち。民族芸術の壁画。

約90分の映画で、軍人や兵士は約30分間出てこない。内戦の戦闘や破壊された町並みが出てくるのは最後の20分だけである。

同業者として、クヴェダラヴィチウス監督が時間をかけて丁寧に市井の人々を取材していることがよくわかる。パート1と2を両方見て初めて、私はマリウポリの「日常」と「戦争」を理解した。戦争で市民が何を奪われたのかを知った。

●監督の本業は文化人類学者

クヴェダラヴィチウス監督は「バルト三国」のひとつリトアニアの出身。イギリスのオクスフォード大学で文化人類学の博士号を取り、故郷リトアニアの首都・リビュニュス大学で准教授として教えていた。ロシア語、英語、ギリシャ語、スペイン語など5ヶ国語を話した。

専門は「ヨーロッパの辺境文化」である。そうしたフィールドを訪ね歩くうちに映像を記録するようになり、映像作家として有名になった。

下はロシアとの独立戦争下のチェンチェンを題材にした「BARZAKH」(黄泉の国)である。

●ロシア軍に拘束され死体で見つかる

監督がいつ、誰に、どのように殺されたのか、詳細はわかっていない。誰も目撃者がいないからだ。

ロシア軍の軍事侵攻開始1ヶ月後の2022年3月、かつて訪ねたマリウポリに入ったクヴェダラヴィチウス監督は、アゾフスタリ製鉄所近くの教会に泊まることにした。上記作中に出てくる、避難所に使われている場所だ。だが、ロシア軍が間近に迫っていることを知り、脱出を決心する。

脱出の直前「住民の避難を手伝ってほしい」と住民に頼まれた監督は、地元男性と二人で車に乗って避難所を離れた。翌日の2022年3月28日、住民男性は戻ってきたが、クヴェダラヴィチウスの姿はなかった。

その住民男性の証言:
「二人は建物近くで拘束され、ロシア側は書類を調べた。マンタスはリトアニアのパスポートを 持っていたので服を脱がされ、タトゥーや痣をチェックされた。マンタスはロシア軍と戦うために きた NATO の兵士で、リトアニアの狙撃兵だと非難され、建物へ押し込まれた」

共同監督として、ともに現地に入っていたフィアンセのハンナ・ビロブ ロワが監督を探し続けた。4月1日、青いジャケットを着たクヴェダラヴィチウスの遺体が道路脇に放置されているのをビロブ ロワが見つけた。 

●分かち合い、慈しみ合う人間の姿

2023年2月23日、この映画のプロデューサーであるナディア・トリンチェフさんにZOOMで話を聞く機会に恵まれた。トリンチェフさんも両親がロシアからフランスに移民したロシア系フランス人であり、現在はパリを拠点に活動している。 

Ms. Nadia Turincev on Zoom interview, February 23, 2023.

ーーークヴェダラヴィチウス監督が殺されたときの詳細を教えてください。ロシア兵は監督を「リトアニアから来た兵士あるいは狙撃兵」と誤解したという話を聞きました。
トリンチェフ:それもありえることです。しかし詳細はわからないのです。目撃者がいません。

確かにマンタス(クヴェダラヴィチウス監督)はリトアニア人ですし、肩に傷がある。狙撃兵と誤解された可能性はあります。でもいまは確定した真実はわからない。戦争犯罪として裁判が開かれることを望んでいます。

ーーー誤って撃たれた可能性もあるのですか。
いえ。撃たれる前にマンタスら二人は拘束され、ひとりは無事帰宅しています。マンタスがウクライナ人でないことは明白です。撃たれる前にロシア軍はマンタスを拘束して取り調べをしました。そして解放しようとしなかった。

ーーービデオカメラとか記者証とか、自分がジャーナリストであることを証明するものは持っていなかったのでしょうか。
いえ、もともと監督はジャーナリストではありません(映画監督であり、文化人類学者である、という意味)。バックパックにカメラは入れていなかった。ビデオカメラは共同監督のハンナ(ビロブ ロワ)が持っていた。マンタスが撮影した分も、ハンナが持ってドンバスを脱出し、マンタスの遺体とともにリトアニアに帰ったのです。

ーーー監督が遺したビデオを映画にしようと思ったのはなぜですか。
マンタスが遺したビデオ素材に命を吹き込みたかったのです。映画として存在させたかった。「棚にしまっておしまい」にはできないと思いました。そして、それが私たちにとっては監督の死を悼む過程でもあった。

編集担当や私達プロデューサーがマンタスの葬儀に集まったとき、ビデオを見てみようという話になった。見て結果「ここには映画がある」と見解が一致した。

そこからカンヌ映画祭(毎年5月)で上映してもらえないか、主催者とかけあってみた。締切は過ぎていたのですが、承諾してもらえたので、前作のスタッフ(音響、編集、独仏リトアニアのプロデューサーら)が集まって、1ヶ月で仕上げたのです。

↓カンヌ映画祭でのトリンチェフさん(左)。中央はクヴェダラヴィチウス監督のフィアンセであり共同監督でもあったハンナ・ビロブ ロワさん。

監督の作品はさまざまな映画祭に出品されていますが、カンヌは未経験だった。出品が彼への敬意の表明になると考えました。いずれにせよ、他の選択肢は考えられなかった。

ーーー映画そのものだけでも、非常に大きなインパクトがある内容だと思います。それに加えて監督が取材中に死んでしまったことを念頭に置いて、観客は映画を見るべきなのでしょうか。

もちろん、それはエモーショナルなリアクションを呼ぶでしょう。

とはいえ、監督は繊細で奥ゆかしい表現スタイルです。「ニュース映像」で見る内容ではありませんよね。彼は観客に戦時下のマリウポリの普通の人々の"Life"(生活、命などの意味)をシェアするチャンスを与えてくれています。彼自身がそうだったように。

戦争がすべてを破壊しても、人々は生き続けなければならない。そこに住まなければならない。そこにlifeの貴重なものがあります。料理をし、お互いを世話しあう。

ーーーなるほど。

監督が死んでしまうなんて、計画になかった。監督にはこの作品を編集して、次の作品に取り掛かってほしかった。しかし時間を巻き戻すことはできません。私が夢に見るのは「巻き戻しボタン」を押して、彼をマリウポリに行かないよう止めることです。しかしそれはできないのです。

ーーー私もフクシマの原発事故やツナミの取材に行きました。被災地で、ごく普通の人々が困難のなか、気高さや勇気を見せるのを見て、感動することがよくあります。

それは監督が描こうとしていたものと同じです。人間に共通する普遍的なものだと思います。私達はみんな人間です。人間が人間である理由は、戦争物語の英雄はどこにもいなくて、みんなごく普通の人間であるという事実だと思うのです。

ーーーなるほど。そうい意味で、フクシマやツナミの取材で感じたものと同じものを、私はクヴェダラヴィチウス監督の作品に見出しました。

戦争であろうと天災であろうと、遠くであろうと近くであろうと、人間らしさとは、対象と自分をどう関連付けることができるか、だと思うのです。マンタスの描く世界では、人間は分かち合い、世話をしあい、謙虚です。そういう意味では、マンタスの人間観は、日本の人々には理解してもらいやすいかもしれませんね。

●2022年にウクライナで死んだ記者は8人

パリに本拠を置く国際NGO「国境なき記者団」によると、2022年に取材活動中に死んだ記者は世界で57人。うち8人がウクライナで命を落とした。


もう一度「マリウポリ2」を見直した。そこには「反ロシア」的な要素は何も見いだせない。むしろ「ロシア」とか「ウクライナ」とかの「国家」を超えた、人間の普遍的な姿に監督が愛情を注いでいることがひしひしと伝わってくる。

そのクヴェダラヴィチウス監督がなぜロシア軍に殺されねばならなかったのか、まったく理解できない。そんな「不条理」が毎日起きるのが戦争なのだと言うしかない。

本作は2023年4月15日から東京・渋谷「シアター・イメージフォーラム」で上映される。

(2023年3月1日、東京にて記す)

<注1>今回も戦争という緊急事態であることと、公共性が高い内容なので、無料で公開することにした。しかし、私はフリー記者であり、サラリーマンではない。記事をお金に変えて生活費と取材経費を賄っている。記事を無料で公開することはそうした「収入」をリスクにさらしての冒険である。もし読了後お金を払う価値があると思われたら、noteのサポート機能または

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までカンパしてほしい。

<注2>今回もこれまでと同様に「だからといって、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を正当化する理由にはまったくならない」という前提で書いた。こんなことは特記するのもバカバカしいほど当たり前のことなのだが、現実にそういうバカな誤解がTwitter上に出てきたので、封じるために断っておく。





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