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お母さん!もしかしたら私、海外にお嫁に行くかも!

20歳の時、1年間ワーホリでニュージーランドに住んでいた。

最初の2ヶ月通った語学学校で、その時の私史上一番のどでかいことがあった。

まさかの外国人彼氏ができたのだった。(スイスのお方)

その学校は、9.8割がアジア系で占めているので、彼はとても目立つ存在だった。同じクラスになり、個人的な異文化交流に発展するまで時間はかからなかった。

当時の私は怖いものなしで、日本語を話すように英語を話していた。(英語がペラペラということではなく、コント的なことも、つっこみも日本にいたときと変わらなく英語でしていたという意味)

それが、彼にはおもしろかったようで、クラスで夫婦役をしてから、お互いをwife、husbandと呼んでいたと思う。(遠い記憶)

私は2ヶ月、彼は1ヶ月通う予定で、彼はスイスでの仕事の休暇で来たと言っていた。(はあ、その制度が羨ましい)

初めは、一緒にバスで帰ったり、スタバでコーヒー飲んだり、友人の家でご飯食べたりと楽しく過ごしていた。一緒に帰りたいから彼がバス停に来るのを何時間も待った記憶が今どぉーーーっと蘇ってきた。(遠い目)


ある日、学校卒業したらどうすんの?と聞いたら、元カノがスイスから来て一緒に旅行して国に帰るさ、と彼はさらりと言った。

へー。そうなんだー。(^-^)とかいうわけなく

「は?あんた今何て言った?元カノって言ったよね?」

「え、ええ。言いました。。。。元カノって、うん、まぁ、でもこっちに来るときに別れてきてますし。」

「知らんけど!私たちがこれからもずっと付き合っていくかなんてわかんないけど、少なくとも今は一緒にいるわけやん?よくもいけしゃーしゃーと!」

的なことを、このままのニュアンス通りに完璧に表情と身振りと地団駄と共に伝えられたと思う。


次の日、クラスの担任の先生(現地の人とイギリスの人)に、これは文化の違いでしょうか?とことの全てを話した。

答えは、もちろんNO。

「一瞬、文化の違いで飲み込もうと思ったけど、NOだよ!危ない危ない、あやうく納得しかけるところだったぜ」と私。

もう彼はほとんど言葉を発してなかったような気がする。私の態度に引いたのもあるんだろう。でも、私は全く気にしない女よ的演技ができる程キャパ広くなかったし、完全に私の火山が噴火していた。

会えば、その話しばかりして、

「でも、そんなこと言っても彼女来ちゃうからねー。」とか

「一人で旅行なんて寂しいじゃん?」とか言い出すから

もう、こっちも可笑しくなって彼を好きだった気持ちは薄れていった。

ただ、その間に私の英語力が飛躍的に伸びたのだ。これには今も感謝してる。あの一大事がなかったら、行ったときと変わらないレベルだったと思うから。


話しは戻って、ついに彼の卒業式の日。

彼への気持ちは薄くはなっているが、いなくなってしまう彼と残された私の状況に浸り、一旦涙がでると、これまでの悔しい思いがこれまたどぉぉぉーーーっと思い出され、もう最後は何の涙かわからないくらい泣いた。

そして、彼の旅立ちの日。

さいならーーー。元気でねー。とドライすぎる自分にびっくり。

島を一周して、またこの街に戻ってきた時には会おうと言われ、再会した時に「彼女がホテルで待ってるから行かなきゃ」とか言ってくる始末。いや、もう知らんがな。彼女って言ってしまってるのお気づき?もういいから、お帰りください。と心の中で言い、私のNZでの青春の1つは終わった。

あれから、彼から、やっぱり君の方がいい。君は最高に面白い!とメールが来たりもした。

最高に面白い?当たり前じゃ。そんなの自分が一番知ってるわ!と毒を吐いたりしながら、私のNZ生活はまだまだ続く。



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