残念ながら「あなた」は絶対に不死を獲得できません

ロボットに人間の脳を移植し不死化する人造人間プロジェクトが発足、10年以内に実現化を目指す(ロシア)

 こんな記事を偶然発見したのだけど、自分の過去のブログ(閉鎖済み)でこのことについて書いた記事があるので、せっかくだから載せておきます。

 この記事自体は、苫米地英人『苫米地英人、宇宙を語る』の書評として書いたものでした。

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 哲学者・池田晶子先生がご存命ならば、苫米地氏とどういう議論がなされたか非常に興味がある。無いものねだりだが、脳に精神性を依拠することを徹底的に批判しきった池田先生と、脳にすべての謎を追い求める苫米地氏とでどういう議論になったか……見たかったなぁ。

 この本を買った理由はただひとつ。序章で「スタートレック転送問題」にそれなりの回答が述べられていたから。宇宙のすべてが情報だなんてのは個人的にはとっくにわかりきってる話なのでどうでもいいんだが、転送問題をどう片付けるかが前から気になってたんだよね。
(スタートレックの転送についてはこちら

 簡単にまとめると、地上のAさんを宇宙船エンタープライズ号に転送し、再合成されたA’さんがいる。この際、地上のAさんもそのまま残ってしまったら、いったいどっちが本物なのか?
 これは新井素子『今はもういないあたしへ…』山本弘『サイバーナイト』鈴木光司『ループ』などでおなじみの問題なんだけど、苫米地氏はこれをインテンショナリティ(意図性)という概念で説明する。つまり、Aは転送したいという意図を持った。その意図が成就されたのはA’であって、なぜか残って=失敗してしまったAではない。したがってその意図を受け継いだA’が本物であって、Aは消されるべきだ……。

 うーん、言いたいことはわかるんだけど、Aは徹底的に抵抗しようとするだろうなぁ。だって、Aは「転送しようとしたけどできなかった」という意図とは外れるけど新たな結果を得た存在だから。失敗した瞬間、Aという自我は2つに分裂し、AとA’というパラレルワールド的存在が誕生してしまった。その場合、Aの魂(?)はどうなってしまうのか? A’が「俺が本物だからお前消えなよ」と言っても、絶対に納得できないよね。

 したがって、この本に出てくるように、脳の寿命が約200年で、その後も生きようとしたら全データをコンピューター上に再現すれば、インテンショナリティが継続するから問題なし……というのも、どうにも違和感がある。そりゃそいつ(A’)は納得するでしょう。でも、データを読み取った後の、有機生命体であるがゆえに脳に精神性を依拠せざるを得ない僕(A)は、そのまま脳細胞が死んでいくのを受容できるか? 別の場所で自分(A')が生き続けるとして、この「己」は死んでいく恐怖から解放されうるのだろうか?

 そもそもこの宇宙はすべてが情報である以上、情報というインテンショナリティが維持されれば、宇宙のあり方としては問題ないというのもわかる。苫米地氏の言い方で言えば、抽象性をあげれば、物理世界における有機生命体の僕と、電子情報に切り替わった僕とでは、その両者に本質的違いは無いからね。わかるんだけど、なんとなく気持ち悪いんだよなぁ。
 この気持ち悪さをなんとかするには、スタートレック転送問題のような、AとA’が同時に存在する可能性を絶対に阻止しなければいけない。「残っちゃった僕」という自我の存在がそもそもありえないなら、この問題は解決するかもしれない。『ループ』のようにデータを読み取ったら元は必ず破壊されるとかさ。
 でも、Aを残そうと思えば残せるなら、それを無理して消してしまうのはやはり問題では? いやいや、残すと余計な問題がおきるだけなんだから、消してあげるのがAのため……○○してあげないとかわいそうなAって、なんなんだ???

 こう考えてみると、そもそも死とはなにか? ということから考えねばならないことに気づく。もしかしたら、死は存在しないと喝破した池田先生ならば、この問題をいとも簡単に片付けてしまえるかもしれない。この二人の対談、思ったよりスムーズにいったかもしれないなぁ……。

(2009.12.23記述)

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 とまぁ、こんなことを当時書いたわけだけど、この考えは今でも変わってない。ロシアの研究者はロボットやコンピュータに自我を移すことで不老不死を達成しようとしてるのだが、たしかにこれ自体は将来的に可能になるかもしれない。だけど、それはあくまでもA’であって、私というAでは絶対にない。どんなにインテンショナリティが維持されても、ぶよぶよした灰色の脳細胞で自我を感じる私は生まれ変わらないし、有機的な細胞で寿命がある以上、この僕もこれを読んでる「あなた」も、不老不死は不可能。

 だが、脳細胞は他の体の細胞とは違って「入れ替わらない」からこそ不老不死は無理なんだが、では、少しずつ入れ替えていったらどうか。人間の身体の細胞は約1~3年(年令によって違う)で全て入れ替わっていると言われている。つまり、3年前の自分と今の自分はまったくちがう物質で構成されている(脳細胞以外)なわけで、それ自体には何の支障もない。子供の頃に犬に噛まれた傷、物心ついた頃からあるほくろという情報は細胞が入れ替わった後にも同じように残っている、つまり、インテンショナリティが維持している。
 では、脳細胞も少しずつ電子部品に入れ替えていけるなら、問題は起きないのではないだろうか?
 結果的に入れ替わることが許容できるなら、その入れ替えを一気に行う、つまり、転送やコンピューターへの意識のアップロードでも同じなのではないか?

 そもそも宗教における輪廻転生で天国地獄や来世に行くのも同じような話なのだ。肉体の死によって自我が来世に「再生」される場合、それはインテンショナリティが維持されるから「転生」として機能するのだけど、その自我は肉体として存在していた自分と同じと、本当に言えるのだろうか?
 細胞の入れ替わりが少しずつ行われるのと違い、死による転生には決定的な断絶、線引があり、一気に行われる。エンタープライズの転送と同じで、だからこそインテンショナリティが問題となってしまうのだ。

 逆に言えば、どんなに輪廻転生と言われたって、今の僕は前世のことをまったくさっぱりといっていいほど覚えてない。記憶ゼロ。であればインテンショナリティは維持されてないから、魂が転生してようがしてなかろうが、前世の自分と今の僕はなんの関係もないとも言えてしまう。
 そもそも、輪廻転生する主体として一般的には魂を想定するけど、魂とはなにか? スタートレックで言えば魂とはインテンショナリティとしか言い様がない。それが維持されていないなら、転生とはいえないのだ。

 さてさて、ロシアの研究が上手くいったとして、それはどういう形で受け止められるのだろう?

 おそらくだけど、有機体である自分が死ぬことは受け入れるしかなく、同じ頭を持つ「子供」を生み出すような感覚になるだろうなと、僕は思うわけです。どうしようもないから、諦めて受け入れるしか無いよね。
 もちろん中には、転送された人間、コンピューターへアップロードされた意識が継続することが自らの不老不死と受け止められる人もいるかもしれないけど、では、そういう存在を外から見ている「あなた」は、何者なんでしょうね?

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