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人生最後の自殺企図

別に何をしたかを書くつもりはない。
勘のいいみんなならわかると思うので。
どんな方法だったかも書く予定はない。

私が1番嫌っている方法だったので。

あまりにも弱い私は、自分の網膜を彩る赤をじっと見つめて、あー、3年ぶりに吐血しちゃったなぁなんてぼんやりと思っていた。

真っ暗な中で、全く知らないどこの誰かもわからない顔もわからない人の手を一生懸命握りかえしたら、「よかった。」って言われてそれだけのことなのになんだか泣きそうになってしまって、やっぱり私は死んだ方がいいみたいで「(いきてて)ごめんなさい。」って謝ったら謝らないでと言われてもう八方塞がりだった。

本当に死のうと思って死に酔いしれて陶酔して、死より私を温めてくれるものはないと硬く信じていたので、人間の体温とかそんなもの、その時の私には微塵も感じなかったのだけど、後で人に物理的に触れて、ああ、人間って暖かいなって思った。

あなたがあたたかいのと同様私もあたたかいのだろうなって思った。

何年も何年も考えに考え抜いた1番迷惑をかけない死に方で死ぬ予定だったのに、気がついたら助かっていて、広い広いERにいた。景色はよくわからなかったけど、ERってこんなんなんだなってぼーっと考えていた。

少し動かすたびに吐く私にたくさんの袋が当てられて、息が吸えなくて、激しく震える身体には酸素マスクとタオルがかけられていて、ああこれからどうなるのだろうと思ったら「いまから集中治療室にいくからね。」と言われてこの今までと地続きだった現実が一体いつまで続くのかわからなくて恐ろしくなった。
今までも長くて長くて仕方がなかった"時間"があまりにも長く感じられて本当に死んでしまいたいって何度も思った。
多分その方が誰にも迷惑かけないし。

いつ着いたのかはわからないけれど、集中治療室に着いた時にはまた私は服を脱がされて裸で髪も洗われて、それを色んな人がみていて、なんか現実味を感じなかった。

耐えずに口からこぼれてくる唾液とか胃液とか胆汁とかが酸素マスクに溜まって息ができなかった。
もうこれでいいやって、このままゲロに溺れて死んでもいいやって思ってたら必ず誰かが顔を綺麗に拭いてくれて、泣きそうになった。

辛かったのも知ってた、迷惑をかけるのも知ってた、死ぬほど苦しいのも知ってた、でも私には必ず死ねるという自信があった、自信があったから迷惑をかける頃にはもうこの世からいないんだろうなって、責任持って逝きますよ。って思っていたのに、死ぬのは生きることよりずっとずっと難しくて、思えばインフルにもコロナにもなったことがないし、風邪すら引かない私が私を殺すことなど不可能なんだって思い出したよね。


死ぬことも生きることも人間の権利だと思うけど、でもその死ぬ権利をあまりにも簡単に与えられないのはどうしてだろうかと思う。

EICUにはほかに患者さんがほとんどいなくて、居ても入室してすぐ目覚めてご飯食べて帰る人ばかりで、その人たちは生き残れて嬉しかったのかなとか、先生も看護師さんも私じゃなくてその人を助けたかったよねごめんなさい、とか一睡もできないままぐるぐる考えてた。
ずっと鳴り響くモニターの音とそれから機械音になった自分の鼓動の音、たまに飛んでなくなってしまう鼓動の音を感じながらずっと考えていた。

私があなたのように、
目が覚めてよかった、生きててよかった、助けてくれてありがとうみたいな純粋な感情を抱けていたらどんなにか人生が美しかっただろうと思うよ。

もちろん助けてもらったことはうれしいし感謝もたくさんしている。前と違ってたくさん感謝もごめんなさいも伝えられたはずだけど色々考えてしまった。


横の患者さんとはベッドのカーテン以上に大きな隔たりみたいなものを感じていて、"望まれて生きている人"と"望まれもしない上にさらに死にそびれて迷惑をかけている人"の差が突きつけらて苦しかった。

苦しくて、苦しくて何度も過呼吸になった。
一年前までは歯学部の学生をやっていたので過呼吸がどういうものなのかはたくさん勉強していたし、息をそんなにも吸わなくったって良いことくらいはわかるのにそれでもしんどくて何度も何度も何度も何度も肩で息を吸った。

大好きなダンスをしている時だってそんなに息が切れたことがなかった、それくらい本当に何度も吸った。
私の呼吸が乱れて、声を上げるたびに看護師さんや先生が来て、落ち着かせてくれてそれが余計に申し訳なくて、もう涙と唾液と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で何度も何度も謝った。本当にごめんなさい。

どうやって償ったらいいのかわからないや。
肝臓でも腎臓でもくれてやるので、そうしたら許してもらえますかね。


あまりにも苦しくて本当に苦しいと言う声がずっと漏れた。
この場にいる誰にも私をどうすることもできず、(対症療法的なことはできるが根本的な解決はできない)私ですら私をどうすることもできず、かと言って意識がちぎれるわけでもなく、ずっと現実は今、ここにあるわけで、なんで私はこんなに普通の人が毎日向き合っている現実というものがこんなにもしんどいんだろうなってまた苦しくなった。

苦しいと泣けば担当の看護師さんがずっと手を握ってくれたり、担当じゃない知らない看護師さんも私が眠るまでずっと肩や胸を撫でてくれたりしてそれだけが唯一の安心感で救いだった。頭が上がらない、本当に。


私は睡眠薬を飲んでも抗うつ薬を飲んでも抗不安薬を飲んでも抗精神病薬を飲んでもうまく眠れないし、何度も起きるし、明日が来るのが本当に過呼吸になるほど怖くて、毎日が苦痛で仕方なかったのに、そんな私を見て、
「大丈夫だよ、かならず眠れる、ゆっくり息をして。そう、大丈夫ねるまでずっといるから。寝たらきっと楽になるから大丈夫。」
っと言ってくれる人がいて、本当に眠るまでそばにいてくれて、ICU3日のうち1時間だけだけど眠れた時は本当に嬉しかった。

あれだけ死に陶酔して、死に恍惚さえも感じていたのに結局人間の暖かさにぐんと引き戻されてしまった。
結局人は人の力なしでは生きられないし人は人によって殺されるのです。
でもどうか生きるなら、もう人の温かさだけを受け取っていきたい。
もう暴力に塗れた世界はいやです。

今日もまた明日が来るし私はそのことが苦しくてたまらないし、起きたらどうせ精神病棟だし自由はないし、狂人として生きる意味合いなんて一つもわからないけれど、いつかいつかいつの日か、日の目を見れたらいいなぁなんて思いました。

そうしたらその時は私のしてもらったように私もたくさんの人の救いになりたいですね。

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