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記憶の断片(入院生活)

「Aライン。」と、誰かの指示が聞こえる、そう、あの日のように。腕に広がる鈍い痛みと共に懐かしさが頭にじんわりと広がる。

服を全て脱がされて、裸になった。

あの時、どんなに願ってもかけてもらえなかったタオルを、裸の身体にかけてくれた。ありがたかった。

ストレッチャーをガタガタ揺らすほど酷い身体の震えもまた懐かしくて、情けがなく。震えが治るまで必死で息を吸って耐えていたら、誰かが私の背中をずっとさすっていてくれていた。

両手を伸ばして入ったCTの機械の中で、「息を止めてください。」なんて無茶なお願いをされて、笑ってしまった。

身体の中が、心臓の周りが、まるでいきなり氷水をかけられたかのように冷たくなった。
何も言われずにかけられた酸素マスクの中で「冷たい。」と呟いた。

それを聞いた看護師さんが「寒いの?」と聞き返した瞬間に、口からは大量の胃液が溢れ出ていた。
「あ、吐いた!」と、言われた。
だんだん目の前がぼんやりして何が何だかわからなくなった。

「集中治療室に行くからね。」と言われ、すぐにベッドが動き出し3秒でエスカレーターに乗せられた。エスカレーターの中では看護師さんが扉に引っかかり、扉がなかなか閉まらなかった。

『3』のボタンが押されて、ああこの病院の高度救命センターは3階なんだ、あの日あの時入院した病院の高度救命センターは4階だったよなってふと思い出した。

ICUに着いた瞬間に、どういうわけかまた服を脱がされた。寒かった。夏なのに、外は夜でも汗ばむくらいに暑かったのに、私の身体もたくさん汗をかいていたのに、寒くて凍えていた。

裸に、酸素マスク、Aライン、尿カテ、心電図の管、パルスオキシメーター、点滴、点滴、あまりにも情けない姿だった。

その後も吐き続けていた。本当に看護師さんや先生に申し訳がなかった。

手足が上手く動かせず、吐くための袋を持つことが出来ずに、ベッドに敷かれた紙のシーツのようなものにずっと唾液やら緑色の液体やらを吐き続けていた。

途中から、口元に袋を当ててくれてそれがすごくありがたかった。


このあたりで、あれ?私って人間かな?って思った。


それからは薄暗いICUの中で、必死で息をしていた。持続的に送られてくる酸素を必死で吸い込みながら、今の私にできることはこれだけだと信じていた。

血圧、脈拍、spO2はどれも正常から離れていて、それを知らせるモニターのさまざまな音を、私の脈拍を刻む音を、一晩中聞いていた。
一睡もできない中、ずっと同じリズムで刻まれる音を、聴き続けていた。頭がおかしくなる、と思った。

朝になったのか、薄暗いICUには人気が戻ってきていて、私に優しかった看護師さんが戻ってきて安心したのも束の間、また私は服を脱がされて、清拭と陰部洗浄をされた。

「管が入っているから、ごめんね。」
と言われながら、下を洗われた。しんどかった。
洗うために尿カテが動かされると鋭い痛みが膀胱に走る、ICUに私の呻き声が響く。
ごめんね、と謝る看護師さん、「私のせいなんです、ごめんなさい、謝らないで。」と思い続ける、気持ちはいつも陰部洗浄中は羞恥心に負けて声にならない。

「寒いと思う、ごめんね、すぐ終わらせるからね。」
という声が聞こえると共に身体が拭かれ、案の定私の身体はガタガタと震えだした。

全てに耐えて全てを終えて休んでいると、夜勤を終えた看護師さんが私のところにやってきて、しばらく雑談をしてくれた。本当に本当に他愛もない話。好きなアイドルとか最近流行りのメイクとか、そういう話。
前の入院と違って声を出せることがとてつもなくありがたく感じた。

その看護師さんは私に手を振って帰って行った。

いつのまにか日勤の人に入れ替わっていた。

この頃から私は身体の苦しみと同じくらい精神の苦しみを感じることが多くなり、苦しいと声を漏らすようになった。嘘、叫んでいた。
「苦しい、すみません、ごめんなさい、ごめんなさい、苦しいよ。」と。
私は普段叫ぶことはないのに、この時だけは自分の声の大きさを調節できなかった。

誰に何を謝っているのか分からなかった。
目の前の看護師さん???先生???それとも私自身???友達???23年間の人生に???何に???
何に謝っているのか分からないまま私は懺悔し続けた。

その私の手を看護師さんは両手で握り、私の横にしゃがんでずっと撫で続けた。
絶対足はきついだろうにずっとずっと撫で続けてくれた。1人じゃなくて、私の担当の看護師さん、みんな、1人ずつ撫で続けてくれた。
こんなバカな精神疾患の患者に...ごめんなさい、と思った。

看護師さんがいなくなると、不安になるのかわからないけれど、気がついたら過呼吸になっていた。患者さんが過呼吸になった時は〜ってあれほど対処法を習っていたのに、いざ自分がなると何もできなくなった。本当に。どうしたらいいのかまったくわからなかった。
ぼんやりとした混乱の中、ひたすら呼吸を続けるしかなかった。

先生と看護師さんがきて、バイタルを確認して、一緒に息の吸い方を教えてくれた。

先生の言うとおりに息をすると、割とすぐ治るのに、「顔色良くなってるよ!」と言われるのに、しばらくしたらまた逆戻り、また過呼吸になって、もうどうしたらいいのか分からなくなった。

そんな私をみて、先生が抗精神病薬を静注することに決めたのだが、私はそのお薬が効かなかったらどうしよう、ただそれだけのことがすごく不安に感じられて、今度は息が吸えなくなり、身体が引き攣ってしまうようになった。

引き攣りは一瞬で治るものの、何度も何度も続いた。

もう私は本当にダメになったのかもしれない、そう思った。

気がついたら知らない看護師さんが横にいて、しゃがんで私の手を握り、「大丈夫だよ、今お薬作ってるから、大丈夫。必ず眠れる。寝たらきっと楽になるから。大丈夫。」と言いながら、私の肩を等間隔でトントンしてくれた。

それは子供の頃に保育園の先生にしてもらったそれにすごく似ていて、まさか23歳になってもそれを経験できるとは思っていなくて、そして想像以上に安心感があり、次第に身体の引き攣りは治り、意識がどんどん遠くなっていった。

次起きたのは1時間後だった。
起きてすぐに猛烈な吐き気に襲われて吐いた。

吐いて、また眠った。

気がついたら目が覚めていたけど、覚めているのは目だけで身体が動かなかった。声も出せなかった。トイレに行きたいと言う思いも届かず虚しく垂れ流した。動ける時にとった水分を全て吐き戻した。どういうわけか全てが振り出しに戻った。

この時、私以外患者さんが誰もいないICUのすみで看護師さんが2人ずっと楽しそうに話しているのをずっと眺めていた記憶がある。
今の私には誰かと楽しく話すみたいなのは、遠くの世界の出来事で、いいなぁ私もああやって誰かと楽しく話したいってずっとずっと願っていた。

時折、看護師さんが先生を呼び、先生が私の胸やお腹の音をきいて、看護師さんと何かを話していた。

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薬が効いていたのか、次起きたら夜でICUは真っ暗で担当の看護師さんもいつの間にか変わっていた。
起きて、また心が苦しくなって、「苦しい、しんどい。」と声を上げたらその初めての看護師さんもまた、今までの人とおんなじように私の横にしゃがんで手を握ってくれた。ずっと。私が安心するまで。忙しいのに、申し訳がなかった、本当に。

結局その日の夜は一睡もできず、一晩中苦しみや、2日間胃にものを入れていないため起こる空腹に耐えた。

もう無限かと思われたくらい長い夜を耐え忍んでいたら、朝になったのか、ICUの電気がつき、人が増えた。

7時ごろにAラインを抜いた。
看護師さんがしばらく圧迫止血をしたあと、「2時間後にまたテープ剥がしにくるね。」と言って、テープを貼り、テープに「9時」と書いた。
そのことで、「あぁ、今は朝の7時なのだ」ということが解った。

前回の入院でも今回の入院でも動脈からの採血は8回したらしいが、記憶にない。起きていたはずなのに記憶にない。

しばらくすると夜勤と日勤の人が入れ替わり、1日目の看護師さんが挨拶に来てくれた。

朝食も用意してもらった。
まだ吐き気はあったもののだいぶ良くなり、ご飯を一口程度なら食べられるようになった。

しばらくすると「今日の午後3時頃に退院できるよ。」と言われた。
この無限かと思われた生活に終わりが見えてホッとしたが同時に実生活をちゃんと送れるか不安になった。

昼過ぎ頃、そのことを看護師さんに伝えた。

思っていた以上に優しくて温かいアドバイスをもらい、でも本当にその通りでいいのかな?ゆっくりでいいのかな?ゆっくり回復なんて甘えじゃないのかな?もっとちゃんとしなきゃダメだよね、と不安になった。

でも今の私が元気だった頃の私のように生きてはいけなそうなのでゆっくり休むことにした。

生きているだけでいろんな傷が増え、治さなきゃいけないものが増え、途方に暮れる。
こんなにたくさんの方に優しくしてもらっても、やっぱり死んだ方が早いんじゃないか、とか、迷惑かけたことを死んで償う、とかそういう思考になる。

だから精神科に入院しなさい、と言われるんだろうな。

今は前向きに〜とかとてもじゃないけど無理で、
今日も鬱に苛まれて薬を飲んでずっとベッドで過ごしていたけど、いつかこの暗闇のトンネルみたいな日々に終止符を打てたらいいなぁと思った。

そしてその時はもっともっと今回の入院で得た優しさを真正面から抱きしめたいな、と思った。

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