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好きと言われる苦しみ。

Twitterはなんとなく愚痴を吐いたり、とりとめもないことを呟きたかったから始めた。
特に誰かに見てもらいたいという感情はなく、ひっそりと言葉を吐き出し続けていたいなぁと思っていた。

フォロワーとか特にこだわりはなく、アカウントを大きくしたいなどといった目標もなく。

ただ、実際アカウントは私が想定しているよりも大きくなった。

Twitter全体で見たら全然大きなアカウントではないが、どこかの誰かの愚痴垢にしてはまあ大きい方で。

それゆえに色々な言葉を投げかけられるようになった。

その中には嬉しい言葉もあれば悲しい言葉もあるし、よく見知らぬ他人にそんなことが言えるなぁと思うような言葉もあった。

君の、その、端末の向こうには1人の人間が血の通った人間が生きているんだよ。

見えないところでやる分には全然構わない。鍵垢引リツとか。私が知らないところで私のことを「死ね」とか「消えろ」とか言っても、私が知らなければ私的には言っていないに等しいのでどうぞご勝手にとしか思わない。

ただ見えるところでやるのは話が別で。
しかもそういう行為は私より歳上の人がやっている。

よくまぁ自分より歳下の人間にそんなことをするよなぁと思いつつ、ここまで想像が及ばない人がいるのだなぁと虚しくなる。
(SNSとはそういうものだけど)


それよりもっと虚しいのは私のことを「好き」と言っておきながら、私が作った勉強の資料を受け取っておきながらブロックをする人。

別にブロックすることやブロ解することは悪いことではないし、むしろ好きでもない人をフォローし続けるのはしんどいと思うので全然するべきだと思うのだが、「好きです!話せて嬉しい!」とか言っておいて、その人が勝手に描く私の理想像と実際の私が違っていたらブロックするのはなんだかしんどいなぁと思う。

私だって好きと言われれば嬉しいし、嫌いと言われれば悲しい。
特に「好き」なんか言われたらそりゃあそりゃあ嬉しくて舞い上がる。好きなんて何度言われても初めて言われたかのように嬉しくなる。

たくさん好きと言われても、好きと言われることに慣れることはない、ずっと嬉しい。

でもそうやって、好きと言われて舞い上がっていてもしまいにはブロックされる。
好きと言われて喜んでいたころの自分を思い出して虚しくなる。
やり場のない感情だけがどんどん募ってゆく。
(まあ、のちのち嫌われる私がよくないと思うんだけど。)

私はTwitterをやり始めてもう11年くらい経った。なのでブロックもブロ解も慣れているし、なんなら5chに晒されたこともある。
それでもまあSNSはそんなもんだよなぁと思いながらダラダラと続けていた。

し、その頃は「好きです!」とか「ファンです!」
とか言われることがなかったので、好かれた人に嫌われる(ブロックの理由はさまざまだと思いますが私は基本的に全てをマイナスに考えてしまうのであーみんな私のことが大嫌いになっちゃったんだーとか思ってしまう)という経験をしたことがなかったので楽だった。

シンプルに慣れでもあると思う。
11年ずっと、好きですとか言われながらブロックされ続けていたら流石に慣れるかもしれないが、好きですといわれながらブロックされるのはここ最近のことなのでまだ気持ち的に慣れていなくて苦しいのである。

あ〜私のこと嫌いになっちゃったんだな〜。
でも無理ないよなぁ。
例えばnoteを読んでくれた人が私のTwitterを見たら口が悪くてびっくりしちゃうかもしれない。

口も性格も悪くて無理!ってなっちゃうかもしれない。

斜に構えた感じを出しつつ、でも本当は承認欲求をドロドロさせてて自撮りとかあげちゃうところが嫌なのかもしれない。

不幸ぶってるのに、たまに「幸せ💗」とか言ってるのを見て裏切られた気持ちになるのかもしれない。

他にもまあ、嫌われる理由なんて想像してもし尽くすことができないし考えるだけ無駄なんだろうけど、一個一個「あ〜」って傷つくのである。

リアルの人間関係の方がSNSの人間関係よりうまくいくタイプ(?)(みんなそうだよね?)なので、SNSの嫌いだったら切るとか好きとか言っておきながら切るみたいなのがあまり慣れていないし、やっぱりうけいれられない。

私が悪いのはわかってるけど、喜ばせておいて、くそーー!なんて思ってしまう。本当に。
仕方ないとは思いつつ、あの日の喜びはなんだったんだろうか〜ってなる。

🍑🐻‍❄️ちゃん、大好き。

そんな言葉が日に日に信じられなくなってくる。
どうせあなたも、なんて思ってしまうようになった。

好きに永遠はない。
私はそれをわかっている。だから他人に対して好きを伝える時は、この人がどうなろうと私はずっと好きでいる、そういう気持ちで伝えている。

が、みんながみんなそういう感じではないのはわかっている。わかっているのだが、私に好きと言ってくれる人は、上記の私のように"何があっても私のことが好きなのだ"と思って言ってくれていると勝手に勘違いしてあとあと落ち込むのである。

それだけ。
noteもTwitterも思いの外いろいろな人が見てくれているからそれに伴って今までは抱かなかったような感情を抱いてしまうようになったなぁという話でした。

おしまい。虚しい。

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