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コトバアソビ集「アハハの日」(副題:母の日に贈るなギフトセレクション)(掌編小説)

「ありがとうね」
 笑顔が頬にひりつく。息子からのプレゼントは北欧ブランドのエプロン。
(何千円かしら。一万とかするのかしら)
 そんなお金があったら貯めておきなさいよ、と心で呟く。
 母の日、息子夫婦が来るというので時間を作った。昨年末に夫が死んで一人暮らし。息子なりに気遣ってのことだろう。しかし、依子は嬉しくない。(好きな俳優さんの映画が封切りだから見に行きたかったのに)
 昨年末まで介護に追われていた。夫が亡くなった時に感じたのは悲しみよりも開放感だ。半年が過ぎて諸々の手続きも落ち着いてきた。今は、一人の時間を大事にしたい。
 
(お嫁さんにも悪いわ)
 息子夫婦は共働きだ。子どもがいない分お嫁さんもバリバリ働いていると聞く。せっかくの休日を潰して申し訳ない。
「前に来た時に、母さんのエプロンがほつれているのを見てさ。俺が言ったんだよ、いいエプロンを贈りたいって」
(おやおや、頓珍漢なチョイスは息子の発案だったのね)
 ドヤ顔の息子に対してお嫁さんは微妙な表情だ。
(ん?)
と思った。
 もしや息子、お嫁さんに対してもこんな微妙な善意を押し付けてはいないだろうか。エプロンは還暦の依子でも知っている位、女性には人気のブランドだ。選んだのは妻の珠紀さんだろう。
「ねぇ慶太郎。もしも『妻の日』なんてあったら、珠紀さんに何を贈る?」
「え?うーん。やっぱりエプロンかなぁ。こないだの誕生日にはパスタマシンを贈ったんだ。こいつパスタ好きでさ、前に外食した時に生パスタ美味しいって言ってて」
 またもお嫁さんは微妙な表情。
 あ、これはダメだ。言ってやろう。
「あんたそれで、珠紀さんにパスタ作ってあげたの?」
「いや、俺は料理下手だから」
「・・・・はぁ。アンタ。そういう所お父さんとそっくり。どうせ買う前に相談もしなかったんだろ。珠紀さんごめんなさいねぇ」
「あ、いえ・・」
 お嫁さんとの間に、主婦にしか通じない雰囲気が伝わる。
「ほんと発想がおんなじだわ。お父さんはね、蕎麦が好きなあたしの為に蕎麦打ちセットを買ってきたことがあったよ。後から聞いたら結構なお値段でね。正直、それならそのお金で美味しい蕎麦懐石でも奢って欲しかったねぇ」
 お嫁さんの口元がくすりと笑う。
「ねぇ珠紀さん。あなたなら母の日のプレゼント何を選んだ?私じゃなくて自分のお母さんとか」
「今年は小ぶりのバッグを贈りました。こちらにもバッグにしたかったんですけど、好みをお尋ねしようと思っていたら慶太郎さんがエプロンがいいって」
 息子の慶太郎だけがキョトンとしている。
 ここは女親として教えてやらねば。
 
「あのね慶太郎。そりゃエプロンもパスタマシンも喜ぶ人はいるよ。でも何より、贈る相手に好みを訊くのが一番大事じゃないかね」
「それじゃ貰った時の感動がないだろ」
「身内でそんなもんいらないよ。あのねぇ、あたしがオシャレして家事をしても誰に見せるんだよ。何より主婦にエプロンってのが安直過ぎるよ。まだ中学や高校生の子どもが贈るなら微笑ましいけどあんたはもう大人だろ?」
「何だよ、何が悪いか分からないよ」
「昔お父さんからもエプロンを贈られたけどねぇ。あたしだけかも知れないけど、こう感じたよ。『家事はお前の役目だろ』って言われたような。蕎麦打ちセットだってお父さんが作ろうなんてしなかった。『お前、いつ蕎麦作るんだ?』って催促した位。どれだけ面倒か分かってないんだねぇ」
 息子は黙り込んだ。
 そしてお嫁さんの方を見て
「パスタマシン、嫌だったか?」
「嫌っていうか、相談して欲しかったな。かなり大きくて場所を取るし」
「あたしの想像だけど、そんなものよりロボット掃除機の方が嬉しかったんじゃないかい?」
 お嫁さんは頷いた。
「慶太郎は朝パン派だろ。よくパン屑ポロポロ落としてたけど、あれ治ったかね」
 息子が気まずそうに目を逸らす。案の定だ。
 
 依子は腰を上げ、すっかり冷めた紅茶を淹れ直す。
「『プレゼントを買ってあるから持って行く』って連絡くれる前にこっちの意見も聞いて欲しかったねぇ。前もって訊かれていたらこう言ったよ。『そんなことしなくていいから、休日は夫婦でゆっくりしなさい』って。珠紀さん、もう決めておこうね。今後こういうやりとりは一切しなくていいよ。私も若い頃は働いていたから、仕事と家事の両立が大変なのは分かる。そのくせ世間はまだまだ、家事は女の仕事って概念が・・あ、そうだ」
 依子は開封したプレゼントのエプロンを息子に突きつけた。
「これ、あんたが使いなさい。そうだそうだ、それがいい」
「ええ?」
「いいじゃない、可愛い花柄で。あんた一人暮らしの時はチャーハン位は作ってただろう。休みの日はこれ着て珠紀さんにお昼でも作りな」
「お母さん・・・」
 お嫁さんの顔がぱあっと明るくなる。
「パスタマシンもね、作るのが好きな人はいいよ。でも妻だから、主婦だからエプロンや調理家電って安直すぎる。何よりねぇ、ほんっとーにこれだけは言っておく。主婦なんてお金の遣い方にはシビアなんだからね?何か贈るなら相手の希望を聞くのが一番!それにこのトシになると手頃な欲しい物は大体持ってるんだよ」
「・・・・」
 息子は黙り込んでしまった。
「あんたの今までの善意が無駄ってことじゃないよ。気持ちは嬉しいのさ。でも、あんたからもらえて一番嬉しいプレゼントを、言っておくね。あんたら二人が仲良くやっていくことだよ。ついでに言うけど、あたしがほんとーおぉに欲しいものはお金じゃ買えないの。時間と健康!若さ!ね、贈りようがないでしょうが」
 最後は三人で笑った。
 
「やれやれ、このトシでまだ息子に説教することがあったとはね」
 息子夫婦を玄関で見送り、依子は呟く。
「気持ちは嬉しいのさ、気持ちはね・・・」
 テーブルに出したままの夫の写真を見る。
 夫も不器用な人だった。善意のボタンをしょっちゅう掛け違えていた。嫁の珠紀さんの表情に自分と同じものを見たのだ。善意は嬉しい。嬉しいから、ちょっと違うと思っても言い辛い。
「あたしも、若い頃に言っておけば良かったかねぇ」
 写真に呟き、クスリと笑う。息子のドヤ顔は夫に似ていた。大きな蕎麦打ち用の鉢を抱えて帰って来た夫の顔と。
 
 次の週末。依子は息子に電話を掛けた。
「蕎麦打ったんだけどね。いるなら冷凍して送るよ」
 息子は電話の向こうで大笑いした。
『俺、パスタ作ったんだ。母さんもいる?』



(画像は写真ACより シャンシャンPandaさんの作品です)
 

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