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遊戯王は障害物レース

 障害物レースを知っているだろうか。プレイヤーが競争をする。その途上には様々な障害物が置かれている。それらを越え、競争相手よりも早くゴールに辿り着く競技だ。有名なものは小型飛行機によるエアレースと呼ばれるものだろう。また、創作の中では街の中を飛んだり渓谷の隙間を飛んだりと(飛行機、と呼べる機体ではないものもあるが)多様なレースがある。
 そして、このようなレースは遊戯王、というよりも勝敗のあるゲームに似ている。相手を妨害したり、見えている障害物を回避したり、そして相手よりも先にゴール≒勝敗に辿り着く。

 この記事を読んでいる人はいま遊戯王プレイヤーである人、もしくは過去に遊戯王プレイヤーであった人、未来に遊戯王プレイヤーになるかもしれない人だろう。もしくは似たようなカードゲームをやっている人。しかし、全く興味も無しに覗く人はほとんどいないと思われる。
 このnoteでは遊戯王カードゲームに於いて、プレイヤーのあいだに壁があることを指摘する。これは不健全なものではない。むしろ喜ばしいことだ。社会に対する主張の一派であるポリコレが全世界にその主張を押し付けようとするような不健全さはどこにもない。むしろ分断があることこそが救いである。すなわち住み分けができているということなのだから。
 ただし、これは遊戯王、いやカードゲームだけに留まらない。筆者が遊戯王というゲームをプレイしているため遊戯王を題材にしているだけであり、他のゲームでも起こりうることなのだ。もっとも、遊戯王ほど大きなコンテンツであればこそ充分に可視化されているのかもしれないが。
 前置きはここまでにして本論に入ろう。また、ここで述べたことは全て私見であり、正確なデータを基にした論文とは、バリアン世界とペンデュラム次元ほどに距離があるものである。

1.プレイスタイルの違い

 あなたがゲームプレイヤー(以下GPと呼称)だとする。あなたは何かのためにゲームをプレイしているはずだ。勝利の喜び、相手の敗北、仲間との交流、自分の思考の練度、あるいは惰性。何でもいいが、そこには何らかの目的が存在しているに違いない。
 しかし、それは相手も同じだ。

 エアレースに何を求めるか。見えている障害物を回避する? 単純にコースを飛びコーナーを曲がる速度を競う? 相手の妨害を躱す? 自機の性能を見せる? 自分の技量を見せる? その目的は、ゲームと同じだ。

 遊戯王は、これらの要素を複合的かつ最大限に発揮できるゲームだと思う。

 ただし、目的が違う者同士が争えばレースが成立するのは困難だ。速度性能を限界まで上げた機体が妨害性能を高めた機体の相手をすればクラッシュする危険性は大きく、曲芸飛行相手なら速度で突っ切れば勝てるし、障害物設置機能を搭載していれば。稀によくあることだが、回避性能が非常に高く速度も速い化け物機体や異常パーツも登場する。が……ほとんどは興行主であるKONAMIの規制が入る(自分で発売しておいてそりゃ無いですよ、と言いたい時もある)。

 少し横道に逸れたが確認しよう。遊戯王は、「障害物を自分で設置でき」「機体(デッキ)性能のパラメータを操作でき」「速度勝負も曲芸勝負も可能な」「勝敗を競う」ゲームである。だから、多様なGPが存在する場合に、そのゲーム性の衝突が発生する場合がある。
 ここでの障害物とは、行動に制限をかけるもの、灰流うららやエフェクト・ヴェーラーのように行動を潰すものや、マクロコスモスのように行動を妨げるものを指す。Ⅳが嫌いなものでもある。

 有り体なことを言えば、「ガチ」と「ファン」のGPが求めているものが違う、となる。麻雀で例えてもいいかもしれない。満貫以上、できるなら役満を狙う人と、最終的に収支がプラスになればいい人と。
 相手としのぎを削る勝負がしたい人と、相手や観客に動きを見せたい人と、求める地点が違えば話が噛み合わない。エンジンと機体の耐久性にフルチューンした人とインメルマンターンを見せる人がレースをすれば、そりゃ速度が速く真っ直ぐに飛ぶ方が勝つ。最初から勝負の基準が違う、それだけの話だ。

 曲芸で魅せたい人がモンスター4体で殴らずスカルデットに変換しさらに動きを広げようとするように、障害物を設置し相手より早くゴールを目指す人がうららに墓穴を打たせヴェーラーを通すように、勝負の領域が違うものを比べてもあまり意味は無い。しかし、実際の決闘では異なるタイプが対決することはままある。不幸な衝突──と言うのは不作法だろう。先にゴールするという勝利条件は同じなのだから。

 ただし、障害物の設置もその回避も技術、曲芸の一種であることには間違いない。滑らかな動作、高速で動いていることを忘れるようなむしろスローに見える飛行、限界まで絞られた機体。それらを支える操縦者の技術。これらも芸術の1つだ。強さを求めた結果洗練されて美が生まれる。オタクはこういうの好きでしょ。

 ともかく、自分のデッキやプレイについて、何を目標としてデッキを組み、何を見せたいかは人によって変わる。

40~60枚のメイン、0~15枚のEXでどこまで動けるかを見せたい人

相手の動きを捌いて自分の動きを通す、その巧みさを見せたい人

まだ誰も見たことの無い動きを見せたい人(これに関してはKONAMIの裁量次第な面もあるが)

 いずれにしても、スタイルが異なれば構築や動きも異なるし、求められている層も違う。

 一度動きが成立すれば恒常的にリソースを得られるデッキに対し、そもそも相手にリソースを与えさせないデッキ。妨害と展開を兼ねているデッキ。除去と無効が初手から飛び交う環境。動きの中で妨害を構えられるが、やりたいことを前面に出すデッキ。相手ターンにも動くが相手の妨害は極力せず戦闘くらいしか除去をしないデッキ。莫大なカードプールから繰り出される群雄割拠ここに極まれりといった具合。

 要はエンタメ性の違いである。どちらも面白さはあるが、方向としては別々の面白さ。積極的に相手を仕留めに行かないのは手抜きで舐めプで相手へのリスペクトが無いと言う人もいれば、相手がやりたいことをやらせてあげるのがリスペクトだと言う人もいる。

 強いカードを使えば勝てると言う人もいる。しかし、強いカードを使う者同士なら強いカードを強く使わないと勝てない。なぜか手札誘発を嫌う人もいる。ただし打ちどころによっては何も止まらない。

 これは、デッキの構成を自分に干渉するカードと相手に干渉するカードで分けられないだろうか。灰流うららや墓穴の指名者など、相手に干渉しその行動を妨害する=障害物を置くカードは3軸シンクロ等でもない限り自分のデッキには影響しない。むしろ手札事故になる可能性もある。その代わり、相手の事故を誘発できる。
 対して自分の動きを円滑にするカードのみを採用すればデッキの中の組み合いは高くなるだろう。妨害を受けてもなお越えられるパワーが出るかもしれない。しかし、相手の動きを止められないのは致命的な一撃を躱せないという意味でもある。
 デッキとして、最小限のスロットで自分の動きを通し、最大限相手の妨害をできる。機体性能を上げつつ障害物を搭載する機体の強みである。だが、自分のできることを狭める行為でもある(それでもただ勝つには充分なのだけれど)。
 なお、増殖するGは「自分に干渉するがゆえ、相手の動きを制限する」特殊なカードである。似たカードに儚無みずきがある。こういうカードが刷られると面白いのだが……まあ調整は面倒よな。

 こういったカードの役割に拘泥していると、入れるカードが減ったり動きを狭めたり、無駄をなくそうとすると逆にコンボの途中でしか使えないカードが増えたりと「引いたカード」でしか戦えなくなる。あるカードの効果を全て使おうとして他のカードが動かなくなったり、勿体ないと使わなかったら不利になったり。現代遊戯王はデッキ全てで戦う。それを引き出すのが手札。けれどもデッキでしか活用できないカードは死に札。それを避けうる如何なる状況にも対応できるカードは存在しない。

 しかし、そのパワーや汎用性からおおよそ想定できる範囲に対応できるカードも存在する。それが汎用札。
 デッキに干渉しないデッキがほぼ存在しないように灰流うららはほぼどんなデッキにも入れられているし、特殊召喚を行わないことはあまり無いように増殖するGは例え止められやすくても入れざるを得ないし、カードや効果の発動は避けられないようにモンスターはおろか魔法・罠も止めうる無限泡影はどこにでも出るし、それらを止められる可能性のある墓穴の指名者や抹殺の指名者も採用を強いられるし……。ともかく、入れておけばいい、入れておかないと酷いことになる、といった具合に。
 手札誘発やカウンター効果を持つカードはほとんどのデッキに差しておけばほぼ相手の行動を止められる万能のパーツ。デッキのスペースが無かったり手札に特定のカードが大量に必要となるデッキだったり、そもそも妨害を越えるだけのパワーがあったりと、明確な理由が無い限り、入れない理由が見つからない。
 逆に、相手も手札誘発に代表される妨害カードを使わず、すぐに殺されることがないという前提があれば、それらのカードを使わないでデッキギミックにスペースを割けるかもしれない。

2.デッキ構築の違い

 そこで、デッキを作るとする。やりたいことって何だろう? 勝つこと? 自分の考えた動きをすること? そこから始めなければ意見が食い違う。さらに、デュエルをするにしてもデッキ構築からこだわりがある人もいる。

 新テーマ──ここでは例に最近出た電脳堺を示す──の動画を作るとしよう。あなたは何を見せるか? テーマの動き? 相性のいいカード? 戦い方? 他のデッキとの相性、相手の仕方? それによってデッキも変わる。V.F.D.やアーゼウス、トリシューラといった誰が見ても分かる強カードを積まずに電脳堺本来の動きを見せたい、いや待てそれらのカードを使えることこそ電脳堺の強み電脳堺らしさではないか、それを排除するなんて噴飯もの。そうは言っても本来の動きが。3の倍数のシンクロとエクシーズが電脳堺の本来の動きだろう。まあ色々な主張があるだろう。
 ただ、自分の求めているものに合わないからといって容易に非難するのはやめておいた方がいい。嫌なら見なければいいし、無ければ自分で作ればいい(遊戯王なんて金もかかるわ知識も必要だわ常に増え続けるカードを管理する必要があるわなものを処理できる頭の持ち主は頭も育ちもいい方だ。自分で作るくらいできるだろう)。

 さて、そこで構築されたデッキは何を相手に想定している? 曲芸飛行? 速度レース? 耐久レース? 妨害レース? 全てに対応できるデッキは無い──と言えない。上位に位置するデッキの場合、また最近出たテーマの場合、適度な障害物を相手に射出する余力があればデッキパワーでゴリ押せる地力はあるからだ。20年以上かけて積み重ねられたインフレの賜物である。
 しかし、そうでない場合はかなり厳しい。同じ立場の相手でないと(特に曲芸飛行)半分くらいはマトモな試合にならず一方的に押し負ける。

 前述した電脳堺の動画も同じで、視聴者や対戦相手に合わせて性能をチューンする必要がある。……まあ、気にする必要があるのは大手で自分のような弱小は好きなものを撮って出しするだけなのだが(だからアーゼウスも入れるし先攻V.F.D.もするしHeart-eartH Dragonも入れる)。対戦相手を選べる環境ではないと、自然に全方位に対して勝てる構築にせざるを得ない。

 だから、求めるものが異なればデッキ構築に手を入れる。

 棍棒で互いを殴るようなリソースの叩きつけ合いと、互いに銃の引き金を押さえつけ銃身を払い除けるような潰し合い。相手の全力を引き出した上でそれを上回る、なんて言ってたら即死する。噛み合うわけがないのである。

 この2つの言葉で表現できる。「互いにやりたいことをやり合う」「やりたいことをやらせない、ことがやりたいこと」。違うのは、前者は放っておいても致命傷で済むが、後者は動きを通せば死ぬことだ。「展開途中に相手が負けない、かといって相手の展開で自分が負けない、互いにやりたいことができる」ラインでデッキ構築を模索しているのは、勝ちたい人にとっては贅沢で滑稽な悩みに見えるだろう。逆の場合なら、なんて面白みのないデッキを作っているのだろう、となるだろうか。

3.視聴スタイルの違い

 これは遊戯王の動画にも影響してくる。
 例えば自分は試合内にカード説明やガヤや演出が差し込まれるのが嫌いだ。試合のペースが崩れるし集中できない。人がカードを使っていると速度も遅くなるし、シャッフルや物音などノイズも入りやすい。人の声が一番のノイズだ。
 ただ、それを目的として見ている人がいることも知っている。消せとも作るなとも言わない。見ないだけだ(これを「勿体ない」と評すのはまあいいとして、損していると視聴させようとするのは割とクソムーブである。特にこちらが拒否してくるにもかかわらず「お前のためを思って」と言ってくる傲慢で独善的な奴は1人で部屋に籠ってサメ映画かムカデ人間でも見てろ)。

 ADSという遊戯王シミュレーションツールがある。このリプレイを使用した動画ではプレイ速度が速い。10分も無い動画に6試合分入っていたり1試合1分程度で終わることも珍しくない。特殊な演出はほとんどない。解説や音声は自分で編集して入れるが、それも動画の速度に合わせている。勿論カード解説で止まっている余裕はなく、最初か最後にまとめて紹介する。人によってはこう言うだろう。「なんて不親切な動画だ」──
 ただし、自分にとっては非常にありがたい。カード効果は大体分かっているしテンポよく進むのでストレス無く見ることができる。思考時間や人の動き、試合をぶった切る解説や演出が挟まらない分、流れとして非常に見やすいのである(アニメはどうかって? あれはいわば演劇や儀式でしょ。そういう演出)。

 競技のリプレイで言えば、ただ競技の映像をそのまま見ていたい人と解説が欲しい人と、それぞれいるだろう。その解説も自分に合ったものがいい。映像のみでも機体解説は見たい人もいればプレイングがあればいい人もいる。だから、これ自体は自分で発掘するしか無い。

 まあ、だからといって、どんなスタイルの遊戯王が伸びるかは別である。たとえADSでもカジュアルとかファンの方が伸びる傾向にあると感じている。視覚的に面白い、大型モンスターや珍しいコンボ、特殊勝利を絡めたデッキが伸びやすいというように。ガチデッキで視聴数が多いのは某天子が好きすぎる人くらいじゃないのか(そのコメントに「ガチデッキの面白さを知れてよかった」というものがあったのは忘れない)。あと、琴葉姉妹が閃刀姫でマッチ戦している人の動画が自分の動画より伸びてないのはどうかしてると思うが。

 まあ視聴スタイルにも色々あるし、そのスタイルに適した動画があるとも思わない。ただ、たまには自分が親しくないスタイルの動画を視聴してみてもいいんじゃないかとは思う。この記事を見てADS動画に触れようとする人がいればそれは嬉しい。

終わりに

 なんか愚痴っぽくなってる。まあブラッドマジシャン煉獄の魔術師を当てた頃から遊戯王やってると色々溜まってくるものです。まとまりの無い散文になってしまいましたが正確性を期すものでもないので。

 つらつらと並べていきましたが、簡単なこと。気に入らないからといって相手の領分に土足で踏み込んで自分の正義を押し付けないようにしましょうね、ってことです。宇崎ちゃんの騒動を見ていると、公共の場(何が公共かは自分が決める)から排除しようとしただけの日本と比べて海外はすごいなって思いますよ。BLMとホワイトウォッシングが同時に進行しているのマジポリコレ仕草。やっぱ"本場"は違う。
 とはいえラブドールが「子供は最大の弱者! 彼らが被害を受ける可能性はあってはならない! 小児性愛は異常!」で叩かれているのを見ているとお気持ち仕草は本当に怖いなあって。法律に反していないものが排除されてはいけないって分からないのかしら。野生の思考とか未開社会とかも考えないのかしらね。
 その点遊戯王は露出の多い美少女イラスト(いわゆる萌え絵)も少ないし海外でイラスト修正もあるし「ブラック・ホール⇒Dark Hole」とポリコレにも配慮されているから大丈夫ですね! 宗教はマジヤバいみたいだけど。

 異論反論ある人は適当にどうぞ。

 あと、今月マジで金が無いんでお布施くれる方がいたらありがたいです。なんで最後の文だけ有料です。といっても本文と関係無い十七文字です。

では、またどこかで会えましたら

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