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誰も知らない国から 1

あらすじ
転校生の天野君は、なんだか不思議な人だった。 有泉は、一緒に掃除当番をしながら、彼に興味を持っていく。
「僕はね、誰も知らない国から来たんだ」
「……はあ」
「そこは、名前のない地図にも載っていない、誰も知らないような、いくつも山を越えてたどり着くような、そんなところにあったんだ」



いつもの街①


 期末テストが終わった。それなりにできた気はしながらも、なんだかなあという気持ちが消えないまま、筆記用具を鞄に詰めこむ。
 テストは、何度やっても嫌なものだ。
 試されているようで嫌なのは、そういうものだから仕方がない。だけど、テストのために勉強して、先生が気に入るような答えを書く、そういうテストのための勉強って、将来なんの役に立つんだろうとつい思ってしまう。もっとほかにしないといけないことがある気がしながらも、とりあえずある程度周りに流されてしまうのだけど。
 いい点数を採ると、同級生からひんしゅくを買う、かと言ってわざと悪い点を採るのも、なんだか偉そうな言い方だけど、自分に負けたような気になる。テストの後は、そんな得体の知れないもやもやした気持ちになってしまう。
「有泉さん、私、今日掃除行けなくなっちゃったの」
 杉山さんはいかにもすまなさそうな顔をしているけど、きっと心の中では、私が口答えなんてするわけないと思っている。確かに、反論しても面倒だから、私はなにも言わない。
 どうせ彼氏とどっかをぶらぶらするんだろう。午後はずっと休みなんだから、たかだか十数分、二人の時間が減ったところでどうってことないと思うけど、ものごとを長い目で見ることができない子なのだ。そんなことを真正面から言おうもんなら、みんな、「この人、そんなこと考えてたの?」という視線で私を見るようになるのだろうか。それも面倒なので、そっとうなずくだけにしておく。
 彼女なんてまだいいほうだ。なにも言わずに鞄を持って教室を出ていく人もいる。テストが終わったから、これ以上嫌なことに拘束されるなんて、みんなまっぴらなのだった。
 私もそこまで義務だなんだと騒ぎ立てる気はないけれど、一応決められているルールを、なぜみんな、ないもののように振る舞えるのか。そんなに掃除をしたくないなら、掃除をしなくていいように規則を変えるよう呼びかけるとか、お掃除の人を雇うことにして、自分のお小遣いからお給料を捻出しようとか、そういう努力するのが筋なんじゃないか……、なんて、まあ、そこまで本気で考えているわけでもないけれど、そうやっててきとうに生きられる人たちがうらやましくもある。これも修行の一環だと思って、日々この環境に耐えてはいるけれど。
 今月の掃除場所は図書室なので、普段よりは気持ちも晴れ晴れしている。
 図書室はいつも施錠されているので、鍵を借りに職員室へと向かう。国語の先生がいないので、隣の先生に訊くと、
「鍵ならさっき天野君が持って行ったわよ」
 天野君? 誰のこと?
 ああそうだ、最近転校してきた人だ。どんな顔だったかよく覚えていないけど、その子は期末テストが始まるちょっと前にやってきた。なんでこんな時期にと思ったことを思い出した。
 図書室に着いてドアを開けると、天野君が一人黙々と箒で床を掃いていた。
 思わずじっと見てしまう。一人で黙々となにかに打ち込んでいる男子って、普段あまり見る機会がない。性別のせいなのか、そういう年頃だからなのか、私から見ると、男子は何人かでつるんで行動していることが多いように思える。こういうのは珍しい。
 視線に気づいたのか、天野君はちらっと私を見て、にっこりした。これもまた珍しいことだ。ほかの男子は、あまりこういうことはしない。
 彼にとっては、私は四月から一緒で慣れつつあるクラスメイトの一人ではなくて、ほんの数日間しか一緒に過ごしていない、どちらかというと見知らぬ人だ。これからどう関わっていこうか距離を見極めようとしているのかもしれない。もしくは、彼が以前いた中学では、クラスメイトの女子に微笑みかけるのはごく普通のことだったのだろうか。
 掃除用ロッカーから箒を取り出して、天野君が掃いているのと反対の方向から、中央に向かって掃いていく。天野君は既に、机の上に椅子を逆さにして置いている。こういうことを、先生に言われるでもなく自らするとは、なかなかのものだ。あるいは、以前いた学校の教育のたまものなのか。
 中央でごみを集めていると、彼は素早く掃除用ロッカーへ行って、ちりとりを持ってきた。自分の掃いてきたゴミと、私のゴミとを一つにまとめ、その脇に塵取りを置いて構える。私はそこにゴミを掃きこんでいく。何度か塵取りの角度が変えられて、ゴミを掃きこみ、そうしてあらかたゴミがなくなると、取りきれないゴミは箒でさっとならした。そんな共同作業が終わると、天野君は私に微笑みかけた。
「どっから来たんだっけ?」
「山……山形」
「へえ、山形って、けっこう遠くだよね?」
「うん、遠くだね」
「慣れた?」
 彼が戸惑っているように見えたので、「この学校」と言ってみる。
「慣れたかな」
 そう答えたその表情の奥に、なにか光るものが一瞬見えた気がして、あれ、と思った。箒をロッカーに片づけながら「よく転校してるの?」と訊くと、「まあ、そうだね」と曖昧な返答があった。
 私は生まれてから、そこまで色々なところに住んできたわけではない。多分、同級生の多くもそうだと思う。
 旅行するにしても、父か母の実家しか行かないので、日本の中で行ったことのある県なんてほとんどない。自分が住んでいる場所以外について知っていることといえば、それこそ社会の時間で習った都道府県名や県庁所在地だとか、よく食べるものについては少し生産地を知っている、それくらいだ。行ったこともない場所、いついくかもわからない場所のことも、やがては必要になる情報なのかもしれないけど、暗号の勉強をしているみたいで全然面白くない。
 彼が何度転校したのか知らないけど、彼の背景に、私がまだ知らない様々な景色が見える気がした。
「ちょっと探したい本があるから、先に帰ってて。鍵は私が返してくるよ」
 そう言うと、天野君は「じゃあね」と言って去っていった。
 気がつくと一時近くになっていた。鍵を返して、教室に戻って鞄を取る。帰り際に廊下から外を見ると、目つきがきつい生徒達が、一人の男子生徒を取り囲んでいるのが目に入る。よくよく見てみると、囲まれているのは天野君だ。
 とっさに、近くにあった花瓶を手に取り、その方向に投げつける。花瓶が割れる音がする。彼らの視線はさっと花瓶へと走る。それらは、花瓶が落ちてきたであろう方向、落ちた花瓶から視線は上へと向けられ、私にたどり着く。
 私は普段から、「なにを考えているのかわからない」と言われて、距離を置かれている。そんな私が、こんな意味不明な行動に出たので、次はなにをしでかすのかと、咄嗟に恐れを感じたのかもしれない。リーダー格の男子と目が合ったまま目を逸らさないでいると、先生が外に出ていくのが見えた。先生の姿を認めるが早いか、彼らはちりぢりに去って行った。天野君だけは、何事もなかったかのようにすっと立っていて、私に、窓から離れるよう目で合図した。
 天野君が教室に戻ってくる気がしたので、自分の席に座って、本を読みながら待ってみる。
「あ、有泉さん」
 数分後、予想通り天野君が現れる。
「いやあ、なんだか大変だね、この学校」
 まるで人ごとのように、笑みまで浮かべている。
「今の子たち、僕が転校生なのが気にいらないみたい。そんなこと言われたって、ねえ」
「殴られたの?」
「まあ、そこまではないけど……、でも、これ、壊されちゃった」
 天野君は、ポケットから数珠のようなものを取り出した。
「なに、それ?」
「これ、僕の大事なものなんだ」
「そんなの、学校につけてきてたの?」
「いけなかったかな?」
「そもそも、腕輪とか、そういうのは制服にはあんまり似合わない気がするけど。前の学校では、そういうの流行ってたの?」
 彼はその質問には答えず、
「どうしよう、これ。どうやって直したらいいのかな……」
 にこにこしながら、困っているようだ。
「そんなの簡単、中のゴムを取り替えたらいいんだよ」
 天野君は「本当?」と顔を輝かせた。
 家に帰って、天野君から預かった腕輪をよく見てみると、穴の開いた石をつないでいたのは、ゴムではなくて、麻のようにごわごわした素材だった。繊維を細くよったものに石を通していたらしい。こんな伸び縮みしないもの、一度つけたら外せないのではないだろうか。
 どこかの博物館で見た、古代のアクセサリーのようにも見える。使われている石も、よく見るときれいな球ではない。手で研磨でもしたのだろうか、一粒一粒が、少しずついびつな形をしている。どこでこんなの手に入れたんだろう。
 ゴムを通そうとしたら、残念なことに、私が持っているゴムはこの石を通過しないようだった。もっと細いゴムを買ってくる必要がある。町には手芸屋さんがないので、休みの日にバスに乗って隣町まで行かないと直せないことがわかった。
 翌日、図書室でそのことを告げると、天野君は「いいよ、そんなに急がないから」と微笑んだ。


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