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「反応しない練習」を読んだ

「反応しない練習」、「これも修行のうち」という仏陀の考え方を現代の人でも分かりやすく解説した本がとても良かった。

仏陀の考えを定着させるため、考え方や行動を3つまとめてみる。

心の状態を言葉で確認する

心とは、求め続けていつまでも渇いている、満たされないものである。もし心に満たされないものがあれば、ただ「ある」と認識する。例えば、物事や他人に対して嫉妬心や承認欲が湧いた場合、「私は嫉妬心がある」「私には承認欲がある」と素直に受け入れる。

すると、それまでの心の乾きの正体がわかるだけで、その不満状態から抜け出すことができる。言葉で自覚できれば、反応は止まる。反応が作るストレスや雑念もそれに合わせて消えていく。

人は〝求める心〟によって、苦悩を見る。ゆえに汝は〝求める心〟を正しい方法で手放せ。そして再び〝求める心〟に執われて、苦しみの人生に舞い戻らないようにせよ。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

不要な判断に気づく

判断することは気持ちが良い。良し悪しや、正しい・間違っているという判断をすると結論が出せて「わかった気」になれる。判断をすると、自分は正しいと思える快楽がある。

しかし判断が執着となり、自分を苦しめる場合がある。例えば、「大学に受からなかった。だから自分には価値がない」と判断すること。苦しみを覚える心には「執着」がある。だが「こうでなければ」という判断は、勘違いにすぎない。

ムダに判断しないためのシンプルな方法は「判断に気づく」こと。「今日はついていない」「あの人は苦手、嫌い」「自分はダメな人間」といった思いがよぎったときは、「あ、判断した」と気づく。自分の事を含め、誰かのことを好きか嫌いか、いい人か悪い人かなどの「品定め」は必要のない判断である。

人は自らの心を整えず、あれこれと判断して、心を失っている。あちこちに目をやって、一体何の役に立つだろう。自己にこだわる意識を抑え、人の評価を追いかけずに、自らの心の内をよく見るがよい。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しないことが最高の勝利である

「苦しみのない心」を人生の目的とする。ゆえに、反応して心を乱されることは無意味である。どのようなときも決して反応せず、ただ相手を見すえて、理解するのみである。

これこそが正しいと主張することを、わたしはしない。
見解への執着を、ただの執着であると理解して、他者が陥るあやまちをあやまちとして理解しつつも、囚われることはない。わたしは自らの心の状態を見つめて、心の平安と澄明さを保つ。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

紹介しきれないほど、良い考え方や行動例が書かれているのでオススメ。

著者の草薙龍瞬さんの書かれた言葉に一切の違和感を感じない。和室で一対一で語りかけられている気分になる。良すぎるので後8回は読みたい。


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