信じるということ
テレビのニュースというものを、最近特に熱心に見なくなった。
朝のニュース番組を見なくなったから、余計に遠ざかった。
実際、ネットで得るニュースだけでおなかいっぱい。
政治不信という言葉があって、今話題の「裏金」問題も、私のニュース離れの原因のひとつだろう、と勝手に思っている。
人の良さそうな某メジャーリーガーの言葉も、本当か嘘かを疑ってしまう。
前はそんなこと考えもしなかったのに。
本当は信じたいのに、もう何を信じていいのか分からない。
テレビに映る人たちの言葉を、ネットのニュースたちを、信じられる日がまた来るのか分からない。
今の私のそれは、まごうことなき不信というもの。
嘘だらけだ!
と、
誰かを疑うことは苦しい。
とても辛い。
そして信じるというのは、カタルシスにも似てると気づいた。
何を信じていいのか分からない、信じるソースをどう探したらいいのかも分からない。
目眩がするような、不穏な気持ち。
そんな中で、最適解を教えてくれる、何か。
鮮烈な安心感。
テレビを見ることに疲れた。
ニュースを追いかけることも、疲れた。
いつから始まったというより、いつまで続くんだろう。
この宙ぶらりんは。
誰かが安定的に正しい答えを与えてくれる世の中なんて、過去にもなかったのに。今の永遠に終わらない迷路に閉じ込められたような苦しさは、なんでなのだろう。
信じること、信じて大丈夫というのは、本当に稀有で、あやふやで、麻薬のようなものだったと、今になって知る。
盲目的に信じることは楽だ。
これだけ、この人の言うことは信じていて大丈夫。
この人が言うことだから、間違いはない。
全てを投げ出して、教えを待っていたい。わけの分からない世界を、あてもなくさまようことに疲れて、安心、安全が欲しい。
でも、きっとそうじゃない。と思い直す。
生きるための信じるもの探しは、諦めてはいけなくて、生きている限り続けなくてはいけないことなのだと。
単純に無自覚に、信じるを続けていた自分が、やっと躓いて、現実を見ているのかもしれないと思う。
【今日の英作文】
困難を克服して、次のステージへ行く彼女たちは輝いている。
They who get through their difficulties and go on the next stage look luminous.
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