ブラック校則がなくならない理由が面白い

現役高校教師を名乗る方のnoteがかなり面白いので紹介します。記事が沢山あり全部は紹介しきれないので、とりあえずこの2つだけ読めば良いかな、という気がします。

TKCさんのロジックは単純明快で説得力があります。

①自由と不自由、どちらが良いですか。

→ 自由を選びますよね。

②安心・安全・快適と、不安・危険・不快、どちらが良いですか。

→ 安心・安全・快適を選びますよね。

(中略)

③ルールとは自由でしょうか、それとも不自由でしょうか。

→ 自由と答える人は少ないでしょう。

このように、人は同時に矛盾する欲求を持つ、ということです。

人が矛盾した欲求を同時に持つことは珍しいことではありません。例えば「仕事行きたくない」と「お金ほしい」とか、「甘い物が食べたい」と「痩せたい」とか、「家でゴロゴロしてたい」と「6パックの腹筋を手に入れたい」とか……。

自由と安全の考え方なんて、まさに資本主義と社会主義の対立に似ています。経済的な自由が尊ぶのが資本主義であり、経済的な安全を貴ぶのが社会主義でしょう。経済以外の要素、例えば国防とか治安とか表現の自由とかその他諸々の条件を議論し始めるとややこしくなるので、ここでは割愛します。

とりあえず話を校則に戻します。

校則について考えるとき、それが「誰にとっての自由か」「誰にとっての安全か」ということは、考慮する必要があると思います。

生徒にとっての自由を求めるのは、原則として生徒自身です。それ以外の人、教師、保護者、地域住民などにとって、生徒が感じる不自由さを、想像することはできるかもしれませんが体験することはできません。そして大半の大人たちは、そんなことはいちいち想像しません。

そして逆に、保護者や地域住民は、安全を重視するでしょう。なぜなら、生徒を自由にさせておくことは、自分たちの自由が脅かされるかもしれないからです。

学校の教師もまた、生徒に自由を与えることは恐怖であると同時に、保護者や地域住民からの抗議も恐怖です。つまり二重の恐怖によってブラック校則を強化する心理が働くと思います。


しかし、ブラック校則は学校の運営能力をゆっくりと奪っていきます。それは、生活保護の受給者たちの自活能力がどんどん衰えていき、生活保護から抜け出せなくなる悪循環に似てる気がします。

生徒たちは無力ですから、どんなに自由を欲しがっても、基本的にはルールを決める大人たちに従うしかありません。

ですが、生徒たちにも自由が与えられるタイミングがあります。それが進学です。特に高校進学に関しては、入試があるとはいえ、どこの学校を選ぶかの選択権は生徒自身にあります。

彼らが、ブラック校則を生徒に強いる高校を選ぶでしょうか。

できれば避けたいと思うでしょう。

高校入試は優勝劣敗(まさに自由競争)ですから、優秀な生徒ほどブラック校則高校を避けるでしょう。そして、優秀ではない生徒が、他に行くところがないから、仕方なくブラック校則高校を選ぶのです。

こうして、ブラック校則高校には質の悪い生徒がどんどん集まるようになります。

質の悪い生徒が集まると、校内の治安が悪化します。

すると、学校側は校内の治安を回復するために、さらに校則をブラック化させようとするでしょう。

すると、ますます優秀な生徒が集まりにくくなり、生徒の質が悪化する。

完全な悪循環。でも仕方ないです。学校の教師にとっては、10年後、20年後の学校の未来よりも、目の前の安全のほうが大事ですから。

そして、校則のブラック化と生徒の質の悪化が限界を迎えたとき、暴力による問題解決が試されることになるのだろうと思います。まさに、市民革命ですねww

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