見出し画像

あえて老害という選択肢

“ひらきなおる”という戦略

歳をとることにあまり否定的ではなかったが、ここにきて自分が歳をとったなぁと実感することが増えた。
具体的には「頭が硬くなった」なぁと思うことが増えたのだ。
自分は比較的柔軟な発想の持ち主だと自負していただけに、ショックも大きい。
もともと物覚えが悪いので、記憶力が落ちたかどうかは知る術がない。
加齢とともに脳は萎縮していくそうだが、その副産物として発想の柔軟さも失われていくのであろう。色々と気になるし、あまつさえ文句もつけたくなる。
ということで最近どんなことが気になるか以下に述べていこうと思う。

「名前だけでも覚えて帰ってください」と「応援よろしく」

商売柄色々な人のライブに呼ばれる。それは国民的なアーティストだったり、まだ駆け出しの新人だったり、これからデビューするために頑張っているアーティストと色々。
音楽はそれこそピンからキリまでなのだが、気になるのはMCでの決まり文句。
「名前だけでも覚えて帰ってください」
「応援よろしくお願いします」
名前を覚えて帰ってくださいはまだ理解できる。
名前を覚えてもらわなければ、帰り道に検索して探し出してもらえないから。
気になるのは
「応援よろしくお願いします」
いつからアーティストは応援してもらう側になったのか?
アーティストって悩んでる人の背中をそっと押してくれたり、失敗して傷ついた人の傍に寄り添って「大丈夫だよ」と優しく肩を摩る、そんな応援する側だったのではないか?少なくとも俺にとってアーティストが作る作品はそうだったのだ。
この価値観の変革についていけない。歳をとるのは嫌なものだ。

匿名性を担保したアーティスト活動

昨今SNS発で匿名性を維持したままアーティスト活動をするスタイルが定着した。
これまでも筆名やバンクシーの様に匿名性を担保したまま創作活動をするアーティストはいたが、それこそバンクシーの活動内容は極めて政治的なメッセージ色が強いので、自身や家族の安全という意味でも必然だったりするだろう。
そういう前提条件なしに名前も顔も隠し、作品を発表するアーティストが理解できないので、まったくもって歳をとるとは嫌なものだ。

そもそも匿名性を担保し、蚊帳の外から発するメッセージに共感が出来ない。
責任の所在を明らかにせずに活動するってことは、出した作品に対しての評価が失敗(全然話題にならない)したり、反対意見が多く炎上した時にノーリスクで逃走できるということだ。
そんなアーティスト=表現者の意見をまともに聞く気にならない。
別にそんなに肩を張らずに楽しめば良い。
それもわかってはいるのだが脳が萎縮していると駄目なのだろう。
やはり歳をとるのは嫌なものだ。

おそらく本来の意味での「老害」は地位やポジションを開け渡さない既得権益を持つ層だったり、実用性を失ってしまった過去の価値観を押し付けてくる層を指すのだろう。既得権益なんか持ってないが、過去の価値観をこうやって文にして吐き出す自分は年齢的にも老害なのだろう。

本当に嫌だなぁ、年取るって。
楽しんじゃいるけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?