Teddy boy

思い付きのように程良く清涼感のある生活がしたい。だが気質というものはそれほど簡単に変わるものではない。歯科とでかでかと書かれた看板の脇を通り過ぎる。河川敷をゆっくりと歩く。名前も知らない人の音楽。異国情緒。匿名性。最近はどこもかしこも見栄えの話ばかりをしてる気がする。言い分はなんとなく分かるけど優先順位が逆でしょうよと。扱い方の何もかもが表層的になっていく様をずっと見ていて人間存在とはなどと漠然と思う。まぁ矛盾を抱えているだけ同じようなものか。破裂した太陽みたいな季節は世紀末の噂話として密かに映画化される見込み。ロラン・バルトの映像についての文庫本を捲りながらお洒落なキャラメルラテを啜り些細な休憩時間を謳歌する私の軽やかさ。防寒具のボタンをしっかりと閉める。アウシュヴィッツにおける回教徒のような哲学者のような在り方からなかなか抜け出せずにいるがせめて出来るだけ良心的であろうと思う。良い酒だけだったと思う日があるだけでそれはそれでラッキー。個人差は多少なりとも生ずるものだがリズムの間の取り方に友人とのずれを感じる。3LDKの子供部屋における無政府主義。上から批評癖を派手にスルー。稚拙美とか奇形美とか。プロレタリア風の素敵な国旗を掲げて。中心で混沌する色恋沙汰のサーキット。あくまで持続可能な社会に関する空想でなければ無意味なのだろうか?自然とハイになる瞬間。暮らしについて。諸生活の組み立て。小さな煉瓦で家を作るように。あらかじめ応用可能なフラットな物差しを一本用意しそれを基盤とすること。美しく快適な水槽のデザイン。ひとまずの作業を終えベッドに寝転びながらAmazon Primeで映画を観る。最近嵌ってる音楽は中古で買ったCall Superの1stアルバム。全体的に歪で奇怪な感じが好みなんだと思う。Loraine JamesによるJulius Eastmanを再構築した作品もCDで聴いた。絶品。そして Luciano Cilioの1977年作Dialoghi Del Presenteをレコードで鑑賞した。これに関しても素晴らしかった。線密さ。最近だとshygirlの音楽には胸踊らされた。新たに追求する世界市民の可能性。これはオマージュ。焦点の合ってないビー玉みたいな瞳。あまりに長い年月が過ぎてしまった。溌剌と身体を重ね合う夏。いつか巨万の富を築いてルクセンブルクの城に君と住みたい。意図せず試みたことであってもそこに内在された無言の意味性から僕達は決して逃れることは出来ないとすれば。試運転の実験台は自分自身の為、体調管理にはいつでも細心の注意を払って。提出した自画像の主題は暗室でポップに華咲く。諸々を割愛したりしなかったり。コレクションを気分で並べ替える。高濃度という発案はたまたま飲んだ果汁100%のウェルチから頂いた。かれこれ10年前から同じだが勝手に一人で意味の時代へと突入することに僕はしよう。時々店にふらっと顔を出すあの感覚が一番フィットするのかもしれない。節分という恒例の行事を終え。データベースを調べ漁りエビデンスを引っ張り出す労苦を右腕に抱えて図書館を後にする。愛機に部屋の掃除をして見つけたトレモロアームを付けたら5倍カッコよくなった。皆様ありがとう。事物を捉える度に訝しげな目でその深度を見るようになって私もつくづく歳を取ったものだなと感じる。崩壊し尽くした後の国では理性的態度には何の希望も見出せないというのなら。どれだけ小さな島の受難にもキリストは宿るのだろう。ただやはり自分から遠い距離にあるものに触れるにはある程度恐怖が伴うし慣れというか鍛錬が必要だなと思う。何にせよ良い塩梅や形式の美学やその構築について熟慮を重ね続ける私は。精緻に記録すること。飾れば飾るほど実体としては薄れていくのが哀しい生き物の性だもの。もはや言語化出来ないという類の作品の圧倒や感動を知ってるだけである意味幸せではあった。内側が大事。勿論そこで完結する訳ではないけれど第一段階としては全てが自己満足に過ぎないと気付いたときの絶望なのか快感なのか判別不能なあの気持ちを上手に誤魔化せずにいる。目の前にあることだけを見て時間の概念を捉えていたけれど発想を逆にした。ひたすら長く微睡むような百年の中の一年。正しいかは定かではない。決して悲観的ではないし私は友愛を信じているものの人間同士が仮に分かり合えず最終的には思い出だけが残るとすれば充実した楽しい時間を1秒でも増やすことがベストだしぼくはその可能性にずっと賭けたい。楽しい遊びはそこら中にまだまだ溢れてるはずだし別にお金がそんなになくてもきっと出来るね。冷蔵庫のパイナップルの缶詰を世が寝静まった深夜に独りで開ける至福とか。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの作品にまつわる無数の謎をネットで延々調べたりとか。自転車で颯爽と通り過ぎるひとの背中を見てまだ寒いけどいよいよ早い春が到来したことを感じたよ。環境の変化の甘美なグラデーションそのものをひとまず愉しもうと思う。軌道の微修正を常日頃から要求されるのは誰しも一緒だという単純明快な普遍的法則をふいに悟ったような顔でへらへら笑ってある程度ダウナーに過ごしている。お元気で。それでは良い一日を。これは比喩だけどなんとか掻き集めた素材で作る料理もさほど悪くはないかもね。

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