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たからもの

旅の原体験は宝物。
五感をフル活動して、何でも吸収する子どもに、戻っているそんな感覚

26年!?そんな経ってた

田舎者の中学生がニュージーランドへ留学

関西国際空港を夜中に出発。滑走路から、すごい勢いをつけて走り出すと機体が浮き、窓の景色が変わっていった。タイヤが着く、あの瞬間に神経が1点集中するのがわかる、これが飛行機の感覚か!と大感動していた。日本は11月の寒い日だったが、着いた時には、海外の香りだ!と温かい息を一気に吸い込む。今でも鮮明に覚えている。

皆で作ったしおりをもって、ニュージーランドの街並みを歩いた。観光ガイドに載っていた写真を真似て撮ってみたけれど、日本で確認した時は、ちょっと違っていた。観光地では、マオリ族の文化に触れたり、羊にもいろいろな種類がいる事を知り、毛刈りにも参加させてもらえたりした。友達と泊った海外のホテル、騒いで隣のお客さんに怒られたこともあったな。

大体4時間差あるが、四季のある国で、日本と近い環境で過ごしやすかった。英語圏でもあるが、ちょっとしたニュアンスの違う英語。習ったものが通じない時は、何度も英語の教科書を開いては、こう言ったらいいんだよ!と教えてもらうことができた。

ホストファミリーのパパやママは日本が大好きで、共に生活しながら互いの国の話や料理を作って、楽しく過ごすことができた。気がつけば、あっという間に過ぎていった。週末には山に登ったり、ドライブでビーチサイドを車で走ってもらったり、テレビやラジオで流行の音楽を流してくれ、一緒に聞いて気に入った曲を、ショップに買いに行った。

不安で押しつぶれそうなときも、すぐに対応して気持ちを受け止めてくれた。そのたびに家でパーティーを開いては、たくさんの方に出会わせてもらうことができた。一人じゃないよっと言ってもらえていたのだろうと、最後の日まで笑顔を忘れることなく過ごすことができた。

初めての伝統料理、ママのお弁当、朝ごはんのシリアル、フィッシュ&チップス、海外のケンタッキーも味わうこともでき、衝撃を受けた。
もちろん日本食はなかったが、いろんな味を堪能し嫌いな食べ物だって克服することができた。

自分なんて…を考える歳頃に、この経験をできたから、生きる糧になった。具体的な夢を語る1つになり、もっとこの世界を自分の目で見てみたい。またこの場所に帰るんだ!と小さく握りしめて帰国をした。

探したら残ってた!
当時のパンフレットとしおり

意を決して出発

会わせてあげたい!ただそれだけの気持ちで海外にいく決意をする。

コロナ禍でいろいろな準備が必要だった。全部手探り状態で、あちこちに電話にメール、確認作業とスマホにはコロナに関するアプリでいっぱいになった。職場には、絶対にコロナにならない持ち帰らない、と命を懸けた状態で飛行機に乗り込んだ。パリで乗り換え、計17時間以上、ようやく夜中、現地に足をつけた。行くだけで疲れ、へとへと状態。でも、母ときょうだいを会わせてあげられることができた。お互い顔を見て、疲れなんてあっという間に吹き飛んだ。

生活は、私の思う過ごし方とは違っていて、お昼ご飯を食べると、ゆっくり昼寝タイム。現地は40℃を超えているので体を休め、午後から動くのがいいんだそう。大人になった自分には、日本と流れる時間が違う感覚に少し戸惑う。休み方を知らなかったからだ。寝れなかったのに、だんだん寝れるようになっていった。

コロナ渦のマドリード市内

バレンシア、マドリード、バロセロナの観光には、あらゆるところに行き。日本と同じく、歴史の多い都市といってもいい。大砲で当たった門が、現代にも残り、負の象徴ではなく。愛しむものとして観光資源に変わっている。古い駅はリノベーションされ、カフェテリアや市場に変身したり、銀行や郵便局、市役所も外観を大切にして使われていた。私が行くと大体運悪く、リノベーションの最中が多かった。そう、これは確かめる為にもう一度来てね。と言われてるみたいだった。

食生活は結構ハードであった。ハードとは、直径60センチ級大鍋のパエリア、パパの力作のオムレツ、何枚も食べれる生ハム、30センチのボカタ、高さのあるハンバーガー、手の平以上のステーキ。カロリー、ボリューム、甘さ、どれをとってもダイエットは無関係な状態の事を示す。

2021 バロセロナ
サクラダファミリア 4つの柱が完成

21時を超えないと暗くならないので、休みは大人たちも思いきり遊ぶ!
一番の思い出は、カート場に行ったことだ。みんなで行って、何もかも忘れて大盛り上がりだ!周りの人も巻き込んでマリオカートのようにガチンコの勝負。私はそこそこの順位だったけれど、大人になってからきょうだいと、久々に笑い合うことができた。

この瞬間にできた虹が、祝福のように思えた。

あっという間に過ぎた時間だが、満足だったのだ。一番の願いはすでに叶っていた。過ごしていく事で、自分の欲がでてきてはいたが、それが何なのかは、分からず帰国の地につき、普段からと変わらない生活に溶け込んでいった。

遅くないんだよね

パリのウェルカムボード

私たちはいつも小さな庭に住んでいる。
学生の時は学校
学生の時は、なにもかも新しい事が多く吸収も早い。ちょっとは自分の人生に考え始めるけど、ざっくりしか思っていない。今が楽しければいっか!と思う時間。

社会人は職場
大人になってからは、その場を守るので精一杯。自分の考えたフィルターに濁され、見方がひねくれている。

旅を終えてから今の生き方と、持ち帰った気持ちが交互に揺れ始め、旅した時の欲が気持ちの中で跳ねた音がした。

私の旅の中には、必ず生活と人が、かかわってきている。
原体験を持っても中学生の自分にはできなかったし、見落としていれば、大人の自分でも、置いてきてしまっていたのかもしれない。
旅がなかったら夢に繋がらなかったし、気持ちの大きさに、気がつくことがなかった。

もう少し早く気が付けた?10年ほど遅かった?もっと早ければ、何かちがっていたのか?と自問自答の日々をくる返していたが、「何言っての!これからじゃない」「自分の人生はまだまだこれからよ!」旅を通して年配の方々は口々に背中を押してくれた。

「人生を楽しまなきゃ損よ!まっとうして生きなさい」遅くはない。今からだ!と気持ちが固まった。

旅は人生の一部だから

周りを見た時に、一人だったなんて思っているのは、自分だけ。
人生はどうでもよくない。これまでたくさんの経験を積んだ自分と、世界と深い関わりが持てないだろうか。今の自分にしかできないこと。『あなたのやりたいことを、精一杯やりなさい』この言葉を忘れずに、とにかく前に進むことを決めた。きょうだいと共に語って、膨らんだ夢に向かうためのフィールドに立つことを決めたのは自分だ。

遅いんだよ!待ってた!って
もう一人の自分が手を引っ張ってるような気がしている。
だからね!
迷って、忘れてしまうかもしれないけれど、何度でも言っておきたい。この2つの旅を得ないと分からなかった原点は、人とコミュニケーションを取ってその輪の中心に自分がいること。

旅に出て、国をまわれば、一緒に想いの人がいる、一人じゃない!迷ったら何度でも旅に出かけるといい。確かめて思い出していけばいい。
あなたの周りには、ちゃんと支えてくれる人がいてくれている。
そのことを分からせてくれるのは旅だということを。

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