愛はあります
むかし、ある人と知り合いでした。
その人は芸術家で、そこそこ名前が知られていてパトロンもいました。自分の作品を売って地方都市の郊外に中古一戸建てを買うくらいには稼いでいたようでした。
その人は私をパスタの店に連れて行きました。その人の引越しを手伝ったからでした。
確か春キャベツとホタルイカのパスタを食べた気がします。ペペロンチーノでした。
石のような容器にほんとうにちょっとだけ盛り付けられていました。そういう店に入ったことのなかった十七歳の私は
おかわりは無料なのかな
とそれらしき張り紙がないかを見渡しました。
食べて、口の周りがベトベトになり、よく拭いて外に出ました。その人は車でしかいけないような辺鄙な場所を巡るのが好きでした。
小さなバンにのせられ、ススキの原の真ん中にあるカフェに行きました。小さな、変な狐の置物が入り口にありました。
その人はブラックコーヒーを飲みながら、私がオレンジジュースをすするのを待っていいました。
微熱は本当に生きにくそうだよね。
実際、その通りだったけど、自分の中で認めにくいことを他人から言われることに腹をたてる年齢だったので私は、怒っていますよ、ということがよくわかるように目を合わせずにいました。
その人は続けました。
だいたいその年齢は辛そうな人が多いけどさ、たぶんあなたほどじゃない。何をそんなに大変がっている?
外のススキが揺れていて、小さな黒い鳥が素早く横切って行きました。
帰り道、その人の家の近くまで送ってもらい、そこから古ぼけた自転車で家に帰りました。帰りの車の中での会話を思い出していました。
微熱は文句ばかりだよね。
なにに関しても、いちいち引っかかるらしい。
今はそういう生き方がよく見えるかもしれないけど、癖にするとしんどいよ。
でも。
私は言い返すようにそう言ったけど、そこから先が続かなかった。
その人が意地悪そうにこちらを見る。ほら、何も言い返せないだろう、と。それがすごく腹立たしくて、私はなにかをどうしてもいいたかった。
でも、愛はありますよ。
自分で言ったとは思えなかった。口が勝手に動いた、その後にアフレコが流れた。そんなかんじ。
愛。人生で初めて口にした言葉。
私はひどく混乱して、訂正しようにもどうにもならなかった。今に笑い声がするだろう。甲高いようなそれか。あるいは押し殺したようなそれか。どれもいやだな、と身構えました。
でも、しばらく沈黙が続きました。そして、その人が言いました。
そうだね、そうだと思うよ。君には、愛はあると思うよ。
すごくきつそうだけど、愛はあるよね。
そんな会話がありました。その人とはその数ヶ月あと、嫌な別れ方をしました。もう一生会うことはないと思う。
でもなぜか、私はときおりこの人の言葉を思い出します。
尊敬してないし、会いたいとも思わない。でもこの人がこの時いった言葉がなぜか私の心には残った。
いまはそれはどうしてなのか、それを考えることが日課になっています。
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