「ソドミー」はソドムへの風評被害である

実は聖書「創世記」にはソドムの何が悪かったのか書かれてないよ、というお話。

「ソドミー」とは

正確には男性器と女性器による生殖行為のみを「自然な行為」とした上で、それ以外の「不自然な性行為」を意味するそうです。つまり同性愛に限らず口とか尻とか胸とかを使ったら「ソドミー」。
俗には肛門性交、特に男性同士のそれを指し、人を侮辱する時は「カマホモ野郎」くらいの意味になります。

で、この「ソドミー」という単語は、俗に旧約聖書と呼ばれるユダヤ教聖典の一つ「創世記」で言及されている「ソドム」という町に由来しています。
…のですが、実際の所「創世記」にはソドムの何が悪かったのかは書かれていなかったりします。何かが悪かったから神に滅ぼされたとは書いてあるんですが。

創世記19章より

コピペが楽な口語訳から引用していきます。
「今夜おまえの所にきた人々(御使い二人)はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」がソドム人の台詞です。
…この「知る」は聖書においてはしばしば「セックスする」という意味で、おそらく元々の台詞はこんな変に上品になりきれてない変な節回しでは無いでしょう。「お前が匿ってる奴らを出せばそいつらを輪姦すだけで勘弁してやる」位の事を言ってるんじゃないかなここ。

で、そんなソドム人に対するロトの返事がこれ。
「わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」
「男を知らない」ってのはつまり処女の事です。御使いの代わりに娘二人を差し出すので思う存分犯してください、ただ御使い二人は勘弁してくださいという返事。とんだ玉無しクソ野郎だなロト!いやまぁ当時と今では倫理観が全然違うんでしょうけど。…えーっと確か子供、特に娘は人間扱いされてなくて家畜みたいなものだったんでしたっけ?まぁともかくロトの返事には特に問題はないという扱いです。

この返事に対してソドム人は、
「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」(意味不明な自分ルール押し付けてくるロトの種族はもともと嫌われてたんだろうねって察しちゃいます)
このようにブチ切れロトを暴行しようとしたのですが、御使いに邪魔されて断念。この一件で「誰か正しい人がいたらソドムを滅ぼすのは止めてやる」と宣言していた神がソドム(とついでにゴモラ)を滅ぼし、ロトの妻が振り返っちゃったので塩の柱になり、その後ロトが娘二人に酒で犯されてその娘二人が見事に孕んだのが創世記19賞の顛末です。近親相姦も別にいいという扱いなのか男女ではあるから。

ちなみに後のキリスト教では、主にマルコ福音書によって「御使い」、天使には性別は無いという扱いになりました。創世記19章や黙示録における天使の描写は男性形で書かれているんですが、それは必ずしも「御使い」や天使が男であるという意味ではないのだそうで。…仮にここで二人が文字通りに「男の」なのだとして、ソドム人は男を犯したかった所に処女を差し出すと言われてブチ切れたわけでは無さそうですが。神がなんかキレたのも律法に中指突き立てられたのが理由に見えます。

なんかいつの間にか生えてきた「不自然な性交」

さて、正しい者が一人もいなかったのでソドム(とゴモラ)が滅んだという聖書の流れから、後に「ソドミー」つまり不自然な性交してる連中は天罰で滅ぶんだという風潮が出来るのですが。
読んでの通り別にソドムは同性愛やってたのが神の怒りを招いたとは一言も書いてないんです。もっと言えばソドムは「ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった」(創世記13章)と書かれていますが、何が悪かったのかは一切書かれていませんし、何だったら同性愛やってたという記述すらほぼ無いです。御使い二人が男だったらソドム人(多分男)は男を輪姦すつもりだった事になりますが、そう読むには牽強付会が要るのは先述の通り。
よって、「不自然な性交」をしてたから滅んだと言うのは後世の勝手な脚色なのが実際の所です。何かの理由で急に滅んだ→これ幸いとユダヤ人に神の怒りで滅ぼされた事にされた→後世に何故かホモだったから神に滅ぼされた事にされた…と流れを整理してみるとひっでぇ風評被害ですねこれ。
創世記の流れは「誰か正しい者が10人いたらソドム滅ぼすのは止めてやる」と神がアブラハムに約束し、それから御使いを送ったら中指立てられたので心置きなくソドム(とついでにゴモラ。実はゴモラには「悪い」以外の記述が一切無くて本当についでに滅ぼされてます)を滅ぼしたという具合です。これもソドム人がホモ野郎だったから滅ぼしたと言うには無理があります。

総じて大分好き勝手に解釈しましたが

ソドムの何が悪かったのかは聖書に一切書かれてないのは確かです。
なのでソドムとゴモラは同性愛のせいで滅んだと言うのは曲解もいい所。

それはそれとしてレビ記やパウロは明文で同性愛を禁じてはいるんですが。
レビ記は旧約だから別にいいがキリスト教においても通るとはいえ。
パウロが差別主義者のクソ野郎だった(ただしキリスト教最古にして最大の神学者でもある)のはこれからどうやって誤魔化すんだろう。

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