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映画「怪物」に寄せて。理解しようとすることも必要だが、理解できない部分もひっくるめて受け入れることが大事なんだな。

週末、友人2人と映画『怪物』を観てきた。
エンドロールに切り替わった瞬間は、「あれ、ここで終わるの?」と思ったものの、2日経った今も頭の中をフィルムが回り続けている。

時間が経つほど、じわじわと沁みてきて、考えれば考えるほど、もう一度見返したくなる作品だった。

あまりにも頭から離れないので、ここにこうして書いているわけだが、私の感想を読むよりも、「とにかく観て欲しい!」というのが率直な気持ちだ。


自分の目で観て、自分で考えて、もし出来たら誰かと意見を交換し合ってみて欲しいと思っているけれど、母親目線で見た、私の感想も少し書きとめておこうと思う。

ネタバレにならないように気をつけて進めるが、これから観ようと思っている人は、ここまでで。



映画を観終わった直後、主人公と同世代の息子がいる友人達と、こんな言葉を交わした。

「私もやっちゃうかもしれない。」
「私も言ってると思う。」
「私もやってるなぁ… 」

この作品には、私達が母として日常的にやっていること、やれていないこと、もしかしたらやらかしてしまうことが、つぶさに描かれている。そんな私達の当たり前が、誰かのことをものすごく苦しめていたり、騒動を引き起こしたり、取り返しのつかないことになってしまう可能性もあると気づかされる。

私も母として、一人の人間として、自分は大丈夫だろうか?と、我が身を振り返りながら見入ってしまった。



映画のレビューには、もっと親子で語り合うべきだとか、もっと踏み込んで相手の話を聞いていたら違っていたはずだ、といったものもちらほら見かけたが、私は、こんな風にも思った。

人間には、見えていない部分が沢山ある。
光りが当たっているのなんてほんの少ししかなくて、大部分は光が当たらない。我が子のことだって、こちらから見ることが出来るのは、氷山の一角のようなものだろう。いくら話を聞いても、いくら踏み込んで語り合っても、その暗い部分を見ることは、きっと出来ない。

相手のことを理解しようとすることも必要だが、わかっているつもりをやめて、理解できない部分もひっくるめて、まるごと受け入れることが大事なように思う。

見えていることだけが全てではないし、見えていることが真実とは限らない。

人の噂話や広告のイメージを鵜呑みにしないで、この作品も、ぜひ自分の目で観て、自分で考えてみて欲しい。




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