【読んでみましたアジア本】ずんずんと文化の深みにはまっていく面白さ:紀蔚然・著/舩山むつみ・訳『台北プライベートアイ』(文藝春秋)

以前もなんどか書いたが、わたしはあまり文学的な素養に対しての関心があまりないので、そうした作品にのめり込んで読む、という習慣を小学生以来もってこなかった。決して文学をバカにしているわけではなく、それはそれとして、ある人たちにとっては当然存在価値のあるものだとは認めつつ、フィクションの世界に没頭するという気分になった記憶がほぼない。

とはいえ、米ドラマなどある種のフィクションにはわりとハマるので、フィクション自体をバカにしたり、嫌っているわけでもない。たぶん、日本から香港に引っ越して以来、香港でも北京でも、目の前で起きることや、それを理解するために知るべき裏事情などのノンフィクションを追っかけるのにあまりに忙しくて、フィクションの世界に割く時間が取れず、そのまんま習慣になってしまったんだと思う。

この「読んでみました」を始めてからやっと、半ば強制的に小説作品を手にとるようになり、それでもすでにフィクションを読み耽るという「姿勢」を完全に失っていたようでどこかむずがゆい思いでそれらを読んできた。今回ピックアップした『台北プライベートアイ』は執筆締め切りまで時間に追われていたせいもあるが、やっとじっくりと集中して小説に没頭することができた。

そろそろ、じっくりフィクションを味わうことができる細胞がわたしの中にも蘇生してきたのかしらん? それともやっぱり作品によるのかな?

本書の著者、紀蔚然氏は台湾の劇作家で、現代劇場文化を生み、支えてきた方らしい。台湾で教育を受けた後米国に留学、しかし帰国後に望んでいた教職の求人が見つからず、広告会社へ。商業広告の世界に絶望していたときに海外華僑だった夫人の叱咤激励で改めて米国に留学して演劇で博士課程を終了。その後台湾の国立政治大学の英文学科で演劇をテーマにした教職についた。同時に演劇の世界でも活躍を始め、2013年には台湾の「第17回国家文藝賞」を受賞した。同じ年に同賞を受賞したメンバーの中に、映画監督のアン・リー氏の名前もある。

もう一つ本書出版において興味深いのは、訳者の舩山むつみ氏の経歴で、中国語原著の翻訳出版が本書は初めてとのことだが、なんとこの他にも英語やフランス語の翻訳者としての出版経験をお持ちとのこと。

実のところ、本書もそうなのだが、台湾、香港、そして昨今の中国ではマルチな海外文化の背景を持つ著者が出てきており、中国語の知識や能力だけが高くても著者の世界においつけないケースがよくある。

わたしも香港時代にはアップアップで香港社会に影響を与えている英語文化を理解しようと務めたし、21世紀初めの中国でもいち早く海外のトレンドや言論を取り込み、論ずる空間が普通にあった。もとより海外との行き来が盛んな台湾でも、日本との関係だけではなく、日本ではまだ一般的になっていない欧米の文化を身につけた人たちも大変多い。そんな中華圏文化理解を助けてくれる翻訳者に多言語習得者がそこに出現したことはうれしきこと。今後も日本語視点からだけでは気づけない、台湾文化界のご紹介に期待したい。

●新しい街、新しい人、新しい事件


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