おせち

おせち料理を手作りする意味

いよいよこの時期がやってきた。大嫌いな大掃除と大好きなおせちづくりの怒涛の数日間だ。大掃除が終わらないと必死にドタバタしながら、29日から黒豆を仕込み始めることで、我が家のおせちづくりがスタートする。

お正月は母の手作りおせちを家族や親族で囲むという子ども時代を当たり前として送っていた。子どもの私にとって、それはいとこたちと遊び放題、おじさんやおばさんからのお年玉がジャンジャン集まるというパラダイス。
が、ここで、母の笑っていた顔は思い出せない。笑っていた顔どころか、母が一緒におせちを囲んでいた姿すら思い出せない。
思い出すのは、泣いていたり、怒っていたり、台所にいたりする姿だけだ。
子どもの頃はそういうものだと思っていたが、今となっては、なんと切ない嫁の姿なのだろう。まぁ、母は非常に気が強い人で、不満がたまりにたまって弾けた後、大バトルが勃発したくさんの人を巻き込んだ大騒動が起こるのだが、それはおせちとは関係ないので、ここでは割愛。

今まで買ったおせちは食べたことがない。
つくるものだと思い込んでいたのだ。なので、母が家から出て行った後も全てではないにせよ、見様見真似で私はおせちを作り始めた。年に一度しか作らないものだから、材料の買い出しが多すぎたり少なすぎたり、思っていたよりも時間がかかってしまったりと、毎年失敗しながら。

ある時から、このおせちづくりに使命感を覚えるようになった。
息子の発達障害がわかったころだ。時の流れ、あいまいな表現を理解しにくい息子は、朝は何時から何時まで?夕方は何時から何時まで?昼は12時のことで13時は違うでしょう?春と夏の変わり目はどこの瞬間?などと、あいまいで日本的な時の移り変わりの表現にたくさんの疑問を持った。
私は季節を教えるために、スーパーへ連れて行った。
「お正月の前になると、売り場が変わるでしょう。真っ赤な金時人参が出てきたらもうすぐお正月のサイン。」
「かまぼこがいっぱい並んでるでしょう。いつも並んでいるより高くて良いものなの。これもお正月のサイン。かまぼこはお魚で出来ているのよ。」
スーパーで季節を教え始めた最初が年末だったのだ。

説明してもそれを理解するのが難しいなら体験させるしかない。
そこで、私は年末なんだかんだ言いながら大掃除をする様子や、年末の3日間は包丁の音や、お鍋からの良いにおい、大量の食材を色々と調理していく様子を同じ家の中で「感じて」貰うことに意識を向けた。

そんな息子も、来年は22歳だ。まだまだ課題は尽きないが、とりあえずは平穏な日々となった。(一時の波乱万丈さに比べたら)
息子と13歳年の離れた娘は、今年は小学2年生。一緒におせちづくりをすることを楽しみにしている。

私のお正月の記憶の中には、必ずおせちがある。
良いことも、悪いことも、嬉しかったことも、悲しかったことも。
家族の形が変わっていっても、そこには必ずおせちがあった。

今年も作ります。

サポートは、鷹の目で世の中を見ることが出来るように、本などに使わせていただきます。