思い出が消えていくこととか
ポケモンのサザナミタウンは海辺の砂浜にある町で、人がたくさんいて賑わっている夏よりも、シーズン外で人もいなくて静かな秋、冬、春の方が良いBGMをしています。
思い出ばかり美しくなっちゃうね。
6年前、バイトの休憩時間に聴いていた曲をまだ覚えている。
というか2018年が6年前なの嘘すぎる。
小学校の卒業式の日の空がいままで見た中で一番青かったことも、その日好きだった子と一回も目が合わなかったことも、学校に行けなくてずっと布団に潜っていた秋の日に、おじいちゃんがすすきを見に山へ連れて行ってくれて、そのとき吹いてた風と光も、全部はっきり覚えてて、その全部がきれいなままで。
小学校の図書室にもう一度行きたいと思ったけど、今入ったら普通に不審者だし、この前近くを通ったら校舎の改築工事をしていて当時の面影もなくなっていた。
こうやって思い出って消えていくんだなぁって寂しくなった。
もう一回あの図書室に入って、「この棚こんなに低かったっけ!?」「いすちっちゃ!」とか思いたかった。
学校の廊下を歩いて、「ここ暗くて怖かったよね〜」とか「この階段で給食こぼした!」とか「パソコン室のにおいがする」「このカメまだ飼ってるんだ」「外庭そうじ好きだったな」「夕方はこの窓から光が差してきれいなんだよね」とか、全部全部思いたかった!
思い出を無くしたくないだけなのにな。
昔使っていたスマホのボイスメモに、思いついた歌とかフレーズとかを録音してて、たしか200個くらいあったと思うけど、全部消えてました。
思い出が消えてほしくないだけなのに。
運動会の練習の時期だけは学校に水筒を持ってきても良くて、でも5、6時間目くらいには入れてきたお茶もなくなっちゃうから代わりに水道の水を入れて、少しカルキくさい水を飲みながら下校していた時の夕焼けがずっと眩しくて
高校に行けなくてもう全部全部嫌になって貯金してた500円玉数十枚だけ持って自転車に乗って家からも学校からも逃げ出してこのままどうにでもなれ道に迷って死んでもいいと思って知らない道をただただ進んでタイヤがパンクしてもずっと進んだら高速のインターチェンジにぶつかってこれ以上自転車では進めなくなってもう帰ろうか、と思って来た道を引き返して夕方に家に着いたとき弟はTSUTAYAで借りてきたズートピアを見ていてお母さんはただおかえりって言ってくれて今日死ぬかもしれなかったのに何事もなかったみたいでその日の夕飯が何だったのかはもう忘れたけど今でも不意に泣きそうになることとか
初めて好きな人に告白した時に緊張してずっと手でちぎっていた葉っぱはこれでしたその時の青い匂いがまだ指に残っている気がします
そんな全部が消えてほしくなくて、覚えていたくて、そして今後それを超えられるのかなってたまに思う。
もう十分思い出はあるし、楽しかったし、これ以上生きてもしょうがないし、苦しいことも分からないこともずっと多くてもういいかなと思うことが増えてきて、最近はそればっか考えてて頭が痛くなってきたので今日は豚の角煮を作ることにしました。食べたかったから!
角煮は小さい頃大好きで、でも「角煮」っていう言葉を知らないから「ぶたのかくにん(確認)」と言っていて、よくお母さんに「今日ぶたのかくにんがいい!」って言っていました。
今思うとこんな面倒な料理、よく作ってくれてたなー。すごい。
ダ・ヴィンチ・恐山さんが、角煮はリュウジさんのレシピが一番美味しいって言ってたのでそれで作るぞ!
↓作り方の動画
できた!
めっちゃおいしい!
ばいばい!
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