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永遠の子どもたち

☆ホラー映画の話ではないです(そういうタイトルの映画があるらしい)。


世間には酷いことを言う人たちがいるもので、酷い内容にはいろいろなタイプがあるけれど、
まず思い浮かぶのはこれ。

「〇〇してないから、いつまでも子供なんだ」


〇〇は何でも可。任意の言葉を入れてください。自分が言われたことあるのは子育て。


意味がわからない。


〇〇してていつまでも子供な人も、〇〇していなくてとっくに子供ではない人も、どちらもたくさんいるだろう。

〇〇したことのある人の方がマジョリティだと思っているからそういうことを言うのだろうが、そのマジョリティが〇〇によって皆すくすくと脱子供してるのなら、世の中はもっと良くなってるはずである。

良くなっていないのなら、脱子供は、実は悪いことなのではないのかという推測が働く。

思うに、単に長いものに巻かれろ的な生き方をとらざるをえなくなった(そしてその生き方は、他人をコントロールしようとする人たちからはとてもよく褒めてもらえる)のを、〇〇にかこつけて正当化しようとしているだけなのでは?、あるいは、自らの〇〇に対する不満が無意識に現れているだけでは?

などといろいろ考えても何の結論もでない。

それもそのはずで、そもそもの発言の趣旨は、「子供」という曖昧な言葉、ある場合には小ささや弱さや頼りなさを連想させる言葉によって相手を貶めようとしていることにあるのだから。そこには何の意味もない。


きっと〇〇は大変なんだろうし、大変な経験で人が成長することはある。
当たり前である。


でも

経験を経て成長したであろう人は、あんなこと言わない。


〇〇を選択しなかった人たちへ。酷い言葉を投げかけられても何も恥じる必要はないよ。無視、形式だけの同意、怒り、軽蔑、いわゆるエセ京都人やイギリス人のリーサルウェポン的な返し、それぞれがそのときに可能な態度で接してやればいい。わかりきったことかもしれないけれど。

ちなみに私は、「こいつは本当にバカだな」と思いながらも、当時慣れていないのもあって、「そうなんですかーー。へーーー。」と全アクセント平らな状態で返したのだが、やはり、

「さすがたくさんいろんなこと勉強して大きくならはった人はおっしゃることが違うおすなあ。経験が人を作るんやねえ。」

とか返したかったな。

返したところで、無意識にどうしようもない悲しさと虚しさを感じるけれどもさ。


☆ ☆ ☆


話は変わるが、世の中にはいろいろな人がいて、何かの事情で子どものままでしかいられない人もいる。

私もその一人で、おそらくは、生物的に子どもである時期に「子どもであること」を許されなかったからだと思う。そういう人の中には、分岐して生まれたその時々の自分を内包したまま成長し、歳をとる人もいる。

ある意味、永遠の子どもたちなのだ。
永遠を強制された子どもたち。


彼らが良いとか悪いとか言うつもりはないし、内包している子どもが良いとか悪いとか言うつもりもない。悪く影響することも良く影響することもあるわけだし。

ただ、もしよかったら、そういう人たちもいるということは心に留めて置いて欲しい。



ここまで書いてやっと気づいた。

あのとき私は、「子供で何が悪い。大人のふりをして人に呪いの言葉を投げるお前よりもマシだ」と言いたかったんだ。