【横須賀DTP演習録】②エグゼキューションという快楽
DTP演習は中間ジュリーを迎えた。この3日ほど考えることが多かったのでまとめたい。ちなみに誰かに何かを伝える気はない。書き起こしただけ。
1. コンセプトの話
中間ジュリー前に中島直人先生の授業があり、銀座のまちづくりについて紹介していた。銀座では都市デザイン協議会が銀座デザインルールを配布している。それは事前確定的な基準を機械的に適用することではなく、協議対象者が参照しながら銀座らしいデザインを考えるためのツールだった。イギリスの都市計画におけるマスタープランと同じ役割を持っていて、留学先の授業で「開発圧力が高いエリアはstatutoryよりもdiscretionaryの方がうまくいく」と言っていたことを思い出した。
銀座デザインルールの内容を一言でまとめると「革新こそ伝統」ということだった。この言葉は授業スライドにあっただけで冊子に直接書いてあったわけではないが、この言葉を見てマスタープランとかまちづくりにおけるコンセプトの重要性が腑に落ちた。
シンプルで力強い。伝わり、広がること。エッセンスを取り出すこと。「革新こそ伝統」という概念自体は真新しくもなく、伝統的な企業が山ほど使っているコンセプトだけれども、銀座のまちづくりの歴史の話を聞いた後に、もしこの言葉がまちづくりガイドラインのタイトルだったら、と思うと、コンセプトの力を感じた。
演習ではよくコンセプトを付けろと言われて、そのたびに都市計画は自己満コンセプトじゃなくて1つ1つの課題解決だろ、と思っていた。単なるメタファーとしてしか機能していない、デザイナーの自己満的コンセプトは今回の発表にもあって、建築バックグラウンドの先生には好意的に受け止められていたけど、やはり違うと思う。大事なのはそのコンセプトが都市計画やまちづくりの施策を的確に言い表していて、市民の街への関心の入り口となっていて、それ自体が市民のアイデンティティやシビックプライドに直結していくことだと思う。
SSD100の内容を思い出すと、例えばバーミンガムの都市再生はかつての工業都市としての誇りである運河地区を再生させ中心市街地と接続させる、というストーリーだし、レンゾ・ピアノによるジェノヴァ港の再生は交通とシンボリックな建築を織り交ぜて海事都市ジェノヴァの記憶を取り戻すことであった。またブリストル市で地図パネルや道標など小さなデザインの積み重ねにより都市のイメージを再編することを目指した「わかりやすい都市」プロジェクトも参考になる。留学中で訪れた都市ではマンチェスターが秀逸だった。マンチェスターはハチが街のシンボルになっていて、トラムのカラーをはじめ街のいたるところにハチがちりばめられている。工業都市マンチェスターの労働者を勤勉な働きバチに見立てていて、それがシビックプライドにつながっていることがよくわかった。コペンハーゲンにはデザインミュージアムがあったり運河沿いに洗練されたデザインの建築を並べたりと「洗練されたデザイン」そのものが都市のアイデンティティとして確立されていた。
都市計画もまちづくりもシンプルにはできないけれど、シンプルな言葉とストーリーに乗せるからこそ、より多くの人が関心を持ち、街に参加してくれるはずだと思う。尖っていたとしても奇をてらったものではない、複雑な歴史と課題解決手法をシビックプライドにまで高めるようなシンボル化。とても難しそう。
2. 中間ジュリーの話
中間ジュリーでは他のグループの発表凄いなぁと思っていた。自分はそこまで手が動かないし、じっくり腰を据えて積み上げられない。スタディの量と質、把握量も思考の量も素直に尊敬する。なぜかわからないけど自分にはできない。みんなすごく考えてる。
僕は自分の班でも「放牧」されている。普通の作業をやらせても調子が上がらないしすぐ逃げ出すからだ。その分グループの方針を決めたり勝手にリサーチしたりしてバリューを出そうと頑張っているわけだが、多分人よりもできることとできないことの凹凸が激しい。
ということで自分にクリエイティビティがあるとは思ったことがない。デザインができるともデザイナーになろうともデザインで課題解決しようとも思ったことがなく、ただひたすらに実行力があるだけの人間だ。一定の閾値を超えた「やりたいこと」を形にするためのノウハウと気力はある。ただそれだけ。あとは問う力、少なくとも問う気概だけは持っていたいなと。あらゆるプロジェクトの質を「問いのユニークネス」「デザイン力(=課題解決力)」、「エグゼキューション力」の3つに分けるとすれば、僕はエグゼキューションだけ高くて、問う力は高めたいと思っていて、デザイン力はあきらめている。みんなのスライドを見ていて、入り口と出口のセットアップをやってあげる、つまり大きな問いを立てて解く道筋を示しつつ、みんなのクリエイティブ力とかリサーチ力(解く力)を活かしてあげられるプロデューサーロールみたいなものが向いているのかなと思った。
実際に中間ジュリーで先生方に指摘された点は以下のような問いがベースにあると思う。これらの問いを各メンバーに当て、道筋を示し、デザイン力を最大限プロデュースすることにチャレンジしてみたい。それが僕にとって挑戦的なのかは置いておいて、、、。
前回啖呵を切っていた市民との接点を作ることはまだ動けていない。単純に時間がないのと気が重いだけなんだけれど、かけてもらっている期待をそのままにしたくないので、ちゃんとやっていきたい。
3. 各務太郎さんの話
土曜日にASIBAインキュベーション第4回があった。ゲストの各務太郎さんの話がまさにASIBAの教科書のような話で、とても刺激を受けた。自分に刺さっているのは、自分にしか見えないイシューを探せ、自分にしか問えないことを問え、ということだ。僕はあまりにエグゼキューションという快楽をむさぼっていて、自分だけの問いを発見するための時間から逃げている。
4. プロジェクトの話
現在取り組んでいるシェアハウスPJについて壁打ちをしてもらった。自分はなんて情けなくて、この人はどうしてこんなにまっすぐに生きれるのだろうと思った。エグゼキューションが快楽だと言われ、本当にその通りだと思う。結局僕の思考とこれまでやってきたことはASIBA的ではなくて、それを組み替えてみるか、このままでいいと思うかという話。大きなものに戦いを挑むのか、地に足を付けて手の動く範囲を守るのか、の違い。そもそも都市や建築への思い入れとか、社会への憤りとか、根本のところで僕はバックボーンが貧弱だし、ある程度社会適合者だから東大生になっているわけだ。そんな東大生が、それでも問える人とか愛せる人とか憤りを感じられる人に憧れてしまっているから、ファッションアクティビストみたいになっている。
似たようなことがB2のときにもあったっけ。僕はHSPにあこがれて、ファッションHSPだった(意味不明)。ファッションでアクティビストやるのもHSPやるのも、純粋培養型と同じくらい変な奴だ。結局僕はHSPっぽい優しさとか感受性の豊かさをベースに少しだけ自分の在り方をアップデートして、今は良い意味でうまく距離を取れるようになっている。ありたい姿をとことん追求して、アップデートして、それでも離れていれば適切な距離を取る。今度だってそれでいいんだと思う。あこがれる人と自分は本質的に違っているとわかっているけれど、自分のあこがれに素直になって、自分のありたい姿を目指せばいい。自分の嗅覚でここまで来たんだから、これからもそれを信じるしかないんだ。
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