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食べ物があるのに、食べたいものがない

私の家には今、食べ物が有り余っていると思う。野菜とか日持ちのしないもの、というよりはパスタソースとか、レトルトのカレーとか、冷凍できるカット野菜、きのことか。それからグラノーラ、片栗粉、かつお節といった日配品も。そして、ポテトチップス、歌舞伎揚げ、アルフォートといったお菓子類まで。

けっこう、充実なラインナップだと思う。

それらはほとんど、おばあちゃんからの定期便(と私が勝手に呼んでいる、いわゆる食べ物の仕送り)でもらったものだ。

先日、おばあちゃんに会ったときに「レンジでチンして、すぐに食べられるタイプのパウチ食品があると嬉しい」「あのお菓子が美味しかったからまた入れてほしい」「さけるチーズが食べたい」と、リクエストをしたところ、おばあちゃんというのは本当に素直で、そのあとの定期便の中にはリクエストしたものが大量に段ボールに詰まっていた。

「おばあちゃん……」呆然としてしまった。まあ、嬉しいからいいんだけどね。


と、定期便のおかげで私の家には食べ物が有り余っているのに、仕事を終えて、今日は夕飯に何を食べよう? と冷蔵庫やストック棚を一通り見て、ここ最近は「食べたいものがない……」となってしまう。

どうしてだろう? こんなに食べられるものがあって、食べられることを望んでいるものがあるのに。


第一に、「今、それを食べたい気分ではない」というのがある。なんとも横暴で我儘なことは承知のうえで、「食べたい」と思えないのだ。それはアイスを選ぶときに、さっぱりしたシャーベットを食べたいのにチョコレートやミルク系のアイスしか売っていなかったときの気持ちに似ている。今は、それじゃない。こっくりしたものを食べたくはない。さっぱりしたものが食べたい。そんな感じ。

そして第二に、「“それ” だけでは食べられないものが多い」というのもある。例えばパスタソースはたくさんあるのに、肝心のパスタがない。グラノーラはあるのに、牛乳がない。カット野菜やキノコがあるのに、おかずにするためのお肉やお魚、味付けができる調味料がない。料理って組み合わせだから、なかなか難しい。パスタがないだけで、パスタソースは0になる。


そうしてまた私は、卵かけごはんという完全食をかき込むのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。