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久しぶりにパフェを見て、

パフェを久しぶりに見た。いちごと、生クリームと、正方形の小さないちごのスポンジケーキと、コーンフレークと、バニラアイスと、バームクーヘンと、トッポと、また生クリームと、そしていちごと。身体のほとんどが赤と白で作られたそれが、私の目の前にどーんと鎮座していた。鎮座、という言葉がしっくりくる立ち姿だった。

友達とたまたま入ったカフェで、私たちはコーヒーと、友達はシフォンケーキ、私はガトーショコラを頼んだ。少し話して、テーブルに運ばれてきたケーキは、なんというんだろう、そのときの私たちのお腹には圧倒的に足りなかったのだ。広大な砂漠で、150mlのペットボトルを逆さにしたような。意味がないとは言わないけれど、限りなく意味がないような。

もちろん、ケーキのサイズだけに原因があるわけじゃない。

これは人間にとってあるあるだと思んだけど、食事をする前の空腹を0としたら、実際に食べる食事が目の前に運ばれてきたときの空腹はー5だと私は思う。お腹が空いているという自己認識よりも、口にできるものが目の前にあるときのほうが空腹をより認識する。「お腹空いている」という理解より、暴力的に「お腹が空いている」のだと、目の前の食べ物に認識させられるのだ。

だからケーキを見たとき、「あ、足りないな」と私たちは無言で悟った。たぶん、先に食事をした人のセカンドストマック、別腹と言われる小さな隙間を埋めるためのサイズ感だと思えば、それはちょうどよかったかもしれない。

しかし、私たちはケーキこそがファーストストマック、食事だった。

ぽそぽそと話をしながら、5口ほどでケーキを食べ終わった。そしておもむろに、テーブルの隅によせていたメニューをもう一度広げ、「さて、何にしますか」と予告もなく、話し始めた。

私たちの高貴なお眼鏡にかなったのが、期間限定のいちごパフェだった。

久しぶりに目の前にしたパフェは、なんだかとってもきらきらしていた。子どものとき、お店のメニューでパフェだけが輝いていたことを思い出す。ファミレスでも、カフェでも、パフェは子どもの私をわくわくさせてくれた。

パフェは不変だ。大人になった私も今、パフェを目の前にしてわくわくしている。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。