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博識な人に出会うと、その人に、努力の破片を見る

博識な人に出会うと、その人に、努力の破片を見る。きっとたくさん勉強したんだろうな。問題を解いたのかもしれないし、本を読み込んだのかもしれないし、先人をいく人の話を真剣に聞いたのかもしれない。そういう、知識の後ろにあったであろう時間を想像する。

今、私がこの人から何気なく教えてもらっているのは、努力の欠片だ。大切に積み上げてきた山のような努力の欠片を、まるで消しゴムを忘れた人にするみたいに、千切って渡してくれている気持ちになる。

それが、嬉しい。そして、有難い。そんでもって、すごいなあと尊敬する。

ただただ毎日を流して過ごしていただけでは、人は博識にはなれない。本も、コンテンツも、先生の話も、ぽーーっと読んでいるようで読んでなかったり、見ているようで見てなかったり、聞いているようで聞いていなかったりすると、脳みその線は増えていかない。知識があるということは、小さくした鉛筆があって、机にかじりついた時間があって、読み込んだ本のページ数がある。もしかしたら緊張した試験とかテストがあって、覚えるために寝ずに過ごした夜があるのかもしれない。大学受験のために、東京に前乗りして、朝、消しゴムを忘れてないか、時計を忘れてないか念入りに確認して、どきどきしたまま電車を間違えないように何度も乗り換えをチェックした私を重ねる。

知識をつけるって、そういうことだ。朝起きたらパッとすべてが理解できていたなんてことはきっとない。それは知識だけじゃなくて技術もスキルも、忘れてしまって、もう一度頭に、身体に、手に、舌に、鼻に、指に覚えさせて、また忘れて、もうもう一度覚えてもらって、自分の血肉にしていく。

その覚えた先で、私はあなたに会う。

「これはなんですか?」「どういう意味ですか?」「なんでこうなるんですか?」「その違いってどういうことですか?」と、アホな顔して聞く私に、「それはですね」「迷いますよね」「わかります、私も最初は」と丁寧に、努力の欠片を渡してくれるのだ。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。