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AI技術時代の語学

タイトルは『複製技術時代の芸術』(1936)になぞらえているわけですが、このヴァルター・ベンヤミンの評論は、新しいテクノロジー(当時では映画や写真)の登場によって「アウラ」、本物のオーラ、唯一性のようなものが消えたということを話の前提にしている。

現代の最新テクノロジーであるChatGPT-4oの先日の発表に衝撃をうけない語学関係者、語学学習者はいないだろう。

あ、これがあるなら何年も必死に語学なんかやらなくてよくね?少なくとも国民総出でやるようなことじゃなくね?

そう思った向きも決して少なくないだろう。

苦労して身につけた英語の達人という「アウラ」の消失。すごーい、先生って、まるでAIみたいですね!?将棋の藤井聡太八冠がAIになぞらえて称賛されるように、そう子どもたちに言われる未来も遠くないのだろうか。。

とは言っても、チェスでディープ・ブルーがカスパロフを倒した時も、囲碁でアルファ碁がイ・セドルを打ちまかした時も、これでプロの存在意義、「アウラ」がなくなるとの議論はあったが、実際には意外とそうでもない。チェスも将棋もむしろ近年人気は高まっており、たとえAIより確かに弱くともプロ棋士へのリスペクトも決して無くなってはいない。

藤井八冠に至っては、常人離れした詰将棋力に裏打ちされた圧倒的な中・終盤の読みに加え、AIを有効活用した序盤戦術の洗練により将棋史上最強とも評される域に到達している。また囲碁やチェスではAIの登場により棋界全体のレベルが向上したとの研究もある。

人間とAIが無益に競い合うのではなく、人力+AIで、頭打ちと思われていた分野での成長への契機となっているのだ。

では語学でも同様の可能性があるだろうか?

実際、早速最新のChatGPT-4oを使って語学力の強化に活かしはじめている達人もいる。

また、おそらくAIが進化したとは言っても異文化間での詩・小説などの真の翻訳の難しさは依然残るだろうし、文法的な言語の解明は課題としてあり続けるだろう。実際にChatGPTを使って文法を訊いたことがある人なら、AIが込み入ったその種の議論を苦手とすることは周知の話だ。

とはいえ、そういった語学マニアの議論ではなく、ビジネスでの英語の使用、つまり大多数の人にとっての語学の動機や必要性にAIの進歩の及ぼすインパクトが無視しえないものとなるのは想像に難くない。

ベンヤミンが「アウラ」の消失に対して両義的な姿勢であったように、私たち語学関係者もAIのもたらす未来に複雑な感情を持たざるを得ない。夢のほんやくコンニャクとなるかそれとも悪夢のバベルの塔となるか。

老い先長くはない私自身はそもそも好事家的な人間でもあるしそれが役に立とうが立たまいがここまで来たら語学とつきあい続けることになるとは思うけれど、まだ若い自分の子どもや生徒たちに今後も強く語学を勧めるかというと...しかし齢48にしてこのような人類史的な岐路に立ち会うことになるとは夢にも思わなかったなあ。。

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