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マタニティマークをつけては隠す日々

「今日は魔法のマークつけてないの?」

夫と出かけると、最近よく聞かれること。どうやら彼の中ではマタニティマークが、マリオの「無敵状態になれる星」のように見えているらしい。

いつからつけようかと悩んでるうちに気づけば5ヶ月になってしまって、周りの人と比べると遅めのデビューだったのでは……と思います。

不妊治療をしつつ、まだまだ先なんだろうなと思っていたところにふとやってきた、お腹の中の人。もちろんありがたくて、嬉しい気持ちはありつつ。

膨らむお腹を見てみても、なんだか自分の身体とは思えなくて。どこか人ごとでふわふわとした気持ちを抱えつつ。

どうやら自分の子どもが産まれてくるらしい10月までのカウントダウンの日々を、過ごしています。

妊娠したことをオープンにしたいような、したくないような。会社に向かう平日と、プライベートな土日でも微妙にその気分が違うかんじがして。なんとも言えないモヤモヤした気持ちが、私のマタニティマークデビューを遅れさせました。

結局は慣例にならって、いわゆる「安定期」と呼ばれるタイミングから妊娠してることを周りに伝えることにしたのですが。

会社のえらい人の席まで報告しに行ったり、
同じ部署の人たちに会議で報告したり、
SNSに書き込んでみたり。

「妊娠してる自分」と本当の意味で向き合うには、周りに知ってもらうことって大事だなあと実感しつつ。その流れでマタニティマークをつける決心もやっとした、というところです。

ただ、いざつけてみると思っていた以上にソワソワしてしまって。

乗ろうとしてる電車の席が明らかに全て埋まってるのに、座ってる人たちの前にマタニティマークをつけた自分がわざわざ立つって……なんだかとっても申し訳ない。

まるで「譲ってください」と無言のプレッシャーをかけてるみたいで。実際は数駅だったら座れなくたって全然平気だし、もっと座るべき人がいるだろうし。

いつしか乗る前から空席がないことがわかってる場合には、バッグのマタニティマークがついてる方を内側にして。隠すようにして電車に乗るようになりました。

これなら誰にも罪悪感を感じさせることなく、気持ちよく電車に乗れる。そんな不思議な安堵感があって。

でも、あれ?

私は何のためにこのマークをつけてるんだっけ?私が伝えたいメッセージって一体なんだったっけ?

「マークをつけてるのに隠す」という矛盾した行動をとる自分に戸惑いつつ、自分なりの意味が見つかり始めたのはつい最近の話で。

座れたときにマークを見せることで、自分には座る権利があるんだと主張できること。そして、優先席に座っていても罪悪感がないこと。

そう、私は席を譲ってほしいアピールをするためではなく、「座っててもいい人」の認定印としてこのマークに頼りたかったんです。

でもこんな狭い意味合いでつけてる人、きっとなかなかいないですよね。

みんなそもそも、どんな思いでつけてるのだろう?


見た目は同じマークでも、人それぞれ微妙に抱えてる思いが違う気がする。

そう思うと、マークをつけてない人たちにとって「マークをつけてる人の気持ちを察して思いやる」って結構ハードルが高いことなんじゃないかなあと思います。

マークをつけてても席を譲ってもらえない……という話は周りの友人からよく聞くけれど。私の場合はつけてる側としてこんな曖昧なスタンスなのだから、受け取る側だって戸惑って当然だよなあと。

マークに込める思いも、それを見たときの受け取り方も、きっと人それぞれ。

例え私が最低限のタイミングでしかつけてなかったとしても、少し前の私のように不妊治療をしてる人からすれば、不快に思う人もいるかもしれないし。

ひと口に不妊治療と言ったって、いろんなステージがある中で私は早い段階で卒業できた方で。周りには体力的にも金銭的にも辛い思いをしてる人たちもいて、私にはその人たちの気持ちを本当の意味で理解することは難しい。

相手の気持ちを想像して寄り添うことって、簡単じゃないなあと思います。


自分が意図してるとおりに相手が汲み取ってくれることってそうそう無いし、逆に自分が「きっとこうだろう」と無意識に相手を決めつけてることってたくさんある。

妊婦だけの話ではなくて、仕事でも家族や友人関係でも、どこにでもある課題だなと思います。

日々ゆらゆらした曖昧な気持ちでマークをつけ続けている私ですが、人のあたたかさに触れてありがたいなと思う日ももちろんあります。

マークを隠すように内側にしてたのに、すかさず見つけて声をかけてくれた若いお母さん。

バッグを下に置いてマークが見えないようにしてたのに、「気づかなくてごめんなさい」と慌てて席を譲ってくれたガテン系のおじさま。

朝のラッシュで最後の1席を譲ってくれて、50分間立ち続けた後に私と同じ駅で降りたお姉さん。

絶対座りたかったであろうお姉さんの気持ちを考えると、その日は罪悪感でいっぱいで……なんだか落ち込んでしまいましたが。

貴重な朝の時間に座りたいのは、妊娠してるもしてないも関係ない。少し前まで自分だって妊娠してない側の、「席を譲る」側の人間だったのだから。毎朝複雑な思いでいっぱいです。

きっと譲る側にも譲られる側にも、言葉には言い表せないそれぞれの思いがあるんだよな。


「お互いの気持ちを汲み取って思いやる」なんて、どこまでいっても難しい。

妊娠についてオープンにし始めた私も、今でも発信については日々悩んでます。これを見て傷つく人がいないかな。浮かれてると思われないかな……って。

よく考えたらこれって、妊娠中だけの特別なことじゃないんですけどね。

楽しい旅行での思い出が、出かけたいところに出かけられない人を傷つけるかもしれないし。

おいしい食事の記録が、自分が食べたいものを食べられない人を傷つけるかもしれない。

誰かを傷つけてしまうことを可能性を考えたら、正直キリがない。実はそんな危うさの中で、みんな日々を生きてるのかも。

それでも……自分以外の誰かのためにせいいっぱいの想像力を働かせることは、やっぱりあきらめたくない。

そうやって絞り出した自分なりの気持ちと行動は、きっと相手に伝わるから。

いろんな方に席を譲っていただくようになって、そんな優しい世界にも日々気づかせてもらっている今日この頃です。

マークをつけてる人にもつけてない人にも、自分なりの想像力を働かせて、少しでも相手のためになる行動をしていけたら。

例えそれがゆらぎのある、100点満点の正解じゃなかったとしても。

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