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子供に痛みを伴わず善悪を教えたい

メガネとヒゲが似合うダンディズム マイトンです。
ダンディズムという単語を生まれて初めて使ったのでこれで合っているかわかりません。誰か教えてください。


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今日も昔の思い出話。
私が小さい頃ビックリマンシールというのが流行っていた。今も売っているのでその存在はご存知かと思うが 当時は30円でチョコとシールが入っているという時代。そう思うと物価って上がったよね。。

箱買いに憧れました

たくさん買うとチョコが余るのでシールだけとってチョコを捨ててしまう『ビックリマン貴族』から、チョコや被ったシールを恵んでもらう『ビックリマン貧民』、ロッテではなくロッチと書かれたニセモノシールを織り交ぜてくる『ビックソマン貴族』も横行した。

そして私はというと純然たる『ビックリマン貧民』であり、皆が楽しげにシールを集めるのを指を咥えて見ているしかなかった。

そんな中 私の通う保育園ではカバンにビックリマンシールを貼るという一大ムーブメントが起こる。
ヤンチャなまことくんも、優しいわたるくんも、まことくんにいやがらせされて泣く私をいつも助けてくれるあきこちゃんも、誰もがカバンにビックリマンシールを貼って登園してきていた。

ところが私は『ビックリマン貧民』。
母にねだるも買ってはもらえない。

でもシールは欲しい。
自分もカバンに貼って自慢したい。

教室の壁にぶら下がって並ぶみんなの登園カバンを眺めてムムムと私は考えた。





そして出した結論が「みんなのカバンからシールを剥がして集める」だった。


そうだ。シールは剥がして貼り直せるのだ。

剥がしたシールを新聞広告の紙にキレイに並べて貼りつけ、私は意気揚々と家に持って帰った。

憧れのビックリマンシールをゲットできたことに満足しその日はぐっすり眠った。

やったぞ。ついにぼくも『ビックリマン貴族』の仲間入りだ!

翌朝保育園へ登園するといつもと様子が違う。
みんなの大切なビックリマンシールが無くなったということで先生も保護者もザワザワしている。
鼻をほじりながらその様子を見ていたあほな私はそこで自分のやったことの重大さにようやく気づくのである。


下に見ていた『ビックソマン貴族』よりもさらに下の下『ビックリマン泥棒』に私はなっていた!


その日家に帰り泣きながら広告を差し出す私。
そこには一面にビックリマンシールが敷き詰められている。

恐らくその当時で人生最大級に怒られ、父からは初めてゲンコツを食らった。
その後のことは覚えていないがとにかくめちゃくちゃ怒られたことだけ鮮明に覚えている。

「人のものは盗ったらいけないよ」


5歳のマイトンにその言葉は深く刻まれた。


刻まれたはずだった。


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それから私は小学2年生になっていた。
社会の授業でお店屋さんごっこをすることになり、5人くらいの班ごとにテーマを決めることに。八百屋をする事に決めた我々は商品の野菜を粘土で作り、折り紙で作った鶴を飾り付けるのだ。


準備の為に班長のエリちゃんの家で折り紙を折っていた時、衝撃の事実を知ることになる。今自分達が折っている折り紙は近くの個人商店で盗んできたものだというのだ。

いやいやなにしてんねん、と思っていたらエリちゃんが続ける。折り紙足らんから今から盗りにいこうと。

5歳で人のものを盗ったらダメと刻み込まれていた私が勇気を出して それはダメだよ と言いかけた時、他の班員たちの声が遮る。

「いいねー いこういこう」

1人だけ仲間外れになることが怖くて言い出せない。「ダメだよ」の四文字を飲み込んだ私は結局みんなの後をついて行ってしまう。


お店は同級生の親が経営する個人商店。

そこのおじさんとおばさんもよく知っている。


そこから記憶が曖昧なのだが、折り紙を盗む班員たち。お前も何か盗れと言われて目の前にあった欲しくもないガムをポケットに入れた私。全速力で逃げる背中ごしに聞こえる「こらーー!おまえたち!!!」というおじさんの声。


小さい体と心には抱えきれず、班員達と解散したその日の夕方、こっそりガムをお店に戻しに行った。

おじさんは奥に引っ込んでいて店頭にはおらず、直接ごめんなさいをすることも出来なかった。


当然親にも怖くて言えなかった。

ガムは戻したから大丈夫だよね。おじさん学校の先生に言うかな。そしたら親にもバレてどれだけ怒られるだろう。いやだ。怖い。どうしよう。

そんなことをグルグル考え、わたしの愚行が明るみに出ることを恐れて毎日過ごした。


確か3年生になるくらいまではこの出来事が心につっかえて過ごしていた気がする。


後悔と懺悔の気持ち。

親は気付いていたのだろうか。結局何もこの事には触れられる事なく今日まで過ごしてきた。


私はあほうで一回の失敗で正す事ができなかったけれど、2回目のインパクトは相当大きくてそれから間違った道を辿らず生きてこられた。



振り返ってみると身をもって失敗したり、痛い目に合わないと理解できない不器用な私。


どうか我が子にはこの性分が遺伝しませんように。


そう願いながら、毎日同じ事で怒られている我が子を愛おしく思う。この子は私以上に失敗が必要かもしれない。それなら小さいうちにたくさん経験させて失敗させてやりたいと思う。




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