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理想とかけ離れている自分について。

少し前から、自分についてじっくりと向き合ってみたいという欲求を持っていました。

そういう余裕がなく時が過ぎ、向き合うチャンスが中々持てませんでした。

しかし、間接的に、色々な記事を書きなから、少しずつ自分と向き合っていたのだと思います。


今日は、自分が理想とする姿に対して
どういう部分が欠けているのかについて、noteを介して書き記そうと思います。


私が理想としている姿とかけ離れていると思う点として、継続するのがあまり得意ではないということがあります。

仕事についてですが、
結婚して子どもが生まれるまでは、少なくとも4年〜6年程度、一つの仕事を続けることができていました。

子どもが生まれてから始めた仕事も、母が亡くなる前まで約5〜6年続けてきました。


母が生きてた頃に、
「少なくとも、石の上にも3年だよ。」
と言われていたのを思い出します。


母の死というものは、私が想像していた以上の哀しみでした。

情けない話ではありますが、
母が亡くなったからといって、せっかく継続の大切さを教えてもらってきたのに、それができなくなった自分を責めたい気持ちになることが、今までにも多々ありました。

そのせいか、継続できない自分っていうのが、自分の理想とする姿とかけ離れている大きな部分だと私は認識しています。


母の死から、かれこれ丸6年が過ぎようとしています。

この6年間の私は、それ以前の私より継続が苦手な人になってしまいました。


しかし、理想とはかけ離れた自分の嫌な一面ができた反面、それまでの自分にはなかった良い面が育ってきたのも事実です。


私は、3人兄弟の末っ子でしたので、母の生前の頃、母に対してかなり甘えがありました。

ですが、母を失ってしまった今、
自分自身で何とかしなくてはならない問題にぶち当たることが、急に増えてきました。


自分一人の力だけで生きてきた訳ではないけれど、自分で自分の責任を負うということの重みをひしひしと感じています。

大きな甘えられる存在を失くしてしまってから、自分は前よりも一回り強い人になれたと思います。

これは理想としてきた姿というよりも、現実がそういう良い面を育ててくれたのだと自分では感じています。


何があっても自分で何とかしなくちゃ、究極のところでは誰も助けてくれない状況ってあるんだなと実感しています。

とはいえ、周りの人たちや友人に恵まれ、かなり救われてきたこともありますが。


人と人との助け合いについては、
大変難しく思います。

純粋に助け合える状況もあれば、自分が大変な事態に巻き込まれてしまうような、身を制してまでも人を助けられるのか、という助け合いもあります。

そんなことを考えると、ずるいかもしれませんが、自分や自分に守るべきものがあるからと、見て見ぬふりをする場面も出てきます。



自分のことを自分で何とかしなくては、という部分については以前より強くなったとはいえ、自分の身を制してまでも人を救えるようなヒーローみたいな人とは程遠い私です。

敢えて言うなら、ヒーローにはなれないけれど、みんなが自分自身を守ることができるような世の中になれたらいいな、と祈ることはできます。



理想とかけ離れている自分について🍀

書き出すときりが無いほど、他にも沢山出てきそうです。




今回は、継続できない自分の一面に焦点を当てた記事になりました。

『何かを失えば、何かが手に入る。』
という教訓についても、
「なるほどな。」と自分に当てはめて考えることもできました。



今日は、自分としっかり向き合う時間が持てたことに、とても感謝しています。

理想どおりにいかないことも沢山あるけれど、現実では気が付かないうちに、自分がよくも悪くも成長しているんだということを再確認できました。



今日という日にさようなら。
明日がよい日でありますように🎀😊🐦




















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