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終着駅へ行ってみた『呉線最終回』バイバイひろしま

広島市は広島県の西部安芸地方にある
広島県の県庁所在地
中国・四国地方最多の人口を有する
政令指定都市
中国地方の中西部にあり中区・東区・南区
西区・安佐南区・安佐北区・安芸区・佐伯区
で構成される

広島市

我が子が突然

原爆ドームがみたいと言い出した。
コロナ以前の移動が比較的容易な時期で
呉経由で広島へ二人だけで向かった。
 
呉には以前からお世話になっているおでん屋さんと
小料理屋さんがあり・・・
檀家回りで前夜は終了し・・・
翌朝呉線呉駅から広島まで快速電車に乗った。
 

呉線の車窓

広島市境までの呉線はただのローカル線だ。
単線の線路が旧汀線をくねくねと行きつ戻りつする。
大都市広島へ電車が向かっているとは
思えない鄙びた風景は旅情タップリだ。
 
もの心ついてから呉線に乗ったことがない
我が子にとって
瀬戸内沿い景色とトンネルの出入りを繰り返す
興味深い光景は新鮮であった。
食い入るように車窓をながめている。

向洋をすぎて段々広島の中心部へに近づと
車窓がただの地方都市へ変化する。

退屈な光景に興味を失ったのか親子ともども
いつの間にか居眠りしていた。

広島到着

アナウンスに急かされ
広島駅前の電停から原爆ドーム前へ
路面電車に乗った。
 
路面電車に乗った事がないわが子は
電車の座席から市街地を
ぼんやり眺めていた。

小さな橋を渡ると
進行方向左側に原爆ドームが見えてきた。
子供は「あ」と
ひとこと発しただけでそれ以降ダマッてしまった。

 私にとって原爆ドームは珍しい光景ではない。
呉市民にとって…
広島は身近な街だ。

呉では手に入らないモノを買い物に出かけるのは
ひろしま・・・

美味しいモノを食べに少し遠出し・・・
呉にはなかったショッピングモールへ
出かけるのも・・・
広島が目的地になる。

小生も・・・
勉強のために必要な専門書を
買い求める本屋は広島・・・
 
呉市の図書館に収蔵されていない地理学関係の
本を借りるために出かける県立図書館は
広島にある。

月に二・三回は広島へ出かけていた。
 

以前は広島空港も宇品の先にあった

広島市は呉市民にとって
すぐそこという感覚だ。

子供と連れ立って路面電車を降り
原爆ドームをまじかでながめ
平和公園の資料館と慰霊碑を巡った。
 
長年広島県民でありながら・・・
小生は原爆資料館へ入場したことはなかった。
 
思想や信条で立ち入らないとか・・・
施設へ反感を持っているとか・・・
そんなことは一切ない。
その機会がなかっただけだ。
 

広島県で小学校や中学校へ通った子供

は遠足などの機会に平和公園と資料館を見物する。
 
大人になってから広島県に住んだ小生は
知人や友人に
「一緒に資料館見物に行こう」
とは言えなかった。

暗黙の了解

ではないが
広島県に住む大人は
「資料館は見学済み」
という前提で日常生活をいとなみ会話している。
住んで数年たってから

「一緒に見学行こう」
・・・と地元民に言うのは抵抗がある。

ひとりで見に行くのは・・・
できない事はない。

でも自分のなかにある「こわがり」
がどうにも克服できない。

そんなこんなで気が付いたら
広島県から関東へ転勤した。
出張や旅行で広島を訪れる機会は数回あったが・・・
結局訪問未済であった。
 

初めての訪問

だと子供にはいいづらかった
でもウソをつくのも大人げない。
「実はおとうさんも資料館へ入ったことがない」
と告げた。

なにを言うのかと構えていると・・・
「そう」
一言だけかえってきた。

 展示物のことや様々なおはなしは
いろんな場所で聴いていた。
行ったこともないくせに・・・

およそ知っているのは十年以上広島県に
住む大人の基本事項だからだ。
当然と言えば当然かもしれない。
 
しかし・・・
自分の目で見る事は意味があったと思う。
 
もっと感情的な展示法だと勘違いしていたが・・・
事実だけを淡々と語る現実を・・・
肌で感じられたのは良かった。
 
子供の感想は・・・
あえて聞かなかった。
なぜ原爆ドームが見たいのか・・・
その答えは子供自身が納得すればよい。

自分の目と心にしっかりと刻めば良いと思った。

大人が押し付ける意見や感覚は・・・
時として視線をゆがめ
判断を狂わす危険がある。
 

自分で感じたとおり心に刻むことが

犠牲者の方々への慰霊になる
小生はそう思う。
 
悼む気持ちは
誰かに押し付けられたり・・・
同調する事とは
少しだけ違う気がする。
 

世界の様々な寺社や仏閣・教会・モスク

などを訪ねたが・・・
荘厳とか静粛とは若干異なる・・・
「熱」
のようなものをそれらの施設から感じる。
この施設を作った人々の思い・・・
その熱だ。 

信仰心とはあくまでも自発的でなければ
価値は低い・・・

誰かに勧められても・・・
自分自身が納得できないのに・・・
祈りをささげるのは
小生には違和感がある。

無宗教のくせに

お経を唱えられ※・・・
 ※高校でおぼえさせられた・・・
祝詞の意味が少しわかり※・・・
 ※母方の祖先が神官のため・・・
カソリックの幼稚園で十字を切っていた小生には
 
「宗教や祈りは自分のもの」
という感覚だ。 

だれになんと言われても
ひとつの宗教だけに帰依できないのは・・・
へそ曲がりの性格と・・・

信者にならなくても祈ることはできる

そんな信条からだ。
 
広島の哀しみは簡単には癒えない。
 
口先だけで慰霊を唱える人には
永久に理解できないだろう

思想的に偏った人々には
「自分と違った意見」
なんて聞くに値しない邪論だろう。
 

小生は・・・偏屈なので

いろんな雑誌や新聞を図書館で読む。
 
自分と違った考えを知らなければ・・・
小生の嫌いなあの国の政党と同じ轍を踏む。
 
小生がnoteでいろんな方の記事を読むのも・・・
時には自分の考え方と真反対の意見でも
その方の考え方を知らなければ
バランスがとれないと本気で思っているからだ。
 
小生のスマホやパソコンは
確証バイアスと営利目的業者に汚染されている
 
小生が読みたい記事を配信してはくれない。
 

「自分で探すしかない」

それがネット社会で公明正大に生きる唯一の方法だ。
 
原爆ドームや資料館について意見を言わない
「バカ親」の小生を非難する向きもあるだろう。
 

しかし子供だってイチ人格

をもった人間だ。
親の意見に従えなどと言える筋合いはない。
ましてや親が小生だから尚更だ・・・
よりによってこんな大人の子供に生まれるなんて
まことに不憫な子供だ。
 

タップリと平和公園を散策したあと
慰霊碑で手を合わせると子供なりに・・・
感じることがあったのか
ほほに水滴がつたっていた。
 
そして・・また無言であった。
「お好みでもたべて帰ろうか?」
 
そういうと
「顔に明るい光が射した」
太陽が随分と傾いていた
冬の夕暮れはつるべ落としだ。
 
親に似なければよいのに・・・
こどもも食い意地が張っているおかげで・・・
気分転換がはやい・・・
 
久しぶりの本場お好みやきを食べて
新しい方の広島空港へ向かう

帰りの路面電車の中で・・・
お好みでお腹がふくれたのか
子供がウトウトし始めた。
広島駅はもうそこだ
しばらくは広島とバイバイになる。

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