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歌舞伎町串焼萬太郎、しいたけとピーマンとレモンサワー(用意された美味 #3)

これは、食卓に用意されている美味を味わうだけのお話。

串と名の付く料理がほんとうに美味い店は、しいたけとピーマンが絶対に美味い。
この二つの食材の美味さは、香りと食感にある。焼きが足りないと生温く青臭く、歯ざわりも悪い。焼きすぎてしまうと身が固くなり、焦げの匂いに香りが負ける。味見ができない串焼き料理に於いて、ちょうど良く仕上げるにはスキルが必須となる。
ちょうど良く仕上がっているかどうかは、食べずとも運ばれてきた瞬間にわかる。それら独特の青く香ばしく酒に似合う心地好い香りが皿から立ち上ってくるから。だから、目の前に皿を出されたとき、思わず笑ってしまった。合わせる酒は、酔えない酒なんてとつい昨年までうがった目で見て避けてきたレモンサワー。このチープな甘酸っぱさが、油だとか焦げだとかいう大衆酒場の味にしっくり来ると気付いてしまってから、ハマってしまった。しかも、否定してきた物を肯定する寛容さまで味わえる。若気の至りを酒の肴に、串焼きを熱いうちに食べるこの瞬間が、歳を重ねて呑む独り酒の醍醐味だろう。
まずはしいたけを手に取って、噛んだ。厚みのあるしいたけでしか味わえないじっとりとした歯触り、なのに気持ちよく噛み切れるぐらい柔らかいから、思い通りに自由に咀嚼できる。
齧って、咀嚼して、飲み込んで、呑んで。肩の力を抜いて食べたそれは、とても美味しかった。
さっきまで、無粋な親父が隣の席にいた。
初めて会った人間に無粋なんて言葉を使うなんて無粋な気もするが、独りならカウンター席が定石の狭い店で、カウンター席の端に座ってレモンサワーと串焼きを頼んで間もなく、私の隣にあった空席に座り、「独りで呑み屋なんて緊張しませんか」「いつも独りなんですか」とのたまいながらどかどかと大きい体をぶつけてきたのだから、この親父は無粋と呼んで然るべきだ。
このタイミングで入ってきてすぐに話しかけてくるということは、入る前から目をつけられていたんだろう。やられた。そう思って頭を抱えた。
だからといって揉めたかない。逃げるようにカウンター席の端に端に体を寄せて、油の貼りつく壁に額をこすりつけて肩をすぼめていたとき、できあがりを楽しみにしていたつくねが届いた。味がしなかった。
丁寧に作られていると見てわかる絶対に美味いだろうつくねが、ただの丸まった肉になる。舌を擦って胃の中に落ちていくだけの味気ないそれを飲み込んで、悲しくなって、腹が立った。
なんだって女独りでカウンター席だからって酒の一杯もゆっくり楽しませてもらえないんだ。私はこの独りの時間が好きなんだ。数少ない書く以外の趣味なんだ。この時間があるから仲間との時間も楽しめるんだ。それをこの無粋な親父は。
話しかけられる前から気に食わなかったんだ。串焼き専門の店で一品目にキムチを頼み、串の盛り合わせを「セット」と呼び、内容を確認せず「全部たれ」で頼む辺りから。
無視しても無視しても体をぶつけて話しかけてくる無粋な親父に堪忍袋の緒が切れて、「1人で飲むのが好きなので」と突っぱねた。ようやく返事をした私に喜んで無粋な親父が身を乗り出した時、女将が「それ以上は駄目だよ」と言って、無粋な親父を睨んだ。
無粋な親父は無粋な親父らしく「そんなつもりはない」と無粋に狼狽えて一度は黙ったけれど、女将が目を離した隙に、また話しかけてきた。無粋に騒ぐ無粋な親父を、女将だけでなく大将も睨んだ。居心地が悪くなったのか、無粋な親父は酒も串もキムチも残して席を立った。
それを見送ってから、大将と女将は、「すみません」「ごめんなさいね」と私に何度も謝ってきた。
それに「もう一杯と、しいたけとピーマン」と返事をして、今、しいたけを食べ終えてピーマンを齧っている。ピーマンならではの青さを含んだ香ばしくふくよかな苦みは、美味い串焼きの店でしか味わえない。それが喉を通って眉間にまで滲みて、大将の腕の良さと自分の店選びの勘の確かさを噛み締めた。
この店を選んだのは、懸命に串を焼く大将の姿に惹かれたからだった。仕事の打ち合わせ帰り、気分が好いから一杯飲もうと思い至って歌舞伎町を歩き回って店の前を通りがかって、ひと目でこの大将が焼く串は絶対に美味いだろうと確信してのれんをくぐった。しいたけもピーマンも、1串150円。決して高級な食材ではないだろうにこんなに美味いのは、大将の腕の良さと、もしならず者がまた隣に座っても二人が追い返してくれるだろうという安心感のおかげだろう。
どれだけ美味い物だって肩肘張って食べたら美味くなんてない。肩の力を抜いて好きに食べられる。こういう店が、一番美味いんだ。
こういう美味が用意されていると知っていることがどれだけ幸せか、わかる人にしかわからない。チープなレモンサワーがどんな酒よりも美味いシーンがあると知っているのと同じように。
知っている私は、知らない人より少しだけ人生を楽しめていると思う。私はもっとそういうことを知りたくて、また、知らない町で知らないのれんをくぐる。私の知らない美味が、世界中に用意されていると知っているから。

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