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おやすみ世界、またいつか。

 日がのぼるまであんなに時間がかかったのに、どうして暮れていくのは、こんなにも早いのかな。

 灯りをともさずとも明るかった部屋に灯りをともす瞬間、とても恐ろしいきもちになるのは、僕だけなのかな。みんな、平然とした顔で、あたりまえに灯りをともしている。僕はそのたびに、泣きそうになるのに。

 僕だってね、夜がきらいなわけではないんだ。わずかな灯りだけで過ごさなければならない夜は、すこしぐらい失敗しても、誰にもそれを見つけられない。だから、自由にしていられるんだ、何の気がねもなく、ホワジャオだけのチキンを食卓に並べたあの時みたいに。そう、昼間よりも、夜のほうが、僕に自由をくれる。決して、夜は、僕をきずつけやしない。わかっているんだ。わかっているけれど。それでも。

 なぜかって、誰かが僕を見ているからだよ。

 人って、とっても不思議な習性があって。あかるい昼間よりも、まっくらな夜の時間に目をこらすんだ。夜の闇に安心して、自由に生きている人のあらを探し出して、あかるい昼間にひきずり出すために。

 何でそんなことをするのかって、僕にはわからないよ。けれど、ひとつ思い当たることを話すとすれば、夜の闇が、人のあらを探している、みにくい血眼を、隠してくれるからじゃないかな。

 僕だって、自分のみにくいところは隠していたいもの。必死なところも、いやらしいところも。隠すために、夜の闇がちょうどいいってことも、知っている。きっと、あの人たちもそれを知っていて、そして、あの人たちは、目をこらしている自分がみにくいとわかっていて。だから、隠したいから、夜に。

 どうして、みにくいとわかっているのにやめられないのかって? そんなの、簡単じゃないか。生きるためだよ。

 命は、生きることにしか向かえない。その姿がみにくくても、愚かでも。生きるために死ぬことだってあるほど、みんな、生きたいんだ。

 とても滑稽に思えるだろうね、君から見れば。けれど、どうしようもないんだ。これが、生きるってことなんだよ。

 僕だって、ずっと、君といっしょにいたいと望んでいるんだけど、どうあがいても、夜はおとずれる。あの、血眼といっしょに。君といっしょにいたくて必死になっている、みにくい僕を、探し出そうとしている、あの、血眼が。

 だから、僕は逃げなくちゃいけない。あの、まっくらやみに。

 わかってる。わかってるよ。けれど、それが、僕にとって生きるってことなんだ。そうしなければ、生きていけないんだ。わかってよ。

 君といっしょに食べたカレー、とてもおいしかったな。僕は、あのカレーがきっかけで、ホワジャオが好きになったんだ。まさか、カレーに中華のスパイスが入っているなんて思わなくて、何のスパイスが入っているのかわからなくて知りたくて、インドカレーに使われているスパイスを調べて、探し回ったんだ。そうして見つけたのが、ホワジャオだった。

 不思議だと思わないかい? カレーにホワジャオを入れると、あんなにおいしいのに、ちがう文化のスパイスだから、誰も合わせようとはしない。そして、僕が誰かにカレーをふるまう時に、ホワジャオを入れたら、きっととってもいやな顔をされると思う。きっと、誰にも認められない。神さまに、数えてもらえないかぎりは。

 けれど僕は、君と過ごす時間のなかで出会ったこの味が、とても大好きだから。誰に何を言われても、カレーにホワジャオを入れるのをやめないよ。神さまが数えてくれなくても、君が知っていてくれさえすればいいと思っているんだよ、今は。

 ……もう、すっかり夜になってしまったね。灯りをともして、逃げなくちゃ。

 大丈夫、灯りさえともしていれば。みんな、僕が逃げたって気づきやしない。それに、もし気づかれたとしても、見つかりっこない。まっくらやみが、僕を守ってくれるから。何も見えなくて、どこにも行けない、自由なんて、ひとつもないけれど、痛いより、ずっといい。そう、ずっといいんだ。

 強がってなんかいないよ。心から、そう思うんだ。そう、僕には、心があるんだ。いっそ、なければいいのに、こんなもの。

 じゃあ、行ってくるね。朝が、いつ訪れるかわからないけれど、必ず訪れるから。だから、それまで君は、ここで眠っていて。お願いだから、僕を、待っていて。

 おやすみ世界、またいつか。



前編 「おはよう世界、ひさしぶり。

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