私と妻とがん
3日前、私の妻が「がんの疑いあり」として要精密検査者となった。
検査結果が出たのは、妻の誕生日と結婚3周年祝いを兼ねた旅行当日の朝であった。
私はこの半年間、仕事がかなり忙しく、また4月からMBAに通い始めたことも重なって、余暇の時間は全くといって良いほど無く、家族サービスらしいことは何一つ出来ていなかった。
普段はもっと早い時期に取れていた休みもずれにずれてしまい、妻は決して口には出さないが、内心は寂しい思いをしていたことだと思う。
そんな中、やっと休みが取れた矢先での出来事であった。
私の妻はとても献身的で、いつも私の可能性を信じ、私のことを応援し、支えてくれている人である。
自分のしたいことや欲しいもの、行きたいところ等はほとんど言わず、付き合っている時からワガママは聞いたことがない。
家事もほとんど全てやってくれていて、それに対して不満は一切口にすることなく「家事が好きだから」と笑って返してくれる。
私がやることなすことは全て肯定してくれて、連日飲み会で帰りが遅くなっても、仕事に没頭し続けても、急にMBAに通うと言い出しても「それがあなたに必要なことなのであれば」と一切怒ったりせず背中を押してくれる。
対して私は今までワガママばかりであった。
自分がしたいこと、成し遂げたいことばかりを優先して、そのための最短ルートになる行動ばかりをしていた。
たまの休みも外の仲間と過ごす時間に充て、家庭でゆっくり過ごす時間はほんの一握り程しか無かったように思う。(そのことにすら気付いていなかった)
まだ、本当にがんであるのか、どのくらい深刻な状態なのかもわからない状況ではあるが、嫌でも最悪のケースを考えてしまう。
旅行中も「もしかしたら来年は来れないかも知れない」という思いが常に頭から離れない。
いつもなら早く着いて欲しいと思う移動時間も、このままどこにも着かなければ良いと思ってしまうほど貴重な時間に感じる。
ホテルの方々からの「誕生日おめでとうございます」や「結婚3周年おめでとうございます」の言葉が辛い。
自分のこれまでの行いを思い返すと、悔やんでも悔やみきれない程、後悔の念が強く張り付いてくる。
今まで自社を支えるリーダーになるために、仕事に勉強に盲目的に没頭してきたが、それをしたところで一番近くにいる大切な人さえ守れやしない(かも知れない)。
今回の事は、神様から「もっと大切なものを見ろ」「リーダーである前に1人の夫である」と言われたように感じている。
それに、今本当に辛いのは私ではなく妻の方である。
今まで支えてくれた分、今度は私が妻を支える番である。
もし最悪のケースとなってしまっても、私にできることは少ないかも知れないが、できることは何でもやって妻を支えたい。
今、私と妻は不幸なのだろうか。
今までして来たことの後悔や、不安で押しつぶされそうになっていることや、長く一緒に生きられない可能性があることは事実である。
もし本当に長く一緒に生きられないことが確定したら不幸なのか。
他の人から見たら不幸かも知れない。
しかし、私は本当の不幸は「長く一緒にいられないこと」ではなく「一緒にいる時間の密度が薄いこと」であるという考えに至った(一緒にいる時間の長さに関わらず)。
まだ間に合う。
どんな未来になっても、今から最善を積み重ねて、少しでも2人の人生の密度を濃くしていこう。
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