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人のしあわせと死生観【死について学ぶこと】

死ぬ直前に何を考えるだろうか?

過去の回想、家族のこと、仕事のこと、楽しかったこと、怒られたこと…
あなたはなにを思い出すだろうか?
それともそもそも思考すらできない脳や身体の状況か。

僕は気持ちよく、しあわせだったと感じながら死にたい。

有名な書籍”死ぬ瞬間の5つの後悔”では以下のように紹介されている。

「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

死ぬ瞬間の5つの後悔  / 著)ブロニー・ウェア 訳)仁木めぐみ

死ぬ前に後悔せずにしあわせだったと思って死にたい。誰もがそう思うでしょう。ではそもそもしあわせとはなんでしょうか?考えていきます。


○ しあわせという価値観を考える

大事なので先にいいます。

  • しあわせのイメージを持つことで判断軸になる

  • しあわせを他者と比較してはいけない

順番に説明していきます。
しあわせとは何かと考えれば難しい問題です。だけど、僕には明確にあります。それが『大事な家族と犬と笑っていたい』ということです。これがもっともしあわせを感じる瞬間でしょう。現段階では家族も犬も手に入れていませんが、僕の想像するしあわせのイメージは常にできています。

そうなりたいために日々行動しています。
あなたの思い描くしあわせとは?ぜひ考える時間をとり考えてみてください。なぜそれが良いかと言うと、

これをしたら自分のイメージするしあわせに近づくのかな?

という判断軸を持つことができます。
芸能人の不倫の記事を読んであなたはあなたのしあわせのイメージに近づきますか?毎日食っちゃ寝の生活を繰り返し、しあわせに近づきますか?

そしてしあわせを考えるうえで大事なことがもうひとつあります。
それが他者と比較しないということです。
僕だってそりゃ隣の芝生は青く見えるし、妬んだりしちゃいます。

でも気がついたんです。他人と比べていても意味がないということに。
しあわせの尺度は人それぞれなのだから。今までは常に人と比べて自分なんて…と落ち込んでいました。そのため自己肯定感も下がる一方です。
しかし、自分のしあわせは自分にしか計れない。そう考えるようになってから、すごく心が楽になりました。

しあわせのイメージを持つことであなたの行動は変わります。
そしてしあわせは人によっても異なります。ぜひ振り返ってみてください

○ 特養で出会ったおばあさん

わたしが介護施設で出会った4名の方の事例を元に考えていきましょう。
そもそも特養とはなに?という方もいますのでかんたんにご説明します。

特養とは特別養護老人ホームのことです。特養は24時間介護員が生活をサポートしてくれる施設になります。特養に入居するためには介護度が3以上でないと入居することができません。

かんたんにいうと要介護3とはひとりで生活ができなくなってしまった方のことを指します。介護度については以下の表をご覧ください。

要介護認定の仕組みと手順 / 厚生労働省

わたしは以前より仕事の関係でお邪魔することがあり、特養に入居されているかたと少しお話をさせていただきました。その中で特に印象に残っている方をご紹介します。

・Aさん
いつもニコニコしているおばあさん。
80代後半、歩けず車椅子生活をしています。80歳くらいのときに転倒し太ももの骨を骨折し以降歩けなくなってしまった。歌を歌ったり塗り絵をしたりしていました。こちらの問いかけにはやや認知症もあるため答えるときと答えない時がありますがずっとニコニコしていました。

・Bさん
頭はしっかりしている70代後半のおばあさん。
しかしパーキンソン病で車椅子に座ることはできますが、自分で動くことはできません。症状は手の震えが主症状です。

頭はしっかりしているのでご自身の意思表示もできますし、こちらとコミュニケーションも円滑に取れます。

・Cさん
70前半のおばあさん。脳梗塞の影響で半身麻痺があります。
やや認知症があり、急に怒ったりすることはあっても基本的には会話は普通にできます。63歳のときに脳梗塞で倒れ、以降半身麻痺で車椅子生活になり入所されています。

この3人がみんな、しあわせかどうかはわかりません。
だけど、共通して思ったことは3人共楽しそうに生活していたことです。
もちろん、旅行に行きたい、美味しいものを食べたいみたいなことは話をしていましたが、うつむいている感じは全くありませんでした。

3人共自分ができないことはやってもらい、自分ができることで楽しみを見つけて生活をされていました。ここでもうひとり紹介します。

・Dさん
脳梗塞で半身麻痺。74歳女性。
常に介護員にも文句ばかり、他の入居者さんからも嫌がられている方がいました。

最初に紹介した3人とは決定的に違うなと感じる事がありました。
それは障害を受け入れているか否かです。
僕は最初の3人は楽しそうだなと感じましたが、Dさんに限っては人生つまらなさそうだなと思ってしまいました。

個人的な見解ですが、やはり自身の障害というのは受け入れがたいものでしょう。それは重々承知しています。しかし、人生を楽しく生きるには自分自身を受け入れるということが非常に重要なのではないかと実感した瞬間でした。

○ 介護の問題点

  • 人手不足

  • 低賃金

  • 老老介護

  • 介護保険

などなど介護にはここには書ききれないほど、さまざまな問題があります。
ですが、わたしにはそれらの問題を解決できるのではないかとい問がひとつあります。それが

死について学ぶこと

ではないでしょうか?すべての人が死や人生について考え学ぶことで不要な介護サービスは受けなくなるでしょう。延命についても同じことが言えます。死について学んでいないからどうしていいかわからない。だからとりあえず、点滴で…酸素を…などなどどんどんチューブ漬けになっていくのではないでしょうか。

僕の言う「死について学ぶ」ことがどれだけの理想論か承知の上です。
ですが、高齢者が死について学ぶことは健康寿命の延伸にもつながるとわたしは信じています。

他のしっかりされた高齢者間の方とも話をしたことがあります。その方は死ぬことより頭がおかしくなって人の世話になりたくない。それが怖い。
と話されていました。

認知症を進行を抑えるという薬も日本で認可され発売されていますが、論文を調べてみると…

だからやはりできることは元気なうちに死について学ぶことが重要なのではないでしょうか?
もちろん年齢は関係ありません。
10代、20代でも50代でも60代でも同じです。

むしろ早い段階から学べば学ぶほど深く考えられるようになるでしょう。

死について学んでいる方が増えれば、介護施設に入るかどうかという選択肢も変わってくるでしょう。
そのため、介護業界も大きく動くのではないでしょうか?

○ 人生の残り時間を考える

先日テレビを見ていて素敵な番組が流れていました。
それは、NHKの病院ラジオでのとある回
余命が1ヶ月と宣告された女性。奇跡的腫瘍が小さくなり手術が可能になり現在は元気に生活できるようになっている。
体調悪くて病院に行ったら短くて1ヶ月です。と、
以降、「ごめんね」、「ありがとう」がちゃんと言えるようになったと話をされていました。

人生の残り時間を知ったからこそ自身の考えや言葉も、変わったということです。

今、僕は話せばいくらでも言葉が出てきます。
感謝の言葉も人を罵倒する言葉も。
だけど、もし言葉に制限があって、人生であと100単語しか話せません。となったら、

あなたは誰に何を話しますか?

今は無限に時間があり、言葉にも制限はありません。
だからこそ、無駄にSNSをダラダラ見てしまったり、人への文句や愚痴を言ってしまいます。

でも、本当は無限に時間なんてないんです。
見えていないだけです。
人は残りの時間を一瞬でも意識したら
無駄なことには時間は使えなくなります。

人生にさまざまな制限がかかっていたら同じ行動をしますか?

○ 死に近い人に死生観の話はできない

あきらかに体調が悪い人に向かって死について話ってできないですよね。過去の経験ですが、弱りゆく祖父に向かって死について話をしようなんて思えませんでした。

これは多くの方も経験があるのではないでしょうか?
なかなか元気な人から死について、その後についての話はできません。

できれば自分からその話をしてくれるとありがたいんだけど…
と思う方は少なくないはずです。

葬式、遺産、保険、土地、交友関係…などなど
さまざまな問題が残された側にはのしかかってしまいます。
近年はエンディングノート終活などが広がっていますよね。こうした取り組みを徐々に広がってくれば良いなと思っています。

本来なら日常から人生観や死生観について話ができていることがベストかもしれません。しかしできない場合はこうしたエンディングノートや終活ノートなどを利用できると、いいですよね。

死への準備というと嫌な気持ちになる方もいるでしょう。しかし、この先の人生のためにも自身が生きた人生を振り返り、俯瞰して自分を見れるようになるとこれからの人生の歩み方も変わってくるのではないでしょうか。

○人のしあわせと死生観

しあわせと死生観について考えることが日本の介護や医療の負担を減らすのではないでしょうか。少し調べてみると文献がありました。
スウェーデンの高齢者の終末医療についての記載がこちらです。

スウェーデンの高齢者終末期医療
1.下記医療を行わない
  輸液,経管栄養,抗生剤の静脈投与,昇圧剤,利尿剤, 透析,バイタルサイン・飲水量測定,血液生化学検査
2.使用する薬剤
  鎮痛剤,制吐剤,解熱剤,精神安定剤
3.ケア
  少量の食事と水分,口腔ケア,体位変換,暗い照明,音楽
4.患者の意向に従う

欧米豪にみる高齢者の終末期医療より引用

日本とは真逆ではないでしょうか。
特に1.の輸液,経管栄養,昇圧剤, 透析。
このあたりの現状はいかがでしょうか?

別にスウェーデンが最高だとは思いませんが、
僕が言いたいのは時代にあせて考えや制度も変えていくべきではないか?
ということです。

とりあえず、点滴をしましょう。
最近飲み込みが悪いですね。このままでは誤嚥性肺炎になってしまいます。経管栄養にしましょうか。
腎臓の機能が悪くなってきたから透析しましょう。
血圧が少し高いですね。血圧を下げる薬を出しておきますね。

おそらくこのような状況の高齢者は自分で判断すらできていないことのほうが多いでしょう。だから家族がきちんと考え、医師に伝えたいといけません。現状の問題点は
医者がそう言うなら…
わからないからおまかせします…

ちゃんと考えませんか?

本人はそれでしあわせなんでしょうか?

僕はきちんと話し合ったうえでその選択をしているのであれば問題はないと考えています。(医療費の問題はまた別ですが)

何度もこの記事でお伝えをしていますが、
学ぶこと、考えることが本人、家族のしあわせにもつながるし
医療費の問題も少しは改善していくとわたしは本気で思っています。

さいごにわたしの死生観を大きく変えた久坂部羊先生の
人間の死に方』より一節をご紹介します。

果たして、医療は死に対して有効だろうか。命を延ばしさえすればいいというのであれば、確かに医療は有効だろう。しかし、延びる命の質は考えなくてもいいのか。つらく苦しい悲惨なだけの延命なら、ないほうが安からだろう。長い人生の最後に、数日もしくは数週間の悲惨な時間を付け足して、どれほどの意味があるだろう。
そのわずかな生を放棄することは、決して命を粗末にすることではない。最後まで治療をあきらめないというのは、理念としては美しいが、現実には害が多すぎる。人間らしい尊厳を保つためには、ある種の達観と賢明さが必要である。

人間の死に方 / 久坂部羊

僕はこの文章を読んだときに時が止まる感覚に陥りました。
死、そして、しあわせについて学び考えることが人生を豊かに過ごせるヒントとなるでしょう。家族で学ぶことで医療費の軽減介護の負担を下げることにつながるのではないでしょうか。

どんな死に方をしたいですか?
そのために今、何をしますか?

一緒にしあわせ、そして死生観について考え学んでいきましょう。

*参考文献
死ぬ瞬間の5つの後悔
欧米豪にみる高齢者の終末期医療
人間の死に方

#創作大賞2024
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