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なぜいきなり人に頼んではいけないんですか?

何回かここで書いていることではあるが、今年に入ってから料理をはじめた。なんとなく、いつかは趣味としてやるんじゃないかと思っていたのだが、やっぱり、という感じである。

やってみたら料理は結構楽しい。確かに作っている時間が長く、食べるのはあっという間なのだが、趣味でやるうちは「作っている時間」が楽しいので、時間の不均衡は気にならない。そんなことを言ったら、小説を書いたり音楽を作ったりすることだって、作っている時間のほうが消費される時間より圧倒的に長い。

料理は思っていたよりも敷居が低かった。いや、そんなに複雑なものはできないのだけれど、とりあえず普通に食事として食べるものであれば素人でも当たり前にできる。レシピ通りにやればそうなるので、難しく考えることはない。

我流で適当にやろうとしたり、調味料の分量を目分量でやったりすると、そのレシピを考案した人の意図した味にならない。なので、「オリーブオイルおおさじ1」みたいな、その通りにしなくてもなんとかなりそうな指示でも、少なくとも初回は計って入れるようにしている。

あと、複数品目を同時に作らないようにしている。主婦の方であれば、夕食の支度のために複数品目を同時並行で作ったりすると思うのだが、まだそのレベルに達していないので、まずはひとつひとつ作ることを心がけている。

マルチタスクが成立するのはよっぽどレベルがあがってからだろう。逆にいうと、シングルタスクでいいのであれば、たいていのことはできるということである。

料理をする意義について、少し前まで「意味なんかないのではないか」と思っていた。いまの時代は食べ物はいくらでも売っている。外食でも、安い店は無数にあるので、コスパの観点ではそれほど悪くはない。

しかし自分で料理をすると、内容をカスタマイズすることができる。何度か作ったことのある料理なら、ちょっと野菜を足してみようとか、砂糖は少なめでいいなとか、肉を増やそう、といったアレンジが効くようになる。分量も1.5人前とか、自在にコントロールできる。

料理を作ることによって、料理の内容、その構成がわかるようになるので、自分好みに変えていくことができるのだ。
 
自分は体質的にちょっと血圧が高めなのだが、料理をするようになって、ちょっと下がったような気がしている。塩分をコントロールできるのが大きいのだろう。

「料理をする」というのは、あえて悪い言い方をすれば「次元の低い作業」である。実際に手を動かすわけだから、しなくてもいいのであればそれにこしたことはない。

一番次元が高い状態は、専属の料理人がいて、もちろん食材なども勝手に揃えてくれる状態。次は、自分でレストランに行ったり、出来合いのものを買ってくる状態。最後は自分で食材を買ってきて作る状態。

しかし、買ってくれば終わるものを、時間をかけてやってみることは、本当に意味のあることだな、と思っている。そもそも、自分で作ったほうがおいしい、ということが最近は多い。家族に作ってあげると、家族も喜ぶ。

自分で手を動かしてやってみることってかなり大事だと思う。物事の仕組みがわかるからだ。たとえばITベンチャーで起業をするとき、よくある失敗パターンは「いきなり創業期からプログラミングを外注すること」らしい。自分は企画をするだけで、誰かにそれをまるごと作ってもらおうとすると、アイデアを盗まれたり、ボラれたりするようだ。

確かに、自分でプログラミングをしたことがなければ、勘所もわからないし、相場だってわからない。相手にちゃんとした指示を出すこともできない。しかし、下手でも自分でプログラミングをしてみると、どういう構造になっているかを知ることができる。

いったん自分でやってみて、それをよりよいものにするために外注するのはいいと思う。しかし、いきなり最初から外注するのはリスクが大きいし、本質を理解できていないことによるツケをあとから払わされることになる。

自分の手を動かすことって大事だな、と。いまの時代、なんでもお金さえ払えば人に頼める時代だが、なるべく自分でやってみて、内容を理解することが本当に大事だと思う。

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