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メディアの話。宮崎駿を縛っていたひと。

「君たちはどう生きるか。」宮崎駿さんの新作は公開初日にすぐに見た。
で、思った。
あ、宮崎駿さんが自由になった。
何から自由になったか?
高畑勲さんから、である。
ジブリは二人の会社だった。そして高畑さんは2018年に亡くなった。
君たちはどう生きるか。

宮崎駿作品の自己否定がいくつも出てくる。

ここからはネタバレだ。

まず父と新しい母。

戦時中。
母を亡くした主人公は、実業家の父が母とうりふたつの妹と再婚し、その2人と母とあたらしい母の実家のある田舎へと疎開する。
この父が実に俗っぽい男で、新しく母となる、亡き母の妹はものすごく艶かしい。
父の俗っぽさを嫌悪し、新しい母のなまめかしさに嫌悪と欲望をみせる主人公。
彼らの性欲をかいまみてしまうところまで、映画は遠慮なく映し出す。

そしてこの父と継母の、世俗的な俗っぽさ、性欲、出世欲、艶かしさを、主人公は、つまり宮崎駿さんは、最終的に肯定して受け入れる。

俗っぽさから逃げない。むしろ、自分の中の俗っぽさをも肯定して、まぜて飲み込む。

次に田舎の描写。

主人公は、田舎の閉鎖的な学校になじめない。
結果、怪我をする。

田舎が都会のインテリを受け入れる。
そんな美しい物語があった。
みんながそれに憧れた。
「となりのトトロ」だ。

トトロは1950年代。君たちはどう生きるかは1940年代。
たかだか10年しか違わない。戦中戦後だけが違う。
田舎の空気はさして変化してないはずだ。

が、「トトロ」と「君たちは」で描かれる田舎の空気はまったく異なる。

今回、宮崎駿さんは、よそものを受け入れない田舎、を冷徹に描写する。

どちらが現実か。いうまでもない。

今回、都会インテリを受け入れる優しい田舎、という幻想はゼロだ。

トトロの世界のいちばん根っこの否定だ。

そしてラスボスと主人公。

昔を懐かしみ、変化をこばむ。
あのラスボスは、まちがいなく高畑勲さんだ。

でも、主人公はラスボスの世界に残ることを望まない。

地上に戻り、世俗的な父、艶かしい継母、新しい妹と、田舎をすて、都会にもどる道を選ぶ。

君たちはどう生きるか、は、過去の宮崎駿作品が希求した理想を否定し、嫌悪した対象を我がこととして肯定し、うしろむきのユートピアに閉じこもらず、世俗に戻る。

この50年。宮崎駿さんが憧れ、そして縛っていたものがなにか。
それが垣間見えたような気がする。

私がジブリ作品をすべてみながら、ずっと感じていた強烈な「違和感」の正体でもあった。

その「違和感」とは、高畑勲の強烈な思想が、天才職人、宮崎駿を不自然に縛り続けたその状況そのもの、だった。

だから思う。

解き放たれた宮崎駿は、まだまだ作品をつくる。


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