見出し画像

あなたは"何者"ですか?(noteとの向き合い方)

制作会社をやっていると、 インフルエンサーになりたいんですけどどうしたらいいですかとよく聞かれます。
こっちが教えて欲しいです。
どうも八神です。

と言う訳で、最近入院をしていることをきっかけとしてnoteに投稿を続けています。
この何かをアウトプットするという作業はできれば退院後も続けていきたいな、なんて思ったりしております。

さてさて。
noteを調べているうちに「noteのview数を稼ぐ」という記事に当たりました。
そりゃ当たれば嬉しいですよね。
たくさんの人に記事が見てもらえた方がモチベーションは間違いなく保てるし、たくさんの人にいいねをしてもらった方が 承認欲求も満たせるってもんです。

今回はそんなお話。

コメントが来ないなんて嘆いてもしょうがない

noteにはつぶやきなんて機能もありますが、原則としては読み切れるコンテンツが流行っている傾向が強いのかなと感じます。

悩んでいます。
なんて記事よりも
こうやって悩みは吹き飛ばせ!!

みたいな記事の方が全体的に受け入れられているような。
そんな感じがするんですよね。

世の中にはYouTuberなんて仕事があったりインフルエンサーなんて言葉があったり、オンラインサロンなんていうものもありますよね。

大前提としてこれらを否定するつもりは一切ありません。
しかしながらネット社会が復旧してから人を集める力というのが求められるようになりました。
人が集まるところに情報が集まり、人が集まるところに広告が集まりお金が集まる。
そのためいつしか人はネット上で自分の知名度を求めるようになりました。
私だってゲーム実況とかをやっているのはそういう点もあるでしょう。

しかしながら共通しているのは、
「誰が発信したコンテンツなのかと言うことをユーザは求めている」
ということです。

以前自分が書いた記事に関連した話をすると、
例えばですが「iPadは仕事で使える!!」的な記事を書きました。
これらを見てくれる方は色々といらっしゃると思うのですが、
「iPadを買おうか悩んでいる人」は実は誰が発信しているかということをあまり興味がないことが多いと思います。
なぜならば自分と同じ人がいると実感できるだけで良いからです。
自分は高い買い物をしようとしているがそれは間違っていない。太鼓判をして欲しくて同類の人間を探しているんだと思います。
こういうパターンの場合は誰が発信しても問題ないので、知名度なんてあってもなくてもどちらでも大丈夫です。

しかしながら。
生き方を変えたいとか、成功したいとなってくると元にしようとしている情報に信頼感が求められます。
例えば人生で成功したいと思ったら人生で成功している人の話が1番肯定しやすいわけで、
どこの馬の骨かもわからない他人の話を聞いて、この人みたいに生きていこう。なんて思わないわけですよ。
だからこそ情報発信源の集客力が求められる。

しかしながら集客力を持っている人間なんていうのはほんの1部です。
だからいくらnoteを執筆しても、コメントはつかないしなかなか思った通りの数字にならない。
でもそれで良いと思うんです。
だって道端で急に声を出してしゃべっている人に近づかないでしょ?
そんなもんだと思うんです。

執筆楽しいなぁ。が根拠で良いと思うの。

なんでこんな話をしているかと言う話まで戻ります。
数十年前にブログが流行った時もそうだったと思いますが、意外と人と言うのは何かを発信したいという欲があります。

その欲を発散する上で、noteはとっても優秀だと思うんです。
Twitterや他のプラットフォームのようにインプレゾンビもいないし、どちらかといえば長文型でしっかりと
何かを発信したい!!って言う人が勝ちやすいコンテンツだし。
勝ち負け抜きにしても、やっぱり面白い文章を書いてくれる人ってまたみたくなるように出来ているし。
noteはしっかりと意思を持って何かを発信したいと思っている人にとっては理想的なプラットフォームだと思うんですよね。

そしてもともとは何かを発信したいと言う気持ちがあったはずなのに、
いつの間にか承認欲求の塊と化してしまい、いいねだったりViewの数に一喜一憂してしまう。

制作会社をやっている以上、作ったコンテンツは作っただけでは良くなく
それをしっかりと市場に刺すというところまでが我々の命題となります。
その際にはタイトルであったり概要欄なども細かくチェックするわけですが、
コンテンツを企画にする際に、どうやって市場に指すかと言うことを考えながらコンテンツを制作します。
それだけではなく、もともと動画を制作する以上何かやりたかったことがあったはずなので、
そのやりたかったことと、市場にさすためにやらなければならないことを、うまく織り交ぜてコンテンツを作ります。
言ってしまえばそのコンテンツは「やりたいことだけをやる」と言うわがままを諦めて、
市場に刺すための、マスに刺すための、コンテンツ作りとなるのです。

1番理想的なのは常に自分が作りたいコンテンツが市場に求められて、
自分がやりたいことだけをやっていればずっと光輝いていられる人気者である。
ということかもしれませんが、多分そんな人は日本に数十人ぐらいしかいないんだと思います。
だからフェーダーのようなもので、どれだけやりたいことをやるのか、どれだけ市場に刺すのか。
このバランスをしっかりと取らなきゃいけないんだと思うんです。

誰でも最初は初心者であるように、きっと最初はnoteに何かを書くだけで楽しい時期とかがあったはずで、
でもnoteというプラットフォームにずっといるとプロフィール欄に「note内での成功を記載している人」だったりなど、
静かに言わば「数字マウント」だったりを取る人を見てしまって、「少しずつ自分の環境と比較を開始してしまい」
結果として「数字を追い求める事になる」んだと思うんです。
私は思うんですが、しっかりとタグを設定するとかそういうことをするだけでいいんじゃないでしょうか?
地球上で1人しか興味がないことなんて絶対にないはずだから、あなたが好きな事はしっかりとジャンル分けさえしておけば、
いつかあなたと同じあなたが好きなことを好きな人に刺さるはずだと思うんです。

あなたが胸を張っていられる場所に

話は一瞬すごい脱線するんですが、
モールス信号ってあるじゃないですか?
あれをめちゃくちゃ爆速で打つ人がいるんですよね。動画とか見たらわかるんですけど、なんかもうめちゃくちゃ早いんです。
でも多分電話のほうが早いんです。
でもモールス信号めちゃくちゃ早いんです。
昔と環境は違い、電話がなかなかできない状況にあると言う事はないと思うんですよね。
でもモールス信号めちゃくちゃ早いんです。

私が見た動画では、別にモールス信号を仕事で使っているわけではなく、
あくまで趣味として極めている感じでした。

別にそれを無駄な行為と笑ってもいいんですが。
自分がこれだけすごいことができるんだよ、と。胸を張って動画を投稿されている姿はとても輝いているように私は思います。
誰しもに認められることでは無いかもしれないけれど、カレーライスやハンバーグですら嫌いな人がいる世界ですから、
誰しもに認められるなんて多分一生ないんです。
だから、自分が自分らしく胸を誇れる場所があるのであればそれはとても素敵なことだと思うんですよね。

自分の存在価値を認めさせる人の方法として、他人に求められていると言うことを可視化すると言う方法があります。
1番簡単なのはフォロワー数とか、月刊Viewが非常に多いとか。
でも、数字の多い少ないと言うものは必ずそこに「平均値」がなければ成り立たないのです。
つまるところ、数字だけで勝負をしようとすると必ず他人のことを卑下しなければ自分のことを成り立たせられない可能性が非常に高い。

失敗者がたくさんいる。でも私は成功者だ。
だから私の成功の秘訣を教えたいと思う。成功したい人間は私の話をよく聞いて私に従いなさい。
こういう言い方をするのが1番楽なのです。
でもそんなギスギスした世界は私はごめんです。

こんなことを書いている私は記事によってはView数が10数件とかあるので、
noteの世界じゃ、Viewで比較する世界では、間違いなく負け犬ですし、この記事は負け犬の遠吠えのように見えるんだと思います。
でも1つだけ胸を張って言えることがあって、そんな人よりも私はnoteを楽しく執筆できていると思っています。
まさにこれが負け犬の遠吠えなんですけどねwww

でもいつか実現できるのかわからないけど、 同じような考えを持つ人たちが集まれて、
その人たちの記事を読むのも楽しくて、
そんな人たちに記事を届けるのも楽しくて、
そんなことが実現できたら言うならばnote充してる。と言えると思うんですよ。
だから。

どうか執筆をされている皆さんの毎日のnoteライフが少しでも充実していますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?