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「好きだけど一緒にいられない」と振られた私のその後


 六月二十九日、木曜日。一年二ヶ月記念日に私たちは別れた。

 私たちはそこそこ仲の良いカップルだったと思う。話し合いはよくしたけれど、声を荒らげるような喧嘩はしたことがなかった。いついかなるときも、決して互いを貶し合うことなどなく、好きの度合いは違っても、互いを大切にし合おうとつとめていた。

 好きで、大切で、一緒に居るのも楽しくて、なのに別れる。

 そんな決断をする人は存外いるようで、ネット上や現実でも度々見聞きした。その度に「なんで好やのに別れるなんて選択をするんやろ。一緒にいる努力をすればええだけやん」と、子どもみたいに思った。いつまでもぼんやりと実家に居着き、フリーターをつづけ、本とか絵画とか物語だとか、現実感のないものばかりに浸っているから、そんなことを思ってしまうのだろうか。

 でも、あらゆる選択において、好きは絶対的な尺度である気もする。前提として、好きではないと何も乗り越えられないでしょう。好きというのは、いちばん純粋な行動の動機であり、私たちを明るい方へ突き上げてくれるものだ。だからこそ〝好き〟が目減りしたとき、別れることを考えれば良い。そう信じていたし、そう決めていた。

 こんな信念をもっていたために、彼から「好きだけど、一緒にいる未来が考えられない」と言われたとき、私がいかに途方に暮れたのか。よくわかっていただけると思う。

 私は何遍も「将来のことはわからない」「私はどんな状況でも二人が上手くいく方法を考えていきたい」と伝えた。彼は私の言葉に辛抱強く耳を傾けてくれたし、別れるという決定的な言葉を、最後の最後まで避けていた。まるでショートケーキの上に立って、赤く熟れた苺の周りをくるくると回っている心地だった。ちょっと幸せすぎる比喩だけど。徹底的に確信を避けていた。

 けれど、結局彼の「別れよう」の一言で、私たちは別れてしまったわけである。あのきっぱり明るい、でもぞっとするほどの淋しさを内包した声色。それが別れて以来、私の耳の内側で常にこだましている気がする。


 さて、ここから私たちがどうなったか。別れたことはTwitterに投稿したけれど、その後のことは話してはいなかったので、この場をお借りして話していこうと思う。
 

 翌日、職場で彼と顔を合わせた。同じ職場なので、どんな状況だろうが会うことは避けられない。この日は、本当に辛かった。絶望の底にいた。前日からまるで気が触れたかのように泣きつづけていて、終いには出勤の五分前まで泣いていた。ふと、洗面所の鏡で自らに向き合うと、目が赤く潤んでいることに気づいた。

 そんな中でも、彼とは二言、三言話した。業務上、必要なことだけを。それでも、涙が込み上げてきて、少ししてからトイレに駆け込み、ハンカチで涙をぬぐった。

 ただ、思う存分、泣いて、泣いて、泣いて。たっぷりと水を含んだスポンジが、からからになるまで泣いたので、今はもう、立っているだけで泣くようなことは少なくなった。


 その後、鍵を返すために、彼と一度だけ昼食を共にした。

 空が薄らと雲で覆われた、湿気が多い七月の一日だった。ベンチを挟んで向かい側に座り、ご飯を食べながら話した。彼は五個入りのクリームパンをつまんでいて、「一個食べる?」と聞いてきた。こうしていると、まだ付き合っているみたいだなと、他人事のように思った。

「初めはもうしばらく話さんし連絡もせんとこと思ってたけど、あれからよう考えて……。まぁ、別にお互いに嫌いなわけじゃないし、友達として仲良くしたらええかなと思ってきた」

 私がつとめて明るくそう言うと、彼もうなずいた。

「まぁ、俺はそう言うてたしな。別に普通にご飯とか行こうや。ラーメン食べに行こう」

 それから、彼と別れた日の話をした。食事が喉をとおらなくて、丸一日何も食べなかった、と私が苦笑すると、「俺もや」と同じように笑った。

「なんか放心状態やった」
 振ったくせに、と心の中で悪態をついた。

 熱をうすく孕んだ生ぬるい風が、静かに吹き渡っていった。雲を透かして、淡い光がふたりに降り注いでいた。私は彼の家の中の光を思い出していた。磨りガラス越しにうっすらと透ける、どこか憂いを帯びた昼の光。

「色々思ったけど、繋がりが切れるのが嫌やったから」
 私がつぶやくと、彼ははっと顔をあげた。

「俺も思ってた。一緒に居るのは違うけど、別れて繋がりが切れるのは嫌やなって」


 昼休みが終わるまで、ふたりで近況を語り合った。転職のため彼が母校に連絡したこと。私が京都で神社巡りをしたこと。私の父と母の話。仕事の話。

 彼の家でよく読んでいた漫画を、また貸してくれると言う。そのときの私は、「ありがとう」とはしゃぐように言った。純粋にうれしかった。また、彼と良い関係性を築いていけたら、と思っていた。

 けれど、私と彼はもう別れたのだ。
 それは絶対的な断絶で、私の中の傷になっている。

 彼は往々にして、連絡が遅かった。たまにぶっきらぼうな物言いをした。付き合っていたから許せていたところに、しんしんと、静かな憎しみが積もってゆく。

 なにより、彼の未来に私はもういないのだ。

 彼は八月末に退職する。そうなると、彼と私はもう会うことがなくなるだろう。彼は新しい職場で、新しい人たちと出会ってゆく。私の知っていた彼が、今後は私の知らないもので形成されてゆく。実際の彼と、私の中の彼。その両者が、次第に乖離してゆく。自分のことを多くは語らない彼の、一番の理解者だと自らのことを思っていた。でも、もう私には、彼がどこで、何をしているのか、知る由もない。きっと、彼は私に連絡を寄越さないから。

 この先の彼の生活に、私の存在は異物なのだ。
 だから、彼は私と別れたのかもしれない。
 私が、邪魔だったから。

 それに気づいたとき、私の中の何かがゆっくりと壊死してゆくのがわかった。

 仲が良いのに別れる。その後、良い関係性を築いている、と言った類のnoteを読んだことがある。それがふと頭を過り、彼に「友達として改めて関係性を築きたい」と言った。その気持ちは嘘じゃなかった。「別れたことに後悔もしてない」と彼に言ったことも、嘘ではない。彼が抱えている葛藤に薄らと気づいたまま付き合うことは、互いにとって良いとは思えないから。
  
 それでも、今はどうすれば良いのかわからない。
 
 大丈夫かと思えば、大丈夫じゃない瞬間が来る。自殺について、毎日のように考えてしまう。彼と話していて楽しいと思ってしまったあとに、彼が仄めかす明確な線引きに、驚くほど傷つく。彼を憎みたくないのに、憎んでしまいそうになる。

 別れてから、もう一週間。それが一ヶ月、一年となってゆくのが怖い。それでも、彼がいない日常に慣れてゆくことに、私はきっと安堵するだろう。安堵しながら、同時に恐れてもいる。
 


 別れて一週間が経った今日。癌の術後、患部の痛みが残るために自宅療養中の父と散歩に行った。

「暑いなぁ」とか「太陽に当たらなあかんからな」などと、他愛ない話をしながら、川沿いの道を微睡んでいるかのような緩慢なペースで歩いた。

 明るく照りつける日差し。庭の雑草を摘んでいる初老の男性。川で何かが跳ねたのか。ささやかな波紋が水際に伝播してゆく。

「痛いなぁ」
「でも、徐々にようなってきてるやん。まだ一ヶ月、二ヶ月くらいやろ?」
「せやな」
「何事も日にちが薬や」

 何事も日にちが薬。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 家に着くと、父がおもむろに「ありがとうな」とこぼした。

 悲しみは潮のように満ちては引いてゆき、次第にその周期が長くなってゆく。けれど、気づいたときには心は強靭さを取り戻し、また私は誰かと出会ってゆくのかもしれない。

 病気が快方に向かうように、私の悲しみもきっと癒えてゆく。
 今はそう信じて、祈って、一日一日をやりすごすしかない。

 どうか私の彼への愛が薄暗くなってしまう前に、心から彼に笑いかけられるようになれますように。

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