UIがサイコーになるとUIは消える

iPhoneを買い替えた。iPhoneX。
FACE IDってのがあって顔で認証するというのは何となく知ってた。で、最初、顔を登録するときに、「お、これか」とワクワク。
いったん電源切ってFACE IDを試してみるが、パスコード入れろとか言われる。あれ?
再度、やってみる。認証してる様子はない。そのまま立ち上がる。
再度、やってみる。また認証してる様子はない。そのまま立ち上がる。
あれ?
と思って、あ!
いや、FACE ID動作してる。
そのまま立ち上がる。って、そのまま立ち上がらないんだった。パスコード入れてない。
なんとなく勝手にイメージしていたのは、昔のSF映画で見たシーン。「顔を認証します」とメッセージが出て顔をスキャンする映像が出るパタン。
それがなかったから、FACE IDが作動してないと思ってしまった。
そういったメッセージも、スキャン映像も、チェックもなく、自分がのぞききこんでいるスマホが、気づかぬ間に、こちらを覗き込み、あっという間に顔を認証して、“そのまま立ち上がる”のだ。
わー。
そうなのだ。
UIとかUXとか、サイコーな状態になると、使ってる側はまったくその存在を気にしなくなるのだ。
ぼくは、ゲーム作家なので、ときどきUIやUXまわりのアドバイザーを依頼される。「ゲームみたいに楽しい感じにしてほしい」と。
そして、ときどきすれ違うことがある。相手側が「何かあれこれゴチャゴチャとプラスして楽しむイメージ」を強く持っていたときだ。
そんなことをするよりも、何かを削ることで、もしくは、ちょっとしたアレンジで圧倒的に楽しくなる手が見つかって提案しても、なんだか不満そう。
せっかく依頼したのに、ほとんど何もしないではないか、という印象をもたれるのだ。
いや、これで本当に見違えるほど楽しくなるんだから!
あなたたちが伝えたかった本質がよりダイレクトに伝わり、スムーズに使えるようになるんだから!
といっても、双方を作って比較するわけではないので、不満な人はその違いがわからない。
そういうタイプの人は、たいていプロジェクトがある程度すすんで、どうも上手くやるにはもうひとつ足りないなって思って依頼してくるので、なおさらズレてしまう。
「そこを削ると、外注しているプログラム会社の仕事がほぼなくなります。もう契約してるので、困るんです」「でも、削ったほうが圧倒的にいいですよね?」「そうかもしれません。でも、困るんです」ということもあった。
不要だと指摘して、それに納得しているけど、どうしようもないというのだ。
何百万もかけてつまんなくなることがわかってるのに、それを決断できる面の皮の厚さよ(←言葉遣い間違ってるか)。
最初に相談してくれればよかったのにー。
UIは、後からのっける色鮮やかなトッピングではない。背骨はどこか。それをどうダイレクト感をもって相手に届けるのか。根本的な構造から導き出される本筋だ。
蛇足。
ときどき、顔認証に失敗してパスコード入力画面になった直後に(入力してないのにやっぱりだいじょうぶって感じで)立ち上がるときがあって、おおパスコード入力画面でも顔認証がんばってるんだなと、顔認証がけなげに思えるときがあります。

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