商店街とゆらゆら


じっとしていても汗がにじんでくる季節になりました。
歳を取ってから、暑さを感じにくくなっているとはいえ、真夏にもなるとしっかり太陽のおてんばさを感じますね。
家の近所の商店街。ここはいつも活気に溢れていて、歩くだけでも元気が出ます。
中でも呼び声が最も大きいこの「とと屋」さんは昔から、良くしてくれるお店の一つです。
「っしゃあぁせええ、どぞおー」
もう何を言っているのか、聞き取れないくらいに声を枯らしているご店主が少し可笑しい。ここでお魚を買った帰り道は、おじいさんと2人で呼び声の真似をしていたのを思い出します。
とと屋さんのお魚はご店主の目利きが素晴らしいのか、なんでも新鮮で料理をするのが楽しくなります。おじいさんは金目鯛の煮付けが好きで、その時期になるといつも「どうだ、とと屋行くか」と言っていたものです。
私はそれに「はいはい」と仕方がない風を装うのですが、内心それを楽しみにしておりました。おじいさんがあまりにも白々しく誘うものですから、可愛らしく感じるのです。
老人に可愛い、だなんて不思議な感じがする方もいらっしゃると思いますが、夫婦なんてそんなものです。
そのとと屋さんを過ぎると、見えてくるのはクリーニング屋さん。最近内装工事をしたのか、まるで新しいお店のようにピカピカです。
けれど、入り口にたなびく「Yシャツ半額」の文字は変わっていません。白いのぼりの裾のあたりは黒く薄汚れていて、お店の歴史を感じます。この汚れもまた、私にとっては愛おしいと申しますか。懐かしい思い出を連れてくるのです。
お洋服も同じですね。毎年衣替えの時期になると旅行やお出かけに行った日の事がよみがえります。
このスカートは新婚旅行で熱海の温泉にいったときのもの。このスカーフは、おじいさんの退職祝いで行った京都旅行でつけていたもの。2人の思い出がたくさん織り込まれているのです。
そんな思い出たちをクリーニング屋さんに渡す。するとお洋服たちは旅の疲れを癒やして、元気な姿で帰ってくるのです。また新しい思い出を作るために。
あぁ、おじいさんとまた、あのスカートを履いて温泉旅行に行きたいですね。

さぁ、次に進みましょう。と、心は前へ前へと進んでいるのですが。
……少し歩き疲れてしまいました。
この角を曲がると公園があるので、そこで休憩していきましょうかね。
ベンチが一つと、小さなブランコ、そして水飲み場があるだけのひっそりとした公園です。ベンチは青いペンキが剥がれて少しサビが見えます。
よいしょと腰を下ろすと、セミの鳴く声があちらこちらから聞こえてきますね。足元に転がるセミはいつも年寄りの心臓をいじめてきます。若いときに庭の草むしりをしていたら、転がっていたセミがいきなり顔に飛んできたことがありました。それ以来、すっかり虫がこわいのです。
ふと顔をあげると立派な入道雲が商店街を見下ろしていました。大きな体をそよ風にまかせてゆったりと、流れていきます。夏の商店街の様子をみに来たのでしょうか。
空を眺めているとあっというまに時間が過ぎていました。それと引き換えに重くなっていた足はすっかり元気を取り戻しています。
公園を出ようとすると、花壇の脇に小さく咲く白い花を見つけました。なんという名前のお花でしょうか。どうしてもおじいさんに見せたくて、2輪だけハンカチにくるんで仕舞いました。
私達夫婦は子供に恵まれることはありませんでした。今とは違い不妊治療などもありませんでしたから、幾度となく涙を流したのを覚えています。
親戚からおめでたい報告を受けるたびに、おじいさんに申し訳なく思っておりました。お義母さんから「畑が悪い」と心無い言葉を浴びせられたこともあります。けれどそのたびにおじいさんは優しく慰めてくれたものです。
「別にできないならそれでかまわん。子供にやる時間がない分、旅行にでもいこう」
そう言い続けてくれたおかげで、気持ちが軽くなり、2人でいろんなところへ旅行に行きました。
中でも私のお気に入りは京都の浄瑠璃寺です。入り口にある土産もの屋さんで買った蛙の置物は、最後まで悩んだ末に買うと決めたものです。道中にある無人の販売所で買ったザクロをつまみながら、その蛙の焼き物を眺めおじいさんと2人「買って正解だった」と笑い合いました。
蛙の置物は『無事帰る』という願いが込められているそうで、今でも玄関の棚に座っておじいさんの帰りを待っています。
学生時代のおじいさんはいまで言うやんちゃな人、だったらしいのです。
私達は社会人になって出会ったので、学生時代のおじいさんの話はお爺さんの思い出話でしか知りません。
本当かどうか、もう確かめようがありませんが巷で名のしれた不良だったそうです。私の知っているおじいさんはそんな人には見えないので、おそらく格好をつけているのだろうと当時は微笑みながら話を聞いておりました。
「なかなか家にも帰らず、夜遅くまで遊び回ったものだ」
お酒がはいるといつもこの言葉から昔話が始まります。当時は耳にタコができるほど聞いていたので内心飽き飽きしていたのですが、今思い返せばそれも2人の大切な時間だったのでしょうね。

去年の夏の終わり、私達2人の長い夫婦生活は終わりを迎えました。まだセミの鳴き声がやまない晴れた昼すぎのことです。
最期は抗がん剤治療の影響もあり、まともに会話をすることはできませんでしたが穏やかな最期でした。
ありがとう、と涙を流すおじいさんの顔が今でも忘れられません。
夫婦生活とは不思議なものですね。これだけ長い時間一緒に過ごしてきたのに、どの思い出もまるで昨日の事のように鮮やかで、いつでも当時に戻れるのです。
おじいさんと離れ離れになってしまった今でも、隣にあなたがいるようにこの商店街を歩けます。
どのお店にもあの日のおじいさんの姿があるのです。あのお店にも、あのお店にも。
なんだか、思い出して胸がほっこりとしてきました。
もうまもなくで私たちの家に到着です。この商店街を抜けて、向かいの信号を渡った200m先の一軒家。
だんだんと商店街のにぎやかな声が遠くなり、住宅街の穏やかな空気が満ちてきました。
どの家からもお夕飯を準備する匂いが漂ってきます。お母さんを呼ぶお子さんの声、テレビから流れる笑い声、キッチンの窓から聞こえる鍋の音。
商店街の声も住宅街の声も、この街をつくる大切な一部。この街に住めて本当に良かったです。
さぁ、我が家に到着です。
ハンカチから花を取り出し、玄関先にそっと置きました。これでおじいさんも喜んでくれるかもしれません。今日は8月15日。亡くなった家族がこの世に戻ってくる日。おじいさんに早く会いたい。
たくさん思い出話をしましょう。また天国で2人、会えたときには、金目鯛の煮付けを食べましょうね。


どたどたと玄関へ急ぐ足音が聞こえる。ガラリと玄関を開けると、さぁっとやさしい風が入り込んできた。玄関の棚には浄瑠璃寺で買った蛙の置物。
蛙が微笑みながら、大切な人の帰りを待っている。
玄関先の小さな白い花はゆらゆらと風に揺れ、まるで笑っているようだった。
「なんだ。おばあさんかと思ったのになぁ。」
ゆらゆらと、小さな白い花がまた揺れた。




きっと、いつかまた2人で金目鯛の煮付けを食べられるでしょうね!

そのとき、蛙の置物は2人の天国旅行の帰りを待っているのかなぁ。

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