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照れや後ろめたさを無視して正直な感情を書けば心が整理される

私はいつも日記を書いている。
誰にも見られない手書きの日記には何でも書ける。
日記は自由なのだ。

だけど私は日記の罫線やレイアウトに縛られがち。
だからこそ最近は文字の大きさや図の汚さを気にせずに日記を書くようにしている。

ただ、以前は文字の大きさなど目に見えるもの以外で私を縛っているものがあった。
それは「何を書くか」ということ。

特に「嬉しかったこと」や「腹が立ったこと」に対して自分の正直な感情を書くことができなかった。
だけど、正直な気持ちを書くようになってから、身の回りの出来事を落ち着いて見られるようになった。


正直な気持ちを書くのは恥ずかしいけど、書かないとモヤモヤする

日記を書くようになったのは数年前。
最初は「今日の出来事」のような事実ばかり書いていて、自分の感情の変化はほとんど書かなかった。

たまに自分の感情も書いたけど「嬉しかった」とか「ムカついた」とか「モヤモヤする」といった程度。
それ以上深堀りすることは無かった。

深堀りしなかった理由は色々あるけれど、最も大きい理由は「恥ずかしさ」や「後ろめたさ」だった。

例えば「〇〇さんから頼りにされた」などの嬉しかったことを詳細に書こうとすると何となく恥ずかしい。
私にだって「Aさんに頼られると嬉しい」とか「Bさんの頼まれごとは気持ちが乗らない」などの「人による違い」はある。
だけど「なぜAさんに頼られると嬉しいのか」という点まで書くと何か恥ずかしいのだ。

逆も然り。
「Xさんにこんなことを言われてムカついた」ということを具体的に書くと、Xさんを責めている感じがする。
たとえ事実だけを書いたとしても「悪口を言っている」ように感じてしまう。

一方で自分の感情を深堀りせずに日記を書いても気持ちの整理は全然できない。
何となく惰性で続けているけど、消化不良な感情が頭の中に残っている。
そして心はモヤモヤし続けたまま。

自分が本当に感じたことを言葉に落とし込む

そんな感じで最初は日記を書いていたけどモヤモヤは残っていた。
だけど仕事やプライベートや何やらで感情が動きまくった時期があって「もう思ったことを自由に書いたるわ!」となった。

嬉しかったことも悲しかったこともムカついたこともぜんぶ手帳に書いた。
知人の名前を普通に書いているし、起こったことも詳細に書いた。

そして自分の気持ちも正直に書いた。
「なぜ嬉しいのか」「なぜムカつくのか」「この人に対して自分はどんな感情を抱いているか」「この人に仕事を任せたいか」など。

正直、全員のことを「良く」書いていない。
「友だちとしては関われるけど、タスクを任せたいと思わない人」がいる。
「この人はもう信用しない」という人もいる。
一方で「この人の頼みごとは全て受けよう」というくらいの人もいる。

色んなイベントが起こるたびに事実・自分の感情・相手との今後の関わり方を手帳に書いた。
特に自分の感情についてはできるだけ正確に書いた。

うまく表現できない気持ちもあったけど、それでも言葉に落とし込もうと頑張った。
それを続けることで、自分の正直な感情を言葉で表現できるようになってきた。

正直な気持ちを書き出すから今後の動き方を冷静に考えられる

正直な気持ちを書き続けると「自分」がだんだん分かってきた。
どんなとき嬉しいか、どんなときムカつくか。
自分はどんなことを大事にしているのか、などなど。

「自分」というものが分かってきたら対策することができる。
例えば私は「急な予定変更」が嫌なのだけど、それを分かっていたら「予定の前日にこちらから確認する」とかの対策が取れる。

そして「正直な気持ちを書く」ことにはもうひとつのメリットがある。
それは今後の動き方を冷静に考えられること。

今までは嬉しさとか腹立たしさといった感情に縛られて判断することが多かった。
例えば「こいつ嫌いだから仕事受けない」とか「この人は何回か約束を反故にしたけど褒めてくれるから今回は信じよう」とか。

だけど、そういった一時の感情で判断すると大抵うまくいかない。
そして何度も痛い目に遭ってきた。

だからそんなときには手帳を読み返す。
その人が自分にどんな関わり方をしてきたか、自分はどう感じたかを振り返る。
そして「今回、この人とどう関わっていこうか」を決める。

手帳に書かれた過去の出来事や当時の自分の気持ちは過去のもの。
だから今の自分はある程度客観的に読むことができる。
なので、感情に大きく影響されずに今後の動き方を決めることができる。

私は断るのが非常に下手くそ。
だけど手帳に正直なことを書いてからは「この人の依頼は受ける」「この人の依頼は受けない」と判断できるようになった。

「この人から頼まれても断る」とか「この人とは関わらない」と書くと冷たく見える。
だけど私の時間も有限だ。
私も自分が大事にしている人に時間を使いたい(自分自身も含めて)。
だからこそテイカーに私の時間を延々と取られるわけにはいかないんだ。

そうして2024年も人には言えないことを日記に書き続けている。
ただ、この日記のおかげで私は精神を安定に保つことができている。

正直な気持ちを書くのは相変わらず照れくさいのだけど、それでも頑張って今日も自由に日記を書いていくのだ。

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